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僕の頭の中にある世界

僕の頭の中にある”疑問”の世界を書くブログ
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04.20.16:53

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03.04.13:52

闇のアルザル人とは?

飛鳥昭雄/三神たける著NPAシリーズ第44弾「失われた空飛ぶ円盤 『ナチスUFO』の謎」を読んだ際に、”第7章”に”ナチスUFO(俗にいうアダムスキー型UFO)”の開発の背後には”闇のアルザル人”の存在がある、と書かれていました。という事は、ヒトラーを洗脳した”黒魔術師”も”闇のアルザル人”だったという事なのだろうか? それに、飛鳥昭雄/ベンジャミン・フルフォード著「二人だけが知っている超アンダーグラウンドの仕組み」の中にも”ヨーロッパの悪魔教組織”なる組織が存在することが書かれていましが、彼らの”実体”も”闇のアルザル人”という事になるのだろうか? となれば、現在アメリカを事実上牛耳っていると言われている”軍産複合体(シークレットガバメント)”の中枢にいる”ユダヤ人”を名乗る連中も、本当は”ハザール人の末裔”ではなく”闇のアルザル人”だった、という事なのだろうか!?

まず、”アルザル人”とは、”聖書外伝”等では北朝イスラエル人が彼らを捕虜としていたアッシリアが滅亡した後、そこから忽然と姿を消し、その後彼らは東方へ向かい、更には北方へ向かって”北の果てアルザルの地”で永久に暮らす事になった、と記されているようですが、当然”北の果て”というのは言うまでもなく”北極”です! そこに多数の民族が暮らしているとは到底思えません。ところが、1926年アメリカ空軍のリチャード・バード少尉が、航空機による”北極点到達”を果たした際に、実は極地付近で”亜空間”に紛れ込み、そこには広大な”ジャングル”が茂み、マンモス等の”絶滅動物”が闊歩していた、という報告がされた事から、それ以前から唱えられていた”地球空洞論”が真実味を帯び、飛鳥氏は著書の中でその”亜空間”こそプラズマに覆われた”地球内天体アルザル”である、と書いています。そして、そこの住民こそ、”失われた北朝イスラエル10支族”の末裔である、としています。ちなみに、彼らの”別働隊”として東へ移動し、朝鮮半島を経て日本にやってきたのが”天孫族(現在の天皇一族)”であるとしています。

では、”北朝イスラエル10支族”はどのようにしてアッシリア帝国から脱出したのだろうか? 実はその”鍵”を握るのが騎馬民族・スキタイです。北朝イスラエル10支族はスキタイと融合する形でアッシリアを脱出し、東方さらには北方へ移動し、”本隊”は北極点付近から”プラズマトンネル”を通って”地球内天体アルザル”へ移動、”別働隊”は東アジアで”騎馬民族”となり、その一部が日本へ渡って”大和民族”となったのではないか?という説があります。となると、僕が以前から唱えていたのですが、このような民族は、当然”本流”と”傍流”があります。”本流”が極めて純粋な”イスラエル人”であり、”傍流”になればなるほど”スキタイ”の血が濃くなります。とすれば、やがて”スキタイ”の血の濃い”傍流”の一族は虐げられ、やがて”謀反”を起こして”本流”に対抗する可能性も当然ながらあり得る、という事になります。実は”日本の歴史”とは、そのように成り立っているのではないかと僕は考えていました。”武士の台頭”などはその最たるものではないでしょうか?

そうなると、当然ながら”アルザル人”にも”スキタイ人”の血筋は混じっている訳で、とすれば”純イスラエル人”に近い”本流(王族)”と”スキタイ人”の血の濃い”傍流(主に兵士?)”が存在し、力を持った”傍流兵士”の一部が王族に楯突き”一大勢力”を築いてもおかしくないでしょう。彼らが、やがて”闇のアルザル人”になっていったのではないでしょうか? しかし、彼らは”アルザル政府”によって”追放”となり、地上で白人系の人々を中心に”洗脳”していき、最終的に”世界征服”を企むに至った、という事になるのでしょうか?

で、最終的に”米国軍産複合体(シークレットガバメント)”を陰で操り、”プラズマ兵器”や”HARRPシステム(気象&地震コントロールシステム)”等の”極秘兵器ないしシステム”を開発し、実際、そのような”巨大地震”や”気象災害”を意図的に起こしていると噂されていますが、そうなると、一つ引っかかる問題があります。それは、このような”極秘兵器&システム”は早く見積もっても完成したのが1990年以降。しかし、それより大分以前から、時代の大きな”転換期”に”巨大地震”や”大型気象災害”が起こっています。これらは果たして偶然に起こった”自然災害”なのだろうか? それにしては、幕末において”開国論争”が叫ばれた時に起こった”安政大地震”や、華やかな”大正デモクラシー”から”軍国主義”に移行する過程で起こった”関東大震災”等”偶然”にしては出来過ぎています! おそらく、これらを起こしたのは、言うまでもなく”闇のアルザル人”ではないかと思うのです。この時に、すでに彼らは”UFO”を所有しており(これについては江戸時代の伝記の中にもUFOらしき乗り物について書かれているようです。※参照)、そのUFOから放出された”プラズマ”によってこのような”巨大地震”が引き起こされたのではないでしょうか。しかし、”アルザル正規軍”からマークされた彼らは公にこのようなことが出来なくなり、地上人に紛れて”極秘兵器開発”を促進している、という事ではないでしょうか。

こうなると、何だかか訳がわからなくなってきましたが、”神側”と”悪魔側”の対立構造が思っている以上に根が深いものである事は間違いないのでしょう。
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12.31.10:25

日本人の成り立ち③-失われたイスラエルの民と大和民族-

現在の日本人、すなわち”大和民族”は人種的には”新モンゴロイド”に分類され、外見上は中国人や朝鮮人とさほど変わりません。しかし、”文化面”、”言語面”では彼らと違って独特のものがあります。確かにこれらの国から伝わってきた”文化”もありますが、その多くはこれらの国とは異なる独特の文化が日本にはあるのです。しかし、実は日本とよく似た”文化”、風習”を持つと思われる国が一つだけ存在します。それは日本から遠く離れた国です。その国とはイスラエルなんです。この事は、実は戦国時代ポルトガルのキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルが渡来した時に日本とキリスト教の”共通性”に気付き、その後来日したドイツ人エンゲルベルト・ケンベルが日本とバビロニアの関係を主張、更に江戸後期に来日したドイツ人医師シーボルトが日本と中央アジアの関係を示唆し、そして、明治時代に入ってスコットランドの貿易商ノーマン・マクラウドによって”日ユ同祖論”が唱えられるようになりました。

その”日ユ同祖論”が示す日本とイスラエルの”共通点”ないし”類似点”は、①古代イスラエルの神殿(特にその原型である移動式の幕屋)と日本の神社の構造が似ている事。②水や塩で清めるという習慣が古代イスラエルにもあった事。③古代ユダヤ人は金髪と青い目を持つ”白人”や、”黒人”ではなく、黒髪・黒目で褐色の人種であった事(もっといってしまえば”モンゴロイド”だった可能性が高いとの事)。④平安京は、ヘブライ語で”エル・シャローム(平安の都)”となり、古代イスラエルの都エルサレムと同じである。ちなみに平安京は天皇の住まう都だが、エルサレムも別名で”ダビデの町”と呼ばれていた事。 ⑤ユダヤ教徒が祈りの際に額に付ける黒い小箱の”ヒラクティリー”と山伏の”兜巾”は非常に類似している事(このような類似性は世界中のどの民族、宗教にも見られず、ただユダヤ教徒と日本の山伏との間にのみ存在するようです)。⑥ユダヤ教の羊の角で作る”ショーファー”と山伏の吹く”ほら貝”の類似性(音色はもとより、用途的にも戦争時での合図として用いられたりしていた部分では共通します。更に、日本では羊の角が入手出来なかったので、似た音の出るほら貝で代用したという説があるとの事)。⑦古代ユダヤの”聖櫃(アーク)”と日本の”神輿(みこし)”が良く似ている事。 ⑧神主の衣服の”房”とイスラエル人の衣服の”房”の共通性。⑨古墳時代の”埴輪”に見られる独特の髪型(みづら)とユダヤ人司教の独特の髪型(ペイオト)の類似性。⑩日本のいくつかの神社で”ダビデの星”や”ソロモンの星”の紋が発見されている事。⑪古代イスラエルやシュメールの遺跡の中に天皇家の”菊の紋”に似た紋章が発見されている事。⑫ヘブライ語の単語の中には日本語の単語に良く似た単語がいくつかあるという事。⑬「古事記」、「日本書紀」における天照大神の「天岩戸隠れ」の場面と、「新約聖書」の「イエス処刑」の場面が酷似している事(それによって飛鳥昭雄氏は天照大神=イエス・キリストとしている)。⑭日本の正月に食べる”餅”とイスラエルの正月に食べる種無しパン”マッツォ”の類似性・・・等が挙げられます。

これらを踏まえて考えると、もし”日本人(大和民族)”が”イスラエル人”の末裔だとしたら、彼らはどのような経緯で日本にやってきたのだろうか? まず、”古代イスラエル王国”は途中で”宗教観”の違いから”北朝イスラエル(ユダ族、ベニヤミン族以外の10支族が主体)”と”南朝ユダ(ユダ族、ベニヤミン族が主体)”に分裂します(”北朝側”が”偶像崇拝”に陥ったのが原因とされる)。そして、”北朝イスラエル”は紀元前712年にアッシリア帝国によって滅ぼされ、彼らの”奴隷”となるかまたは追放され、”南朝ユダ”はその後アッシリアの”属国”となったが、紀元前597年新バビロニア帝国によって滅ぼされ、彼らは”捕虜”としてバビロニアに連行されます(所謂バビロン捕囚)。やがて、アッシリア帝国は騎馬民族スキタイの度重なる侵攻によって弱体化し、紀元前612年新バビロニア帝国とメディアの侵攻によって滅亡。それによって”奴隷”となった”北朝系イスラエル10支族”は開放され、そのまま騎馬民族スキタイと融合する形で歴史の表舞台から姿を消す事になります。一方の”南朝系ユダヤ人”は、紀元前538年に新バビロニア帝国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシアによって開放され、その後ペルシア、マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、ハスモン朝シリア、そしてローマ帝国の”属国”となり、”イエス・キリスト時代”を経て紀元66年の”第一次ユダヤ戦争”まで続く事になります。そして、イエスの処刑後、その門下であり”エルサレム教団”を構成していた12使徒もいつしかエルサレムの地を離れ何処かへ消えてしまいます。

飛鳥昭雄氏は、”北朝系イスラエル10支族”はその後”騎馬民族スキタイ”と融合し、その”主力部隊”が「旧約聖書外伝エズラ記」に書かれている”北の果てアルザル=地球内部の亜空間惑星”へ移動したとし、残りの一部が北アジアを通って朝鮮半島に入り、その後日本に来て”大和朝廷”を築いた、としています。そして、”イエス12使徒”はその後中央アジア付近で”弓月王国(クルジア)”を建国し、やがて中国北部から朝鮮半島へ移住し”、そこで合流したもう一方のイスラエル人”北朝系イスラエル10支族”と共に日本に来た、としています。そこに僕の考えを付け加えるならば、まず、”北朝系イスラエル10支族”は”北回り”だけでなくいくつかの”経路”を通ってきたのではないでしょうか。”北方アジア”でモンゴル系、トルコ系、ツングース系などの”騎馬民族”を構成しながら朝鮮半島に移動した一派、”中央アジア”からその近隣の国家に侵攻しながら東へ移動しやがて中国の”秦”の組み込まれた上で朝鮮半島に移動した一派、”ペルシア”からインド方面に侵攻してチベットを越えて”秦”に入り、その後朝鮮半島へ移動した一派、更にはペルシア湾から船に乗って”海のシルクロード”を通ってインド、中国沿岸部を通って朝鮮半島に入った一派、等がいて、一方の”南朝系ユダヤ人”の方も”イエス12使徒”以前にも”バビロン捕囚”から開放された後、中東近辺でバクトリア、パルティア等の”国家”を作りそのいずれかがやがて中国を支配する”秦”となり、あるいは”イエス12使徒”と合流して”弓月王国(クルジア)”となり、”秦”から脱出して朝鮮半島に移動した”先方隊”と合流した、とも考えられるのではないでしょうか。そして、いずれにしても後に日本を支配する”秦人=大和民族”は朝鮮半島に結集して”辰韓(秦韓)”と”弁韓”を作り、その内の”辰韓”が”新羅”となってそのまま朝鮮半島に残り、”弁韓”が”伽耶”となって12個の小国を作り、彼らが日本を統治した後、それらの”小国”はそのまま”古代豪族”へとつながっていったのではないでしょうか。

こうした経緯によって、朝鮮半島から日本に渡ってきた”大和民族”は、”イスラエル10支族ガド族”の王族を”天皇家”とし(根拠としては、①天皇の事を”帝(みかど)”と呼ぶがこれは”ミ(御、あるいはヘブライ語で言う”~出身の”という意味)・ガド”から来ている可能性がある事、②ガド族の紋章が天皇家の紋章の一つ”五七の桐紋”と酷似する点、③”前方後円墳”のモデルが、ガド族が所持していたとされるイスラエル三種の神器の一つ”マナの壷”である可能性が高い事、等が揚げられる)、”イエス12使徒=弓月王国”の王族が”裏天皇家”を構成する”八咫烏”として”天皇家”及び”朝廷”を裏で動かし、その他の”イスラエル10支族”や”イエス12使徒”の直系が”皇族”あるいは”古代豪族→貴族(公家)”となり、”イエス12使徒”の傍系が”殖産豪族”としての秦氏で、彼らが後に”商人”、”技術者(職人)”、”学者”、”医師”、”芸能者”となり、”イスラエル10支族”の内”騎馬民族スキタイ”の血を強く受け継ぐ支族が後に”武士”を構成したのではないでしょうか。このようにして、真の意味での”日本民族”が形成され、真の意味での”日本の歴史”が始まった、という事になるのでしょう。

12.30.14:51

日本人の成り立ち②-徐福伝説と邪馬台国-

紀元前5世紀前後になると、それまでの”縄文時代”の物とは明らかに違う文化がもたらされた痕跡が、”弥生式土器”、”水田跡”、そして”新モンゴロイド系の人骨”の発掘によって明らかになりました。そして、その時代とほぼ重なる紀元前213年、秦の始皇帝の”参謀”の1人だった徐福という人物が、始皇帝の”独裁政権”から逃れるために「はるか東の海に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)という三神山があって仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めに行きたいとおもいます。」と始皇帝に申し出、稲など五穀の種子と金銀・農耕機具・技術(五穀百工)を備え、そして若い男女ら3000人を伴って日本に渡来し、そのまま”亡命”した、とする伝説があります。徐福は当初”架空の人物”という疑いがあったようですが、最近の研究ではその”実在性”が明らかになったようです。そして、日本においても”徐福伝説”はかなり多くの地域で残されています。

しかし、飛鳥昭雄氏は「日本人の成り立ち①」で書いたように、かつて日本の本州は”フォッサマグナ(①を参照)”を境に2つに別れており、そこへアメリカ大陸から”東日本側”に”インカ/アステカ系民族”が渡来し、”西日本側”に”マヤ系民族”が渡来して、それぞれ”縄文文明”と”弥生文明”を築いていった、としています。その証拠として、”縄文人”の末裔とされるアイヌとインカ人が”文字”を持たない事、「魏志倭人伝」に書かれている”倭人”の服装や風習が”マヤ人”に酷似する事、としています。更に「魏志倭人伝」に書かれている倭人の特徴が”中国人”や”朝鮮人”とは全く異なる事、としています。でも、そうなれば時代的に紀元前3世紀前後の地層から発掘される”縄文式土器”とは明らかに形状の異なる”弥生式土器”や、アメリカ先住民が行っていなかったはずの”稲作農業”の痕跡、そして”縄文人”とは明らかに形質の違う”新モンゴロイド系の人骨”の説明がつかなくなります。おそらく、”西日本先住民=弥生人”は基本的には”縄文人”とさほど変わらなかったのかもしれません。しかし、紀元前5世紀前後(厳密には紀元前3世紀前後)にはそれまでと全く異なる”中国系”の文化が入ってきた事は間違いないと思います。そして、それをもたらしたのが徐福率いる”秦の亡命者”であるとするならば、おそらく彼らが当時の”西日本”を統一して”邪馬台国”を築いていった可能性も考えられると思います。

そのようにして形作られていった”西日本弥生王国=邪馬台国”も、徐福ら”最初の亡命者”達が亡くなると次第に”勢力”が弱まり、更に飛鳥氏が指摘するように東西に分かれていた本州が”地殻変動”により衝突すると、”東日本側”の縄文人(「魏志倭人伝」でいう所の狗奴国)が攻めてきて、それによって「魏志倭人伝」で言う”倭国大乱”が起こり、当時畿内にあったと思われる”邪馬台国”の主用地域は”狗奴国=縄文人”に奪われ、一時九州に退散したと思われます。そして、当時朝鮮半島に既に居住していたであろう”秦人(イスラエス10支族+秦氏)”と同盟を結んで、その一支族(おそらく”天皇家”より先に日本にいたとされる物部氏)を後ろ盾に”邪馬台国”を”狗奴国=縄文人”から奪回し、”先住民系”で”シャーマン”の資質を持つ卑弥呼を”マスコット”的な”女王”として”西日本”を再び統治したのでしょう。そして、その為に用いられた”権威の象徴”が黄金製の”親魏倭王印”と”三角縁神獣鏡”で、それを裏で画策したのが徐福の末裔である”旧邪馬台国王家”と彼らと同盟して九州に新たな国”伊都国”あるいは”奴国”を建てた”秦人(イスラエス10支族+秦氏)”の一部で、その”主流”である”天皇家”に先駆けて日本に渡来した物部氏ではないでしょうか(金印には実は”漢委奴国王”と彫ってあり、”委”を”倭”の誤字とすれば、漢が”倭の奴国”に送った印、となり、”委奴国=伊都国”とすれば漢が”伊都国”に送った印、となります。要するに、”邪馬台国”の事実上の”主導権”を握っていたのは”奴国”ないし”伊都国”であり、その事実上の”王家”が物部氏だったと考えております。)。それが今日における”畿内説”と”九州説”の”邪馬台国論争”につながるのではないでしょうか。

やがて、卑弥呼が亡くなると、その娘とされる台与(とよ)が”女王”となりますが、いつしか「魏志倭人伝」から台与の名前が消え、そこでこの文は終り、更に中国の歴史書から日本にまつわる記述が消えます。これを飛鳥氏は”邪馬台国”が”狗奴国”に滅ぼされたため、としています。そして、”邪馬台国”は”狗奴国”に占領され、そこの”統治官”となったのが”記紀神話”による所の”天皇家”に対する”反逆者”となった長髄彦で、”記紀”においては饒速日命(ニギハヤヒノミコト)に殺された事になっていますが、東北蝦夷系豪族安倍氏の血を引く秋田氏に伝わる古文書「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」には、長髄彦は兄(もしくは弟)の安日彦と共に東北地方に逃れ、”先住民”である阿蘇辺族(イヌイット)と津保化族(アイヌ)と合流して”荒吐王国”を作ったとされています。そして、その際に長髄彦に代わって大和を統治した饒速日命は、その直後に東征して来た神武天皇の配下となります。ちなみに、饒速日命は物部氏の”祖神”と言われています。そして、”天皇家”率いる”大和民族(北朝系イスラエル10支族+南朝ユダ系原始キリスト教徒(イエス・キリスト12使徒=秦氏))”によって”大和地方(旧邪馬台国主用地域)”は支配され、やがて彼らは”西日本”を統一し、やがて”関東地方”も支配下に治め、そして、平安時代に入ってようやく”東北蝦夷王国(荒吐王国)”を征服する事になります。

この”大和民族”がどういった経緯で日本にやってきたのか、を”次章”で書きたいと思います。

12.28.15:00

日本人の成り立ち①-日本最初の文明人、縄文人の誕生-

日本人の”祖先”は果たしてどこからやってきたのか? 海に浮かぶ島国”日本”には独特の”風土”があり、そして”独特”の文化がある。中国とも朝鮮半島とも違う”文化”と”言語”を持ち、更に日本は”東西”でくっきりと違う文化を持っている。そして、日本人の”顔”にも大きく分けて2つの系統があり、”眉毛”が太く、目がまん丸で二重まぶた、鼻が丸く、唇が厚く、輪郭が四角っぽくて、髭の濃い”ソース顔タイプ”と、”眉毛”が細く、目が切れ長の一重まぶた、顔の輪郭は丸もしくは面長で頬が出ていて、鼻は低く狭く、唇の薄い”醤油顔タイプ”がいます。これらを踏まえれば、日本人の”ルーツ”はいくつかの”系統”に分かれるのは明白。もはや、”日本人=単一民族”なんて信じている人なんて誰もいないはずです。

まず、日本最古の”先住民”とされているのが”縄文式土器”を生み出したとされる”縄文人”です。彼らは、”骨格”から判断しても顔の輪郭は角ばっており、彫が深い事がわかり、現在のアイヌや琉球人が彼らの”直接の子孫”であるとされています。その為に、当初は彼らは”南方系モンゴロイド”とされていましたが、”DNA鑑定”の結果、彼らの遺伝子はバイカル湖付近に居住するブリアート人と一致し、”北方系モンゴロイド”である事が明らかになったようです。しかし、彼らは”縄文人”というよりは”弥生人”に近い顔立ちを持った、所謂”新モンゴロイド”といわれる人達です。そうなると、話がややこしくなってきます。でも、学説ではブリアート人の祖先がまだ”古モンゴロイド(縄文人タイプ?)”の頃にそのまま日本へやってきたのが縄文人で、そのまま”アメリカ大陸”に渡ったのが”アメリカ先住民”としています。しかし、そうなると”文化的”に見ると縄文人、それから現在のアイヌや琉球人の文化は”南方系”であり、アジア、太平洋、果てはアメリカ大陸まで広がる”環太平洋文化圏”に当てはまるものとされています。では、”縄文人”は果たして”北方系”なのか? それとも”南方系”なのか?

これに対して、”サイキックエンターティナー”の飛鳥昭雄氏は、”縄文人”はアメリカ大陸から渡ってきた”アメリカ先住民”としています。確かに、アメリカ大陸からも”縄文式土器”のようなものが出土していますし、太平洋の島々からも”縄文土器”のようなものは出土しています。”渦巻き模様”や”刺青”の風習もアイヌ、琉球、ポリネシアにまたがって存在しているようです。更に、”ピラミッド”と思われるものもアメリカ大陸から太平洋、果ては日本にまで存在します。そして彼は「本州はかつて”フォッサマグナ(新潟の糸魚川から長野県を通って静岡の大井川に走っている断層)”を境に2つの島に分かれており、”東日本側”の島にはインカ系(アステカ系)の人が渡ってきて”縄文人”となり、”西日本側”には”マヤ系”の人が渡ってきて”弥生人”になった。」としています。ただ、僕は”弥生人”はあくまでも”弥生式土器”と”水田稲作農業”をもたらした”新モンゴロイド”と考えているので、いずれにしても”日本先住民”のルーツが”アメリカ先住民”である可能性がある、という事ですね。しかも、飛鳥氏はそれ以前には”イヌイット”が日本にいた事を示唆しています。それは、埼玉県かどこかで発掘された遺跡から”イヌイット”と同じ形の矢じりが発見されているからです。そうなれば、おそらくブリアート人も”イヌイット”をルーツとしている可能性はあるので、ブリアート人に近い”遺伝子配列”であるという事にも頷けますね。

しかし、そこで”疑問”が生じるのが、アイヌや琉球人の”体毛”は濃いのに、アメリカ先住民の体毛は薄い、という事なんです。飛鳥氏の著書「古代日本と失われた環太平洋文明の謎」では、アメリカ先住民はエジプトから渡ってきた”イスラエル系ヨセフ(マナセ族及びエフライム族)族”であり、彼ら以前にアメリカには”先住民”らしき人達が存在し、その”先住民”が太平洋に渡り、アメリカ先住民も彼らを追うような形で太平洋に渡り、彼らと”混血”した後日本に渡ってきた、としていますが、その”先住民”が”原ポリネシア人”であるならば、彼らは”オーストラロイド”や”メラネシア人”の血も引いているはず。となれば、仮にアメリカ廻りで太平洋へ出た”オーストラロイド”がいたとしても、その”本流”はユーラシア大陸を南下して”オーストラリア”へ渡り、その一部が”太平洋”へ出たと考えるのが妥当(「第四の人種、オーストラロイドの謎②」を参照)。更に”メラネシア人”はアフリカから分裂した”インド大陸”に乗って渡ってきた”アフリカ系黒人”がルーツだと考えておりますから、彼らもその後太平洋へ渡っているはずです(「第四の人種、オーストラロイドの謎③」を参照)。となれば、その”過程”には当時は現在より南に位置していたとされる日本もあったはず! 要するに、”オーストラロイド”や”メラネシア人”が日本にも渡ってきたはずなんです。それを裏付けるのが沖縄で発見された港川人の骨なんです。鑑定の結果、彼らは縄文人よりも古い時代の人達で、オーストラロイド系ワジャク人に近い人種だそうです。おそらく、最初に日本に来ていた”イヌイット”とオーストラロイド系の”港川人”が混血し、更にそこへアメリカ大陸から渡ってきた”アメリカ先住民”が東西日本を統治し、当然ながら彼らと混血して”縄文人”となった、という事なのでしょう。事実、アイヌはかつて”オーストラロイド”に分類される、という説もあったようですからね。

いずれにしても、縄文人のルーツの一部が”アメリカ先住民”であり、更に彼らのルーツが”イスラエル系ヨセフ(マナセorエフライム)族”だとしたら、青森県にある三内丸山遺跡がいかに高度な文明を物語るものであるかが理解できますね。しかし、彼らはやがて”朝鮮半島経由”で渡来してきた”大和民族(北朝イスラエル10支族+南朝ユダ系原始キリスト教徒)”に支配され、そして”西日本”にいた先住民(後に弥生人(徐福率いる秦の亡命者)に吸収される)の多くは”農民層”に吸収され、”東日本”にいた先住民は”蝦夷”として最後まで朝廷に抵抗。そしていずれは”降伏”し、一部は”農民”となり、他は”山の民”として”放浪生活”を営むようになっていったのではないでしょうか。

12.04.22:12

第四の人種、オーストラロイドの謎③-インド大陸の分裂と北上-

まず、飛鳥昭雄氏は著書「地球膨張の謎と超大陸パンゲア」 の中で、地球には元々大陸は一つしかなく(超大陸パンゲア)、”ノアの大洪水”によって海中に沈み、やがて地球がその水を吸収した事によって”膨張”し、それによって大陸が今の形に分裂した、としています。その過程の中で、インドはおそらく初めはアフリカにくっついていたのでしょう。それから”分裂”し、インド洋を北上。そして、ユーラシア大陸とドッキングし、それによって”造山運動”が起こり”ヒマラヤ山脈”が出来た、という事になるでしょう。

しかし、”ノアの大洪水”が”史実”だとしたら、その頃既に人類は存在していた、という事になります。すなわち、アフリカ大陸にはノアの次男?、ハムとカインの血を引くエジプタスの間に生まれたカナンを祖とする黒人種が存在し、彼らはおそらくインドに相当する部分にも広がっていたのでしょう。しかし、やがてインド大陸はアフリカ大陸から分裂。インド大陸はそのままインド洋を北上。その際に、インド大陸にいた黒人種の一部は、舟でインドネシアから太平洋へ広がり”メラネシア人”の祖となったのではないでしょうか。

その頃、ユーラシア大陸では、他の人種とは隔離して生活していた、アダムとイブの長子で弟アベルを殺した罪により”死ねない体”になってしまったカインと、”クル病”を患った事によってやはり他の人種から隔離されていた”ネアンデルタール人”と呼ばれた人達が、やがて”共同生活”を始め、更に彼らの間に生まれた人種(後のオーストラリア原住民=アボリジニ)が未知の大陸”オーストラリア”を目指して南下。しかし、その頃はまだ”インド”はインド洋上にあったため、今のネパール辺りから舟に乗ってインドネシアなどの島々を渡りながらオーストラリアを目指したのでしょう。しかし、その一派の中にはオーストラリアと間違えてインドに漂着した人達もいた可能性はあるでしょう。それによって、先にその大陸にいた”アフリカ系黒人”とやがて融合。そして、大陸はその後ユーラシア大陸と衝突。それから月日を経た時、西方からイスラエル系の人達がやってきて彼らとも融合し”ドラヴィダ人”となり、”世界四大文明”の一つである”インダス文明”を築く事になります。しかし、北方からアーリア人が侵入。それによって”インダス文明”は崩壊し、ドラヴィダ人はインド南部へ追いやられる事になります。されど、後々アーリア人とも混血が進み現在のドラヴィダ人につながるのでしょう。故に、彼らの”髪質”は”波状毛”ないし”直毛”なのでしょう。

一方、インドネシアから太平洋へ渡った”アフリカ系黒人”は、その後そちらに渡ってきたアボリジニや南方モンゴロイド等と混血し、”メラネシア人”を形成していったのでしょう。

でも、”ある連中”にとってはこれらの事はおそらく”タブー”なのでしょう。”聖書”の記述が”史実”であり、”規定科学”の誤りが露呈する事を恐れた連中が、この事を封印するために”アフリカ黒人”と”メラネシア人”をあたかも”無関係”であるかのように仕立てたのではないでしょうか。そして、その”連中”とは? おそらく”聖書の記述”を”軍事機密”にし、いずれ来るであろう”終末戦争”に備えて”軍事力”を日に日に強化し、”世界の頂点”に立とうとしているアメリカを影で動かす”シークレットガバメント”と考えております。

最後に、念を押すようですが、これらに記事はあくまでも純粋に”人種の謎”に興味を持ち、それを解き明かすために書いたものであって、決して”人種差別”を促すために書いたものではございません! よって、”不当な書き込み”に関しては徹底的に削除させていただきます!

12.03.19:06

第四の人種、オーストラロイドの謎②-”史上最初の殺人者”カインとネアンデルタール人の関係-

まずは、”オーストラロイド”の代表格である”オーストラリア原住民(アボリジニ)”の謎を解明したいと思います。

”アボリジニ”の特徴と言えば、、①肌の色が黒い、②体毛が濃い、③髪の質は”波状毛”で時折金髪が混じっている、④眼窩上部の異常な発達、⑤丸い目玉、広い鼻、厚い唇・・・等ですが、①、②、③、⑤だけで考えれば”黒人”と”白人”の混血、という事で済むでしょう。でも、どうしてもわからないのが④なんです。現時点の”人種”の中で、このような特徴を持っているのはアボリジニやその近隣に住む人たちぐらいです。このような特徴は一体どのようにして生まれたのだろうか? 一説によれば、”人類”は”クロマニヨン人”のみの系統ではなく、他の”ジャワ原人”、”北京原人”、”ネアンデルタール人”などの”化石人類”との”混血”によって生まれたのではないか?という説がありました。しかし、”ジャワ原人”、”北京原人”に関しては”遺伝子配列”の違いから”交配”は不可能、と現代科学では説明されているようです。でも、最近の研究では、”ネアンデルタール人”に関してはゲノム(全遺伝情報)は少なくとも99・5%が同一と推定される事が明らかになったとか(こちらを参考)。となると、”クロマニヨン人(現生人類)”と”ネアンデルタール人”との間に”交配”が可能だった可能性が出てきたようです。

しかし、これに対して飛鳥昭雄氏は、著書「超極秘ファイル ASUKA」の中で、「ネアンデルタール人は実は”クル病(軟骨化症)”をわずらっていた人達(現生人類)で、そもそも”旧人”なんて初めから存在しなかった。」としています。そして、彼らは”ノアの大洪水”直後に”日照不足”による飢饉が何度も起こったため、それによる”ビタミンD1不足”が原因で骨の”石灰沈着障害”を引き起こし、それによって脊椎や四肢骨等の各部の骨や、歯、更には頭蓋骨が変形。それによって、彼らは”正常人”と外見的な違いから、集団から隔離されたり、追放されたりして、洞窟などに身を隠して生活していたのではないか?としています。

しかし、もしこれが本当だとしたら、そのようにして”一般人”から隔離されて生活していた人が他にもいたとしたらどうでしょう? 実は、”ノアの大洪水”後に生き残ったのは”ノア一家”以外にもうもう1人いました。それは、「旧約聖書」によればアダムとイブの”長男”で、弟アベルを殺した罪によって体に”印(黒い肌とされる)”を付けられ、更に”死ねない体”にされてしまったカイン。彼が”ノアの大洪水”後も生きていたとしたら、その”罪悪感”から極力他の人とは距離を置いていたのではなかろうか? しかし、同じように他の人達と距離を置いて生活していた”ネアンデルタール人=クル病患者”と意気投合し、やがて”共同生活”を始め、そして彼らとの間に”子孫”を残したとしたらどうでしょう? そして、彼らはやはり他の人種とは極力距離を置くために17世紀まで公には発見されなかった未知の大陸オーストラリアへ向かったとしたら? おそらく、カインは”預言者”の資質を持っていたでしょうから、オーストラリアが長い間他の人種から隔離される事を知っていたのでしょう。そして、彼らの子孫はオーストラリアに辿り着き、そしてその大陸に住むようになった。これが”アボリジニ”の始まりではないでしょうか。それによって、彼らの”頭蓋骨”は他の人種に比べて”眼窩上部”が異常に発達しているのでしょう。

でも、彼らの髪質は”波状毛”であって”縮れ毛”ではありません。”混血”によるものかもしれませんが、そうなると、メラネシア人と比較した場合、彼らは”眼窩上部の発達”には差異が見られるのに、”髪質”がきっちり”縮れ毛”なのか? ”混血”にしては”混血”されている部分とされていない部分が明確に分かれているのは何故でしょう? 僕が思うに、そもそもカインは”黒い肌”であっても”縮れ毛”ではなかったのではなかろうか? そう、実は「旧約聖書」にはカインの他にも神に”呪い”をかけられた人物がいるんです。それはノアの息子ハムとカインの子孫であるその妻エジプタスの間に生まれたカナンです。カナンの父、ハムはある日父のノアが葡萄酒を飲んで酔っ払っている隙にノアの下着に隠された奥義(カッバーラ)を盗もうとして、それが神にばれたため彼も神に呪われ、将来他の人種の”奴隷”になるようにされてしまったようです。これが今の”アフリカ黒人”を指す事は明白。そして、”アフリカ黒人”の特徴としては、”黒い肌”の他に”縮れ毛”があります。おそらく、その”呪い”によってもたらされたのが”縮れ毛”ではないでしょうか。そして、話は変わるが”大陸移動”も”ノアの大洪水”の後に起こった、と飛鳥氏はしています。そう、かつてアフリカ大陸とインドは”陸続き”だった事が科学的に証明されています。

では、次に”インド大陸の移動”とメラネシア人、更にはドラヴィダ人の謎について書きたいと思います。

12.03.16:26

第四の人種、オーストラロイドの謎①-規定人類学による定義-

まず、今から書く事は決して”人種差別”を示唆するものではありません。あくまでも、僕が小学生の時から純粋に思っていた”疑問”を解明すべく、記事にしたものです。

僕が、”小学生”の時には家にも10数種類の”図鑑”、更には”百科事典”があり、そういったものを暇さえあれば眺めていたのですが、”人体”、”人類”に関する”図鑑”や”百科事典”を見た時、”人種”の分布図が載っていて、そこには”黒人種”と思われる人達がアフリカ以外にもオセアニアにも存在する事を知りました。そして、彼らの間には何かしらの関係があるのか?と長い間疑問に感じていたんです。で、当初はメラネシア人(パプア人、ネグリートも含む)は”黒人種”とされ、オーストラリア原住民(アボリジニ)は”分類不能”とされていました(南インドのドラヴィダ人は後から知りました)。でも、アフリカ黒人の船による移動を”アカデミズム”は断固否定していたようです(まぁ、ヨーロッパ人の”航海技術”が発達したのが15世紀である、という理由もあるが、おそらく”何か”を隠しているのでしょう)。しかし、時代が下ると、”遺伝子工学”の発達から”DNA鑑定”による検証が普及したために、その”データ”からそれらの人種は”第四の人種・オーストラロイド”として他の人種とは区別されるようになりました。更に彼らと酷似しているアフリカ黒人とは”遺伝子”的には遠い、という判断がされました(おそらく”真実”を隠すための改竄が行われたのではないか?と睨んでいます)。でも、さすがにそれでは”無理”があることに気付いたのか、最近の学説では、彼らは”最初の現生人類”であるアフリカ黒人から一番最初に分かれた人種で、彼らはアフリカを出て中東辺りからインド方面に向かい、そこから当時陸続きだったインドネシアを伝ってオーストラリアやパプア・ニューギニア等に広がったのではないか?としています。

そこで、まずこの”オーストラロイド”には大きく分けて”3タイプ”存在し、まずはオーストラリアの原住民、アボリジニがそうで、彼らの”身体的特徴”としては、①肌の色が黒い、②体毛が濃い、③髪の質は”波状毛”で時折金髪が混じっている、④眼窩上部の異常な発達、⑤丸い目玉、広い鼻、厚い唇・・・等が揚げられます。次にインドネシア、パプア・ニューギニア、南太平洋にまたがるメラネシア人で、彼らの特徴は①肌の色が黒い、②髪の質が”螺状毛(縮れ毛)”、③丸い目玉、広い鼻(パプア人の場合は鉤鼻)、厚い唇、④眼窩上部、体毛には”差異”がある(おそらく混血の可能性アリ)・・・等であり、そして、南インドのドラヴィダ人の場合は、おそらく北インドのアーリア人その他との混血によっておそらく”原型”から大きくずれているのでしょうが、①黒い肌、②濃い体毛、③髪の質は”波状毛”ないし”直毛”で、髪の色は黒、④丸い目玉、高い鼻、深いほり、やや厚い唇・・・等といった感じで、おそらく彼らはいくつかの一派に分かれていて、それらが互いに混ざり合ったりして、更に近隣の人種との混血によって今日の形になっていったのでしょう。

しかし、”聖書”の記事をほぼ”史実”と解釈する”サイキックエンターティナー”飛鳥昭雄氏によれば、「”人種”は、ノアの三人の息子、セム(黄色人種の祖)、ハム(黒人主の祖)、ヤフェト(ヤペテ)(白人種の祖)の子孫である。」としています(参考サイト:「旧約聖書・薮にらみ:創世記5(バベルの塔)-神の領域を犯す組織の力」)。更に”黒人種”の”真のルーツ”はアダムとイブの間に生まれた長子で、弟で”聖人”とされたアベルを殺した罰として、神から体にある”印(おそらく黒い肌)”を付けられ、さらに”死ねない体”にされてしまったカインで、”ノアの大洪水”後も彼は生きていた、としています。(参考サイト:「旧約聖書・薮にらみ:創世記3(カインとアベル物語)-神の自由(支配)と、人間の自由」)となれば、この説が仮に正しければ、”第四の人種”すなわち”オーストラロイド”など元々存在しない、という事になってしまいます! では、彼らに隠された”真実”とは一体なんだったのか!? それをこれから検証していきたいと思います。いずれにしても、「旧約聖書」における”ノアの大洪水”が全ての”鍵”を握っているのは間違いないでしょう。