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上杉謙信にはいくつかの”義人伝”があり、北信濃の豪族、村上義清の領土を奪い返すために起こした”川中島の合戦”や、北条氏康を中心とした武田信玄の”近隣大名”による”塩止め”に加わらず、甲斐への塩の運搬を行い続けた、俗に言う「敵に塩を送る」というエピソードなどが揚げられます。でも、”戦国大名”たるものはこのような事を”戦略”としてワザと行うケースもありますから、この事が彼を”義人”とする根拠にはならないと思うのです。でも、何故そこまで謙信が”義人”として伝わっているのか? おそらく、彼を必要以上に”義人”に仕立て上げた”黒幕”が存在していたのでしょう。聖徳太子や空海、さらには源義経の背後に”秦氏”がいた事を考えると、彼の背後にもおそらく”秦氏”が関わっていたのではないでしょうか? そもそも、”戦国時代”を事実上”プロデュース”したのは秦氏だと考えておりますので。”秦氏”の正体は、イエス・キリストの12使徒の末裔である、と”サイキックエンターティナー”飛鳥昭雄氏はしています。 まず、謙信が他の武将に比べると極めて”信仰心”に厚く、中でも”毘沙門天”を崇拝していました。さらに、彼は自らを”毘沙門天の生まれ変わり”と信じていたようです。で、この”毘沙門天”ですが、別名を”多聞天(すべてを一切聞きもらさぬ知恵者、という意味で、 となると聖徳太子の逸話に一致する!)”といい、その”ルーツ”は古代インド神話の”クーベラ神”との事。しかし、中国では毘沙門天は同じく古代インド神話における”インド三神”の一神、ヴィシュヌと同一視しています。そして、このヴィシュヌ神は複数の”化身”を持っていた事から、おそらくクーベラ神はヴィシュヌ神と”同一神”だったのではなかろうか? となると、飛鳥昭雄氏はあらゆる”宗教”のルーツは”ユダヤ教”であり、”インド三神”はキリスト教の”御父、御子、聖霊”と同じものとしています。”インド三神”とは”創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァ”から成り、それを”キリスト教三神?”に当てはめれば、”ブラフマー=御父エロヒム”、”シヴァ=聖霊ルーハ”、そして”ヴィシュヌ=御子イエス・キリスト”となり、”ユダヤ教”で言えばイエスが”ユダヤ教絶対神ヤハウェ”と対応。飛鳥氏もイエスがヤハウェの”受肉”した姿だ、としている事から”イエス・キリスト=ヤハウェ”と成り、故に”毘沙門天=クーベラ=ヴィシュヌ=ヤハウェ=イエス・キリスト”となります。そして、謙信は”毘沙門天=イエス・キリスト”の”生まれ変わり”と信じている事に注目! これらを踏まえて、例の”女性説の根拠”とされるものを検証していきたいと思います。まず、①の謙信の”死因”が当時の婦人病を意味する”大虫”だったのでは?とする説ですが、”大虫”には”虎”、さらには”蛇”という意味があり、”虎”とは謙信の異名が”虎”である事と一致、そして”蛇”に見立てればそれはイエス・キリストの”象徴”になるんです。さらに、”虎=大虫”であれば、”虎”と同種の”大型肉食獣”ライオンすなわち獅子も”大虫”となるはず。”獅子”はイエスを含めた”イスラエル系ユダ族”の”シンボル”だったのです! という事は”大虫=イエス・キリスト”となり、それが”死因”となれば、イエスの”死因”は十字架に磔された”処刑”です。つまり、謙信は”処刑”されたのではないでしょうか? おそらく身近な人間、とりわけ家臣、いや”後継者”景勝が首謀者であるかもしれません。次に②の”一ヶ月周期の腹痛”ですが、これは”偽装”であり、相手の様子を伺うための戦略的な”口実”であり、さらにその間神への”祈祷”か何かを行っていたのではないでしょうか(おそらく何かしらの”意味”はあると思うのですが現時点ではそこまで解明出来ていません(汗))。③の謙信が”赤い衣服”を好んでいた事に関してもこれは非常に”重要な意味”を持っていると思います。今の季節”赤い服”と聞いて真っ先に思い浮かべるのはそう、”サンタクロース”ですよね! ”サンタクロース”の正体は、”東ローマ帝国”の配下にあった”小アジア(現在のトルコに相当する地域)”のカトリック司教、聖ニコラスです。そして、当時の”カトリック司教”の衣服は”赤”でした。それを裏付けるものとして、当時の”絵画”に見られるイエスの使徒であるヨハネ等の衣服、さらには「最後の晩餐」の絵の中にあるイエスの衣服はいずれも”赤”です! そして、”ユダヤ教”にまで遡れば、”赤い色”はさらに”重大な意味”を持ちます。「旧約聖書」における「出エジプト記」の記述には「あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない」という”神の言葉”があり、ようするに、神はモーセ率いる”イスラエル人”をエジプトから救出するために、”イスラエル人”達に家の門に”羊の血”を塗らせ、それによって”エジプト人”と区別させた、と言う事です。となると、”赤い色”は聖書的には非常に重要な意味になるのです! 謙信はおそらくそれを理解していたのではなかろうか? ④、⑤、⑥については後ほど詳しく述べるが、おそらく謙信の”姉”にして景勝の”母”とされている仙桃院が”鍵”を握っていると考えています。⑦に関しては、「上杉謙信とイエス・キリスト-女説の真相と義人伝説-①」の方で述べた通りです。⑧に関しては、謙信が”女性”だった所で、既に”会津120万石”になっており、さらに”豊臣五大老の一人”になっていた景勝を”改易”出来る程の理由にはなりません。しかし、謙信がもし景勝と家臣によって殺されたとなれば話は別。”大阪夏の陣”直後、秀頼に嫁いでいた徳川二代将軍秀忠の娘、千姫を貰い受ける事になっていながらそれを反故にされてしまった豊臣配下の武将、坂崎直盛がそれに逆上し、彼を諌めようとした家臣達によって殺される、という事件が発生。それによって、秀忠は”武家諸法度”の中で”家臣による主君の殺害”を”禁止”する事にしました。ですから、もし謙信が景勝と家臣によって殺されたとなれば、そちらの方がすぐさま”改易処分”をされるのは必定。だからこそ、それを隠すために彼らは謙信を必要以上に”義人”として扱うしかなかったのではないでしょうか(聖徳太子=蘇我入鹿説を唱える人は、聖徳太子が必要以上に”聖人扱い”されるのは、実は彼の”正体”が”朝廷”の人間によって殺された蘇我入鹿だからに他ならない、としています。何か、これに良く似ているのではないでしょうか?)。⑨に関しては、今話題になっている”ダビンチコード”のような”仕掛け”が施されているのではないでしょうか?(聖徳太子の画像も”髭”の部分がどうやら書き加えたらしい事が科学的調査で発覚。これも、もしかすると”仕掛け”があるのではなかろうか?)。というのが僕個人的な見解です。かなり”強引”ではありますけど(汗) で、”問題”なのは、謙信の”死”です。もし、彼が”処刑”されていた、とするならば、それはどのような経緯によって行われる羽目になったのか? そして、その事件を誰がどのように封印したのか? この事を次章で書きたいと思います。 PR
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