忍者ブログ

僕の頭の中にある世界

僕の頭の中にある”疑問”の世界を書くブログ
02 2024/03 1 23 4 5 6 7 8 910 11 12 13 14 15 1617 18 19 20 21 22 2324 25 26 27 28 29 3031 04

03.28.23:30

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

09.25.19:17

STAP細胞は本当に再現できなかったのか!?

昨日出版されたイギリスの科学雑誌「ネイチャー」に、ハーバード大学のグループ等が計133回の”再現実験”で、”STAP細胞”を作ることができなかったと発表していたようです。やっぱり、”STAP細胞”はなかったのか・・・・。って、まだ素直に受け取れないんですよね。まだまだ、何かひっかる部分があるんです。そもそも、”実験”をしたのがアメリカの”ハーバード大学”、”掲載”されたのがイギリスの科学雑誌「ネイチャー」。どうも”裏”があるんじゃないか?と疑いたくなるんです。そこで、今一度、”STAP細胞”が発見されてから今日に至るまでの経緯を書きたいと思います。

まず、”STAP細胞”とは、正式には”刺激惹起性多能性獲得細胞(しげきじゃっきせいたのうせいかくとくさいぼう)”と呼び、動物の分化した細胞に弱酸性溶液に浸すなどの外的刺激(ストレス)を与えて再び分化する能力を獲得させたとされる細胞。2014年1月に小保方晴子(理化学研究所)らが、チャールズ・バカンティ(ハーバード・メディカルスクール)や若山照彦(山梨大学)と共同で発見したとして、論文2本をネイチャー1月30日に発表し、発表直後には、生物学の常識をくつがえす大発見とされ、小保方が若い女性研究者であることに注目した大々的な報道もあって世間から大いに注目されるも、論文発表直後から論文の”不正”や様々な"疑義"が指摘され、同年7月2日に著者らはネイチャーの2本の論文を撤回することになり、その責任を負う形で、小保方氏の上司にあたる笹井芳樹京都大学再生医科学研究所教授が”首つり自殺”をしてしまいます。その後も検証実験を続けていた理化学研究所は、ハーバード大学立ちあいのもと同年12月19日に”最終実験”を行い、「STAP現象の確認に至らなかった」と報告し、実験打ち切りを発表。更に、同25日に”研究論文に関する調査委員会”によって提出された調査報告書は、STAP細胞・STAP幹細胞・FI幹細胞とされるサンプルはすべてES細胞の混入によって説明できるとし、STAP論文はほぼ全て否定されたと結論するに至ります。

まぁ、細かい専門的な内容は全く理解できないので(苦笑)、ざっとこんな感じにまとめてみました(笑) で、まず”疑問”に感じたのは、当初の発表は小保方氏一人ではなく、ハーバードのバカンティ氏や山梨大学の若山氏との”共同発見”だったにもかかわらず、何故バカンティ氏と若山氏は”STAP細胞”の疑問点を見抜けなかったのか?ということです。更に、この発表がいつしか小保方氏一人の責任みたいになってしまったことです。そもそも、雑誌「ネイチャー」に掲載された後に”疑問”が飛び交うこと自体が疑問です。また、「ネイチャー」の編集者も何の疑問も持たずに、この論文を掲載したのだろうか? どうも、この裏に何かしらの”トリック”があるのではないでしょうか。もしかすると、はじめから”STAP細胞隠蔽”と”小保方潰し”を計っての「ネイチャー」誌への掲載だったのではないでしょうか。だとすると、その理由は何故だったのでしょうか? よく言われているのが理化学研究所の幹部、更にはハーバード大学の教授達が”若い女性研究者”である小保方氏に嫉妬し、そしてその成果を横取りしようとしていた、ということです。もう一つは”STAP細胞”が正式に公認されてしまうと、これまでの医療の形態が大幅に変わってしまい、”医療ビジネス”に多大な影響を与えてしまう、ということです。確かにこういった”陰謀”が絡んでいる可能性はあるでしょう。しかし、そうなると、その後小保方氏の”恩師”である笹井教授が”論文撤回”の責任を取って自殺する訳ですが、確かに小保方氏はとんでもないことをしでかしたのかもしれませんが、なにも”自殺”する必要もなかったのではないでしょうか。で、ふと思ったのが「本当に自殺だったのか?」という疑問です。もし、笹井教授の”自殺”が実は”他殺”だったとしたら、この背後にはものすごく深い”闇”が潜んでいる可能性があります。

”世紀の大発見”から一変、”偽造”、”捏造”が指摘され、再度の実験では”STAP細胞”等確認されず、しまいには”ES細胞”が混入していたことが発覚。更には、理化学研究所から「ES細胞が盗まれた。」なんて話も出てきてしまう始末。そして、最終的には「STAP細胞は存在しませんでした。」ってことで、”一件落着”ですが、それこそ”UFO隠蔽”になんか似ている感じがするんですよね。話が出来過ぎている感じもするんです。しかも、”死者”まででている! 更に、それでも小保方氏は「STAP細胞はあります!」と言い続け、未だに”捏造”を認めていません。本当に、小保方氏の”捏造”だったら、とっくに彼女は白状していると思います。ところがそうでない以上、やはりなんか”裏”があると思った方がいいのでしょう。では、この一連の”STAP細胞騒動”の裏には何があったのだろうか? 

まず、この”事件”には”イギリス雑誌ネイチャー”と”アメリカハーバード大学”が関わっているんです。つまり、”イギリス”と”アメリカ”が絡んでいるんです。以前の記事で書いた”ミステリーサークル”と一緒です(笑) 何が言いたいかというと、”STAP細胞”のような”万能細胞”があれば、それを”軍事目的”に利用することができるんですよ! このような”医療技術”を隠し持っていれば、いざ”戦争”になって自軍の兵が負傷しても、早急に完治させることができるんです。だから、他の国が知らない方が自分たちは”有利”になるんですよ。となると、これは”理化学研究所幹部”や”ハーバード大教授”の”嫉妬”や”手柄横取り”なんて言うレベルの問題じゃなく、しっかり”軍事的利権”が絡んでいる、という事ではないでしょうか? むろん”医療利権”も絡んでるでしょう。”プラズマエネルギー”を”資源”と認めない様に(そうなると、”石油利権”を持っている連中が金儲けできませんからね。)! もっとも、”嫉妬”や”手柄横取り”という意味合いもあるでしょうけど、それは”個人レベル”の問題ではなく、”国家レベル”の問題なんだ、という事です。

しかし、小保方氏、それから彼女を陰で支えていた故笹井教授の”熱意”もむなしく、”STAP細胞”は”闇”に葬られてしまいました(悲) もっとも、ここで僕が書いているのはあくまでも”個人的憶測”ですから、その”真相”はまだ”謎”のままですが、小保方氏は、今後どのような思いでこの先生きてゆくのでしょうか? 本当に彼女が”潔白”だったとしたら、正直不憫で仕方ありませんね(哀)
PR

09.25.09:46

ズバリ!超常現象は存在するのか!?

まぁ、ずいぶん”直球”のタイトルにしてしまいましたが(汗)、このまま放っておくと本当に”超常現象”なんて存在しない、なんてことになりかねないので、実際に”超常現象”が存在するのか否かを僕の持論で説明したいと思います。

まず、”否定派”の人はよくこういうことを言います。「見たことないから、信じないんだ!」と。これって正直自己中心的な見解でしかないと思います。僕も、実際見たことはありませんが、しかし、”目撃情報”はたくさんある訳じゃないですか。無論、”フェイク情報”もかなりあるでしょうし、”見間違い”もたくさんあるでしょう。特に、このような話は昔から伝承などでも言い伝えられていますが、それに対して”否定派”は、「科学が発達していない時期の話なんだからあてになる訳ないでしょう。」と一蹴してしまいます。果たして本当にそうなのだろうか? 僕は”逆”だと思います。

”超常現象”にまつわる話は世界各国でもかなり昔から言い伝えられており、”記録”にも残っているものが結構あります。”神”や”霊”は普通に信じられていたし、”未確認生物(UMA)”も”妖怪”という形で言い伝えられてきました。また、”UFO”に至っては、古くは日本の”古事記”にも”天の浮舟”という名前で載っているし、江戸時代の記録では”釜”のような形をした”UFO”らしき物の絵まで記載されています。にもかかわらず、”否定派”の意見はこうです。「科学が発達していない時代の話なんだから、ほとんど”見間違い”や”錯覚”以外に考えられない。科学が進歩すれば”超常現象”がないことが証明されるんだ!」と。事実、本当に”錯覚”だったものも結構あると思いますが、だからといって未だに”超常現象”と言われるものが残っているのも事実です。となると、本当に”科学”が進歩すれば”超常現象”が全て”錯覚”だったことが証明されるのか?というと、そうではないと思うのです。むしろ”逆”なのではないかと。

なぜなら、”科学”が発達していなかった時代には、人間は”自然”とともに暮らしていました。だからこそ”霊”のようなものは見やすかったのだろうし、人間を含め多くの生物たちも今よりも”感覚”が優れていただろうから、”超能力”みたいなものも発揮しやすかったのではないでしょうか。また、”妖怪”と言われてきた”UMA”もかつては住む所がいっぱいあったから頻繁に人前に姿を現していたでしょう。また、いくら”科学技術”が未発達だったとはいえ、古代の”建築技術”、”測量技術”、”観測技術”は現代に匹敵するぐらいに精度が高かったことは事実だし、それを最も証明しているものがエジプトの”ピラミッド”なんです。更には、そのエジプトの壁画からは”電球”を思わせるような絵が発見されているし、メソポタミアの遺跡からも”電池”を思わせるものが発見され、それ以外にも世界各国から古代には有り得ないはずの物、いわゆる”オーパーツ”が発見されていることから、実は古代にも優れた”科学技術”があった可能性があるのです。

しかし、仮に古代に優れた”科学技術”があったとしても、それがいつしか忘れ去られ、18世紀半ばにイギリスで起こった”産業革命”によって、本格的に”科学技術”が世界的に発展していった訳ですが、その後世の中はどうなりましたでしょうか? 確かに、多くの”乗り物(電車、自動車、飛行機等、果てはロケット)”が開発され、多くの”電化製品(電話機(後に携帯電話、スマートホン等に発展)、蓄音機(後にステレオに発展)、ラジオ、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、掃除機、ビデオデッキ、パソコン等)”も製造され、”鉄筋コンクリート”による”高層建築物”も建てられるようになり、世の中便利になりました。しかし、その”代償”として、多くの自然は破壊され、大気も汚染されたばかりか、人間の心も”物欲主義”によって穢れていったのは事実。昨今の人々が”超常現象”を見にくくなったのは、”科学”の発達によって”超常現象”がただの”錯覚”だったことが徐々に判明したから、という訳ではなく、それによってもたらされた”自然破壊”、”大気汚染”、”物欲主義”によって”超常現象”的なものを感じにくくなっただけに過ぎないのだと思います。

このようにして、多くの人々は”超常現象”の存在に対しては次第に否定的になっていったのは確かだと思います。でも、どうも”西洋人”と”日本人”ではそこら辺の意識が少し違うように思えるんです。多くの”西洋人”は”産業革命”以降は、”超常現象”に対しては次第に否定的になっていったと思います。しかし、それはあくまでも”表向き”の話。”産業革命”とは、裏を返せば”軍事革命”でもあるんです。実は、この頃”超常現象”を表向きには否定するように仕向けた裏で、一部の科学者にそれらを徹底的に研究させ、”軍事機密”に用いる計画が既にあったんじゃないか?と僕は疑っているんです。しかし、このような計画が実現出来ないうちにそれに先立って完成させてしまった国があったんです。その国とは、”ナチスドイツ”なんです。ナチスが”オカルト”にはまっていたのは有名な話ですし、それによって彼らは”最新ジェット機”や”ミサイル”等を発明し、実は”UFO”のようなものも開発していた(厳密には”円盤型戦闘機”で、どうやらこれらが後に”アダムスキー型UFO”として伝えられるようになったとのこと)という話さえあります。また、ナチスの背後には”ブリル協会”という組織があり、”悪魔”と交信していた?という話があります(現に、ヒトラーは著書「我が闘争」の中で、自分が”何者か”に憑依されていたかのような事を書いているとのこと)。あとは、彼らの配下にはおそらく”超能力者”も多くいたと考えられます。しかし、最終的にはアメリカ、イギリス、ロシアを中心とした”連合国軍”に敗退し、その後ナチスに関わっていた技術者は(おそらく超能力者も)アメリカ軍に引き抜かれたようです。となれば、現在のアメリカ軍は”超常現象”を”軍事機密”に利用している可能性が極めて高いと言えるでしょう。

でもって、そのアメリカを筆頭とする”西洋諸国”が、日本人に対してかつてどのような印象を受けていたのだろうか? 彼らが本格的に日本に来るようになったのは幕末の”日米修好通商条約”以降ですが、おそらく多くの西洋人が当時の日本人を見てこう感じたでしょう。「日本人は、必要以上に”神”や”霊”を敬っている。」と。その多くが敬虔な”クリスチャン”である西洋人にとってそれは非常に清いことであると感じたと同時に、それを”危険視”した可能性があるんです。事実、明治時代になり、やがて各国で”戦争”が起こるようになると、日本は”欧米諸国”に比べて”軍事力”が劣るにもかかわらず、”日露戦争”で”大国”ロシアに勝利し、その後あれよ、あれよと勝ち進み、気が付いたら欧米に肩を並べるほどの”軍事大国”になってしまいました。そこには、日本人の”神懸り精神”があったからに他ならないんです。そして、それに恐れをなしたアメリカは、1945年8月6日に広島、9日に長崎に当時の”再先端兵器”だった”原子爆弾”を投下して”太平洋戦争”を終結させます。それから、日本は”連合国軍総司令部(GHQ)によってしばらくの間統治されることになりますが、この時に”GHQ”は日本人の”神懸り精神”を削ぐ策を打ったのではないか?と僕は考えているんです。

”GHQ”は、”日本統治”にあたって、まず天皇を”人間宣言”させ、”国家元首”から”象徴”という扱いにするように政府に指示し、”軍”を解体させ、そして”憲法改正”を指示するなどしましたが、その中で”GHQ”は日本のあらゆる組織をアメリカの都合のいいような形に変えさせたのは間違いないでしょう。”政府”はもとより、”警察組織”もそうでしょうし、その中には”大学”もあったと思います。もっとも、伊藤博文が明治政府を牛耳るようになってからは、あらゆる組織が”官僚体質(言ってみれば、政府の都合のいい人間を”高い官職”に就けて、”有能な人間”をあえてその下に置いて監視させる)”的な仕組みにはなっていたでしょうが、”GHQ”はそれを更に”アメリカ寄り”にしていったのではないでしょうか。そういう中で、”大学”は、いつしか”有能な学者”はあくまでも”現場の指揮”に徹底させられ、その上役に”権力主義学者”を置いて”有能な学者”達を監視し、何かあれば厳しい”処分”を与える、という仕組みになっていったのではないでしょうか。そのために、あらゆる学科の”定説”を覆すような説が出ると、”学会有力者(権力主義学者)”がこぞって潰しにかかるのではないでしょうか。

しかし、いくら”強い権力”を持った”学会”が立ちはだかろうとも、多くの日本人は”超常現象”をそのまま信じていたのです、80年代後半までは。しかし、80年代から90年代に移ろうとしている頃に”ミステリーサークル”がイギリス各地の麦畑に出現し、それに対して”プラズマ説”をといた当時の早稲田大学物理学教授(現名誉教授)の大槻義彦氏の登場によって、次第に”否定派”に鞍替えする人が増え、その後日本テレビ系で放送されていた「特命リサーチ2000X」のように”現代科学”によって”超常現象”を否定する内容の番組が放送されるようになってからは、ますます”否定派”に分が良くなるようになっていきました。もっとも、この裏で、多くの日本人(特に若者)は何かしらの”マインドコントロール”をかけられていたのではないか?と僕は疑っているんです(このちょっと前の時期にとある”ロックシーン”ととある”アイドル”がまるで洗脳されたかのように多くの人に支持されたことに少々違和感を感じたことがあったんです)。

てな訳で、僕はこのように解釈しているのですが、実際の所はその”真実”はわからない訳だし、現時点では”超常現象”が完全に”否定”された訳ではありません。ただ、一つだけ言えることは、”太古”から現代にまで語り継がれている”不思議な現象”を全て”錯覚”か”嘘”で片づけるのは乱暴すぎるのではないか?ということです。このような事象が本当に存在しないのであれば、とっくに学会で発表されなければおかしいですからね。表立って”否定”する割には正式に発表できないのは、実際は”存在する”からであり、強引に発表したとしても”大物勢力(巨大宗教団体、更には巨大国家(ロシア等))”の反論を受ける可能性があるからではないでしょうか。

09.21.09:37

ガリレイ裁判の真実

前の記事でも書いたように、今の日本には”超常現象”を信じる人は大分減ってしまったのは事実です。もっとも、”否定派”の人は昔からいましたけど、こういった”否定派”の”否定派”たる信念には、17世紀ヨーロッパの”ある事件”が関わっており、彼らが窮地に立たされると、決まってこの事例を”切り札”として持ち出します。その事件とは、”ガリレイ裁判”なのです。”ガリレイ裁判”とは、1616年(日本では徳川家康が死去した年)に、イタリアの物理学者にして天文学者だったガリレオ・ガリレイの唱えていた”地動説”がローマ教会によって裁判にかけられ、以降”地動説”を唱えることが禁止され、ガリレイも生涯ローマ教会の監視下における苦しい生活を強いられた、という事件です。こうなった理由として、当時のローマ教会(カットリック教)の教義が”天動説”だったから、と言われてきましたが、どうもこの話は19世紀に作られた”作り話”だったようです(呆) その”真相”は、どうやらほぼ確信的になった”地動説”によって教会に対して発言力を増していったガリレイへの修道士達の”不満”によって起こったものだったようです。裏返せば、当時の”カトリック教徒”そのものが”科学”に対して無知だった訳では決してなかったのです。でも、このことが原因で、現在では”科学”と”宗教”ひいては”超常現象”が”相容れないもの”とされ、”科学びいき”の人の多くは、”宗教の教義”は、全て人間が作った”創作神話”であり、”超常現象”もその多くは”科学未発達による勘違い”か、果ては”インチキ”と決めつけてしまっているんです。そういった意味でも、こういった経緯に至った背景を説明しておく必要があると思います。

まず、古代の天文学者、哲学者、物理学者の多くは地球を中心に他の星が公転するといった”天動説”を唱えていましたが(実はこの頃も”地動説”を唱えていた人はいたようです)、”大航海時代”に突入し、”羅針盤”が登場すると、”星の動き”に矛盾点がみられることが発覚。それに対して”地動説”をもってそういった”矛盾点”を解決しようとした人物が、”カトリック祭司”だったニコラス・コペルニクスです。そう、”地動説”を事実上この世に轟かせた最初の人物は、何と”カトリック祭司”だったんです! これで、ちょうど彼が死んだ後(1543以降)日本に渡来したカトリック宣教師が、荒廃した仏教徒(比叡山や本願寺などの僧)を”皆殺し”にした織田信長によって手厚く”庇護”されことも納得がいくのです(ちなみに、この時の宣教師は、信長に地球が丸いこと、更には”自転”と”公転”をしていること、そして”地動説”を教えて、信長もそれを受け入れたようです。)。しかし、コペルニクスもその当時には”万有引力”の定義がまだなかったため(1665年にイギリスの哲学者・アイザック・ニュートンによって万有引力が発見される。)、高速で回転しているはずの地球上でその動きが感じられないのと、空を飛んでいる鳥が置き去りにされないこと、更には真上に投げた石が同じ場所に戻ってくることの理由が説明できず、やがて”天動説”を支持する者が増えてしまったようです。

されど、それでも”コペルニクス論”を支持する者は何人か登場し、”ケプラーの法則(惑星の公転軌道の法則(①楕円軌道の法則、②面積速度一定の法則、③調和の法則)”で有名なヨハネス・ケプラーによって地球の”公転”が証明され、そして、そういった理論を継承したガリレオ・ガリレイによって、”慣性の法則”の発見、””木星の衛星”、”金星の満ち欠け”の観測、更には”太陽の自転”等を確認することによって、”地動説”が優位になっていきました。ただし、この時はまだ”アイザック・ニュートン”はこの世に生まれていなかったので、鳥が空中に置き去りにされないこと、真上に投げた石が同じ場所に戻ってくること等は証明できずにいたようです。しかし、ガリレイは、”地動説”が確信的になると、ローマ教会に聖書の教義に”地動説”を載せるように働きかけ、しまいには当時のローマ教皇・ウルバヌス8世にまでそれを直訴して無理矢理許可を得ようとしていたので、ローマ教会の多くの司教達に反感を買ってしまったことが、その後の”裁判”に発展してしまった、という事だそうです。つまり、元々”ローマ教会”が”地動説”を否定していた、というよりは、ガリレイの強引な行動が結果的にローマ教会全体が”地動説”を否定せざる負えない状況へ導いてしまった、という事ではないでしょうか。

しかし、年代が下ると、”歴史”というものには洋の東西を問わず、”敗者”には”美談”が付いて回るのです。日本でいえば”忠臣蔵”がいい例です。”史実”では”敵役”とされた吉良上野介は本当は”名君”だったようですし、むしろ浅野内匠頭の方が”癇癪持ち”で、もっと言えば”バカ殿”だったのでは?という説もあるようですからね。源義経も実際には平家の兵が乗った舟の船頭をも殺している訳だし、坂本龍馬らの幕末の”土佐下級武士”も藩主・山内容堂や上士達によって必要以上の”差別”と”迫害”を受けていた、という話も本当かどうかは怪しいですからね。確かに、ガリレイを裁判にかけ、更には”罰”を与えたローマ教皇とローマ教会の人間は”権力”という化け物に憑りつかれていた事は確かなのでしょう。しかし、そのせいで”カトリック教”そのものが”虚構の塊”というレッテルを貼られてしまったのは事実です。まぁ、こういったことが原因で、やがて”プロテスタント派”が枝分かれすることになったのでしょうけど、結局は”宗教そのもの”に問題があるのではなく”権力”に問題があるのだと思います。そういった意味では、今の日本の学界だって、十分”権力の塊”に思えてならないんですがね(苦笑)

さて、となると、織田信長の時代に日本に渡来していたポルトガルの”カトリック宣教師”達は、信長に”地球が球体である事”、”地球が自転、公転をしている事”、”地球が太陽の周りをまわっている事(地動説)”を教え、信長はそれを受け取ったようですが、その当時はすでに”コペルニクス論”はあまり支持されなくなっており、カトリック教徒の間でも”天動説”の方が優位になっていたはずなのです。にもかかわらず、当時来日していた宣教師達は何故”地動説”を説いていたのか? 僕は、この時に日本に来ていた宣教師達が、実は”ただの宣教師”ではなかったんじゃないか?と考えているのです。かなり優秀な宣教師だったのではないでしょうか。だからこそ、信長は彼らを手厚く庇護したのだと思います。では、彼らを取りまとめていた”イエスズ会”は、何故そのような優秀な宣教師を日本に差し向けていたのだろうか? よく言われているような”日本征服計画”がその裏であったからなのだろうか? 確かに、その可能性もあるのでしょう。しかし、僕はこの”イエスズ会”というのが、実は”原フリーメーソン”だったのではないかと考えているんです。飛鳥昭雄氏は、「実は日本には古代から”フリーメーソン”が存在していた。」と言っていますが(おそらく”八咫烏”を中心とした秦氏勢力)、となると、ヨーロッパにも”宗派”にとらわれないキリスト教徒の”結社(フリーメーソン)”が古くから存在していてもおかしくないんです。となると、彼らは偶然日本に来たのではなく、もしかすると”秦氏一族”に招聘された可能性もあるのではないでしょうか。

09.17.10:13

超常現象に対する昨今の国民の反応

相当久しぶりに書き込みます(汗) 実は、ここ最近大分暇になったので(というか現在失業中(苦笑))、ちょっと迷いましたが久しぶりに書き込みをしたいと思います。

昨今のテレビ番組を見渡すと、”超常現象”的なものを扱う番組って大分減ってしまいましたよね(悲) たまに、それ系の番組をやるにはやるんだけど、どう考えても「これ”インチキ”だろ?」と一目でわかるような(というよりも、確実に”フェイク”であることが発覚している)動画を流して、まるで視聴者に対して「こんなもの本当にあると思います? こんなもの全部”嘘”なんですよ!」訴えかけるような内容のものだったり、あとは反対に”超常現象”を否定するような番組なれど実際やっていることがミスターマリック以降高度になりすぎてしまったマジックを”超能力”のような設定にして、それのトリックを暴いてまるで”超能力”が存在しないかのように仕立て上げるものだったり、もはや、マスコミの”超常現象”に対する態度はかなり冷やかになってしまっているし、それ以前に世間的にも(特に若い世代は)”超常現象”に興味を持つことはおろか”否定的”になってしまったのは事実だと思います。しかし、このようになった背景に、実は”国家的策謀”があったことを疑う人など、ほとんどいないでしょうね(呆)

1980年代後半辺りまでは、日本のマスコミは”超常現象”に対してはかなり寛容で、事実”幽霊”や”UFO”等を真剣に取り上げる番組が結構多かったのは確かです。しかし、その裏で”視聴率確保”のために”やらせ”をやっていたことも確かだと思います。されど、全てが”やらせ”という事ではなく、時には科学者も交えて真剣に追及するものもありました。かの有名な霊能者・宜保愛子氏に対しても科学者が立ち会い、かなり”肯定的”な意見も得られていたのです。ところが、”あるもの”が世間を騒がせるようになってから、マスコミの態度は次第に急変していったのです。それは”ミステリーサークル”がイギリス各地で出現したからです。当初は、「UFOの着陸痕か?」とか、「宇宙人のメッセージか?」という噂が立ちましたが、そのような噂に立ちはだかるようにメディアに登場したのが”火の玉博士”で名を轟かせたプラズマ研究の第一人者・早稲田大学の大槻義彦教授(現名誉教授)なのです。彼はこれに対して「こんなのはUFOの仕業ではありません。”プラズマ”によって全て解明できるんです!」と豪語。”ミステリーサークル”ばかりか”心霊現象”、”UFO”に関しては全て”プラズマ”で解明できる!と言い切ったんです。しかし、今度はアメリカから[UFOに関する極秘文書」なるものが出現し、1947年にアメリカ・ニューメキシコ州ロズウェル付近でのUFO墜落事件(ロズウェル事件)の際に、実は生き残った宇宙人(いわゆるグレイタイプ)がいて、彼らを墜落したUFOごとネバダ州にある”エリア51”という軍事施設にかくまい、そこで宇宙人たちとある”密約”を交わした、というような内容のもので、それらをアメリカの”軍事機密”として秘密結社”マジェスティック12”を結成し、さらにこうした秘密を暴露しようとした第35代大統領ジョン・F・ケネディを暗殺した・・・、という話も出ましたが、大分後になって”嘘”であることが発覚! 一方では、”ミステリーサークル”も次第に複雑怪奇な形のものが描かれるようになったのですが、こちらでも怪しげなおじさん2人組が現れて、「実はミステリーサークルを作ったのは私たちです!」と暴露し、木で作った道具で実際”ミステリーサークル”を作ったのですが、正直規模も違えば見た目も違うんです。にもかかわらず、大槻教授は平然と「ホレ見た事か! これは彼らのイタズラです! でも、中心の円形の部分だけは間違いなく”プラズマです!」と持論を正当化するような発言をしていました。僕はこれを聞いて、「この人どうも怪しい。」と思ったんです。ところが視聴者の多くはどうも大槻教授の方を信じちゃったようなんです(呆) この時、日本人って何って単純なんだ!と思い知らされました。

このようにして、次第に”大槻説”が定着していき、更にとある週刊誌が「宜保愛子は悪徳霊能者である」という記事を載せ、その被害者と称する人が「彼女に除霊をお願いしたところ高額な金額を取られた上、全然効果がなかった」みたいなことを証言した、というような記事が載り、そしてそこにかこつけた大槻教授が「宜保愛子はまさしく悪徳霊能者で、ただの詐欺師だ!」と豪語して週刊誌の中で宜保愛子氏を激しくバッシング! やがて、彼女はすっかりメディアに登場しなくなり、気が付いたらお亡くなりになっていました(哀) 一応”病死”という事なのですが、本当に病死なのか?と僕は疑っているんです。で、今思うと宜保さんはなんか今でいうところの小保方晴子さんに重なるような気がするんです。小保方氏の件にしても、どうも”裏”があるように思えてならないんです。そして、その後、これまでと違って日テレ系で放送されていた「特命リサーチ2000」のような”超常現象”を否定する内容の番組が放送されるようになり、多くの”超常現象”が”現代科学”で解明できる、としてこういった説も次第に世間に浸透していったのは事実です。

でもって、一連の”ミステリーサークル”の件ですが、”サイキックエンターティナー”で漫画家の飛鳥昭雄氏の著書には「”ミステリーサークル”は、アメリカの”プラズマ兵器”の実験として作られた」と書かれていました。飛鳥氏も最近ではかなりいかがわしい噂が飛び交っていますが、僕はこの説が最も信憑性が高いと思っています。実は、日本のメディアが一変して”非超常現象”という態度を取るようになったのは、まさに”ミステリーサークル”がアメリカの”軍事機密”に関わるからだ、という事ではないでしょうか。”アメリカの軍事機密”はそのまま”日本の軍事機密”にもなるんです。何故なら、日本の”軍事権”はほぼアメリカに託しているようなものですからね。そして、そのために政府はマスコミに”圧力”をかけ、一方で大槻教授を”協力者”として(おそらく多額の金を払ったんじゃないか?)”超常現象潰し”を計ったのではないでしょうか。まぁ、アメリカの”UFO極秘文書”と”秘密結社マジェスティック12”も怪しいですが(しかし、この実態は米国軍産複合体の中枢12人によって結成された”米国影の政府”であり、彼らは”エリア51”で新兵器(プラズマ兵器等)開発をしていたのがどうも真相のよう)、大槻教授の説も、冷静に考えてみれば、”自然プラズマ”であれだけ大規模になるケースはかなり珍しいはずだし、仮にああいったものができたとしても、多くは高熱を発生するものであるはずなので、多くの麦畑で”火事”が起こらなければおかしいんです(実際、”自然プラズマ”で発見されているものは地下鉄内でできるせいぜい直径10cm前後のもので、大槻教授が実験で作ったものもそのくらいの大きさです。)。しかし、それを誰も疑わない! 正直、こちらの方が僕は信じられないんです。まさに「Why Japanese People!?」ですよ!

この一件以来、次第に日本のマスコミは”超常現象”に対しては”否定的”な方向に向かうようになり、もはや”心霊現象”も”電磁波”で脳を刺激すれば霊のようなものを見る、という事も発覚し(霊の正体が意思を持った”プラズマ”であれば、その霊が電磁波で人の脳を刺激すればその人は”霊”を見ることができるはずなんです!)、一方では、”CG”の技術を使えばいくらでも”嘘”の”超常現象動画”も作れるので、”否定側”の人間はこういったものを多数動画にして、あとから”すべてCGです”と暴露すれば、”超常現象=インチキ”という事にできるんです。しかし、多くの日本人は”否定側の策謀”を微塵も疑わずに”超常現象”のみを疑うようになる。まぁ、だから世の中どうなるわけでもないんだけれど、でも正直僕は「日本人はこれでいいの?」と思ってしまうんですよね。ただ、”インチキ霊能者”、”インチキ宗教家”には騙されにくくなるからそれはそれでいいのかな・・・。

02.16.11:56

東日本大震災の時も発生していた!? -タイムスリップは実在するか?-

最近、ドラマ等で”タイムスリップ”を題材にしているものが結構あります。現在の医師が坂本龍馬のいる”幕末”にタイムスリップしたストーリーの「仁-JIN-」とか、現在のフランス料理店のシェフが織田信長のいる”戦国時代”にタイムスリップしたストーリーの「信長のシェフ」とか、昨年TBS系で放送されていた、未来のアンドロイドが現在にタイムスリップしてある女性の命を守るというストーリーの「安藤ロイド」とか、現在フジテレビ系で放送されている、戦国時代の女性忍者(くの一)が現在にタイムスリップして、雇い主らとともに悪人たちを成敗するストーリーの「天誅~闇の仕置き人~」等があります。何故、ここ最近このような”タイムスリップ”を題材にしたドラマが多いのだろうか? これって、もしかすると”タイムスリップ”というものが実在する可能性を示唆するために意図的に制作されたものだとしたら?・・・

実は、”タイムスリップ”としか思えないような”体験談”が古くから多数あるようです。まず、1901年8月10日、イギリス人女性2人がフランスの”ベルサイユ宮殿”を観光した際、当時のベルサイユ宮殿とは全く違う風景の宮殿を歩いていて、そこに歩いている人の服装等からどうやら”フランス革命時代”の人々と酷似しており、その内の一人の芝でスケッチを描いていた女性が絵画で見る当時のフランス王妃、マリー・アントワネットにそっくりのようで、しかも、当時はまだ発見されていなかったはずの橋を渡っており、その橋が描かれた絵画がその2年後に発見されたことから、どうやらこのイギリス人女性2人が、どうやら”フランス革命時のベルサイユ宮殿”に迷い込んだ可能性があり、実は”8月10日”というのが、”8月10日事件(1792年、フランス国王一家が避難先のテュイルリー宮殿で身柄を拘束され、警護にあたっていたスイス衛兵隊が民衆に虐殺された事件)”が起こった日である、ということです(怖)また、1960年、個人パイロットのエドウィン・アルバート氏が新しいセスナ182型機でアメリカ上空を飛行していた最中、突如としてセスナ機の前に別の小型飛行機が現れ、2機は接触したものの軽い接触であったため、幸いお互いの飛行に影響する事はなかったが、アルバート氏が後ろを振り返って接触した飛行機を見ると、その飛行機は大昔にすべて解体されたはずの古いレアード複葉機であり、アルバート氏はその機体がすべて解体されていることを確認するも、一機だけオハイオ州の小屋に保管されていることを知ると、そこを訪れたアルバート氏は、その複葉機にセスナ機の破片が食い込んでいるのを発見し、更に、操縦席の飛行日記には、「今日、見たこともない奇妙な金属製の飛行機と接触し九死に一生を得た。あの飛行機はどこから来たのだろうか」という記事を発見(FBIの検証では、1932年頃に書かれた飛行記録であることが判明)、というエピソードがあります。それから、1963年西ドイツにて、交通事故に遭い重体となり、奇跡的に意識を取り戻した少女が、「ここはどこ?」「私はなぜここにいるの?」と習ったことのないイタリア語で話すと、「私の名は、ロゼッタ・カステラーニ。イタリアのノヴェンタ生まれです。私にはブルーノとフランチャの二人の子供がいます。」などと話した、といったエピソードや、フランスの作曲家ジャン・フィリップ・ラモーの1710年の手記の中に初めて登場するはずのフランスの貴族サン・ジェルマン伯爵が、その50年後のフランス国王ルイ15世の愛人マダム・ポンパドールの主催するパーティにベルサイユ宮殿に現れるが、いずれも50歳ぐらいの年齢に見えたようで、更に、彼の記録は1785年のフリーメイソンの会合、1821年のステファニー・フェリシテ女史の手記にも残されているが、いずれも50歳くらいの年齢であった、というエピソードがあります。おそらく、もっと事例はあるはずなので、以前フジテレビで放送されている「奇跡体験!アンビリバボー 」で放送されていたはずの事例がネットで見当たらないので、とりあえずこの辺で割愛させていただきます。

しかし、このような事例は、これだけにはとどまりません! どうやら、”東日本大震災”の際にも起こっていたようなのです!! その内容は、震災によって避難していた被災者の一団が、ワゴン車で被災の現場に戻る際、小道を走っていたワゴン車が突如異様な形をした“雲”のようなものに突入し、その間、数瞬間、ドライバーも含めて同じクルマに乗り合わせた全員が、クルマの両側に昔懐かしい古風な村落の風景や人間を目撃し、しかも、それは昔は昔でもどこかひどくちぐはぐで違和感を感じさせる奇妙な景色だったようで、体験者の一人で避難者グループに付き添っていた警防団員の証言によれば、古い写真でよく見るような英国のビクトリア王朝時代と、日本の江戸時代をミックスしたようなへんてこな光景で、シルクハットの紳士たちと顔をペイントした着物姿の娘たちが腕を組んで歩いているかと思えば、向こうでは伝統的な侍姿のいかつい男たちが闊歩していた、というものであり、他にも、震災4日目の3月15日、被災者のとある主婦の夫ががほんの一瞬間だけ目の前に開いた“時空の穴”に吸い込まれるのを目撃する、というエピソードがあり、主婦の証言では、その“時空の穴”が閉じた時、落雷のような音が響きわたったようで、彼女の夫はその後行方不明になっているとのこと。しかし、こういった事例を研究しているとある女性教授の調べによると、彼女の知人である警視庁の刑事の情報から、行方不明になった主婦の夫と同姓同名の男性が、1981年当時、その刑事の勤務する所轄署に駆け込み、その男性は「“時空の穴”を通って最初は1960年代に出たが、再び“時空の穴”に吸い込まれたら、今度は現代(当時)の1981年3月15日に出現した」と話したようだが、その後その男性の行方は分かっていない模様。そして、これらと似たような事例は1986年4月26日に起こった旧ソ連の”チェルノブイリ原発事故”の際にも報告があったようで、チェルノブイリ住民たちが、多くの“時空の穴”現象を体験して、2世紀前の帝政ロシア時代や、1世紀半前のナポレオン戦争時代の、過去の光景を覗き見たことが記録されていたり、住民が“時空の穴”に踏み込んだまま戻ってこなかったケースも数点報告されているばかりか、その”逆”の現象で、第1次大戦中にドイツ軍が使用したツェッペリン型飛行船が1台そっくり、空中に現れて、チェルノブイリ原発からさほど遠くないプリピャチ市郊外に墜落、爆発したという”過去のもの”が現在にタイムスリップする、といった事例も報告されているようです。

でもって、これらの事象を研究しているとある女性教授の見解では、どうも、”地震”という”巨大エネルギー”と”原発メルトダウン”による”巨大エネルギー”の複合によって”時空のゆがみ”が起こったのではないか、と報告しています。しかし、本当にそれだけが原因なのだろうか? 最初のいくつかの事例では、”地震”や”核メルトダウン”等は関係なさそうだし、しかし、何らかの原因で”時空のゆがみ”が生じたのも事実。で、僕はここのブログを何度も書く中で、最も可能性が高いのが、飛鳥昭雄氏が著書やDVDなどで口を酸っぱくするほど口にする”プラズマ”によって発生した”亜空間”が関係するのではないかと考えています。もしかすると、”プラズマ”はただ単に”亜空間”を形成するだけでなく、”タイムトンネル”まで形成する可能性があるのではないでしょうか。そもそも、”東日本大震災”の事例による”雲のようなもの”や、”時空の穴(プラズマトンネル?)”、”落雷のような音”等はどう考えても”プラズマ現象”としか思えないんです。飛鳥氏の著書等では、地球内部には地球の磁場によって発生したプラズマによって形成された”亜空間”が存在する、と書かれていますが、これが”真実”であれば、”地球内部亜空間(聖書的に”アルザル”、チベット仏教でいう”シャンバラ”)”がこうした”タイムスリップ現象”と大いに関係があると思います。しかし、”東日本大震災”等の”巨大地震”や”巨大台風”等の”超異常気象”の多くは飛鳥氏曰く”プラズマ兵器”によるものだと言われており、”チェルノブイリ原発事故”ももしかすると当時”実験段階”だった”プラズマ兵器”を使用した可能性があると思います。となれば、”東日本大震災”と”チェルノブイリ原発事故”の際の”タイムスリップ現象”には、意図的に使用された”プラズマ兵器”も大きく関係しているのではないでしょうか!

話を最初に戻しますが、”映画”や”ドラマ”の中には、それとなく”非公開の事実”をちりばめるケースが多々ある、という事です。ここ最近の”刑事ドラマ”をみても、昔のように”悪役=凶悪犯ないし暴力団”ではなく、”悪役=警察官僚ないし有力政治家”という方向に変わってきているし、大分前にフジテレビ系で放送された天海祐希主演の「女信長」も信長が”女性であること以外は、実はほとんど”真実”だったんじゃないか?という感じがするし(ここではちょっとしか登場しなかった上杉謙信が”男性”として描かれていたことに注目!)、そして、”タイムスリップ”を題材にするドラマが最近多いのも、”時空のゆがみ”が存在することを密に国民に伝えようとする意図があるように思います。

10.27.12:41

三億円事件の真相

現在、TBS系列で放送されている長瀬智也主演のドラマ「クロコーチ」では、長瀬智也扮する”悪得刑事”が”警察トップ”や”政治家”をゆすって得た”情報”と”報酬金”を基に、20世紀最大の未解決事件「三億円事件」の真犯人を追う、というのが”テーマ”となっています。この中では、渡部篤郎扮する”元神奈川県知事(その前は警察トップという設定)”が”三億円事件”の”黒幕”という設定になっておりますが、本当の”三億円事件”の”真犯人”もやはり”警察関係者”ないし”政治家”だったのだろうか?

まず、”三億円事件”という事件がいかなる事件だったのか? 今から45年前の1968年(昭和43年)12月10日、東京都府中市にある府中刑務所付近で起こった”強盗事件”であり、東京芝浦電気(現・東芝)工場従業員に支払う予定だったボーナス約3億円(現在の貨幣価値に換算すると10億円に相当する)を積んだ現金輸送車が、白バイに乗った”偽白バイ隊員”によってその現金約3億円を奪われた事件です。その”犯行の手口”は、まず、事件の4日前の1968年(昭和43年)12月6日、日本信託銀行国分寺支店宛に「翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破する」といった内容の”脅迫状”が届き、当日、警察官約50名が指定の場所に張り込んだが犯人は現れず、4日後の12月10日9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店から東京芝浦電気府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円(正確には2億9430万7500円)分が入ったジュラルミンのトランク3個を輸送中の現金輸送車(セドリック)が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった所に”白バイ隊員”に成りすました犯人が、オートバイに被せていたと思われるシートを後方に引っ掛けた状態のまま輸送車を追いかけ、輸送車の前を塞ぐようにして停車し、現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って輸送車の車体下周りを捜索し始め、輸送車の車体下に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発煙筒に点火すると、「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と周囲にいた銀行員を避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した、というものです。

この事件は、”三億円強盗事件”とも言われているが、事件のあった日本において、本件犯行は”強盗罪”
には該当せず”窃盗罪”となり、犯人が暴力に訴えず計略だけで強奪に成功していること、盗まれた3億円は日本の保険会社が支払った保険金により補填され(事件の翌日には従業員にボーナスが支給された)、その保険会社もまた再保険(日本以外の保険会社によるシンジケート)に出再していたので損害の補填を受け、直接的に国内で金銭的損失を被った者がいなかったという認識から、及び被害金額2億9430万7500円の語呂から、“憎しみのない強盗”のあだ名もあるそうです。しかし、警視庁捜査において容疑者リストに載った人数は実に11万人、捜査した警察官延べ17万人、捜査費用は7年間で9億円以上が投じられる空前の大捜査となったが、1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)し、1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。日本犯罪史に名前を残す未解決事件となりました。

しかし、通常の”強盗事件”であれば、大抵は”被害者”は殺害され、”犯人”もよほどの事がない限りは逮捕されるでしょう。されど、この”三億円事件”の場合は、通常の”強盗事件”よりも巨額の”3億円”が奪われている上、”被害者”に傷一つつけずに鮮やかな手口で犯行に成功し、未だに犯人が捕まっていないことから、かねてから”警察内部犯行説”や”政治家黒幕説”の噂が絶えませんでした。やはり、ドラマ(原作は漫画)「クロコーチ」のように”警察”及び”政治家”が関与していたのでしょうか? それを今から検証したいと思います。

まず、今から45年前の”強盗事件”の水準を考えると、現在ほど巧妙な手口を使った犯行はほぼ皆無だったと思います。仮に”成功”していたとしても、輸送車を運転していた運転手は殺されるのが普通です。しかし、この事件では誰も殺されていないのです。となると、やはり、”警察”更には”政治家”が裏で糸を引いている可能性は高いと思います。しかし、だとすると、それは何の”目的”で行われたのだろうか? それと、当時の日本の”政治家”や”警察”に本当にこのような”犯行計画”を立てることができたのだろうか? 僕が考えるに、実はこの背後には”別の黒幕”がいるように感じるのです。彼らが、”日本政府”や”警察”に”犯罪計画”を持ち込み、”政府主導”、”警察実行”によって本事件は遂行されたのではないでしょうか。そして、その犯行の”目的”と”3億円”もの大金の使い道ですが、それはちょうど同時期の1967~68年に起こっていた”ベトナム戦争”の援助資金として使用されたのではないでしょうか。となると、本当の黒幕は・・・、アメリカ、という事になってしまいます!

日本という国は、1945年8月15日の”ポツダム宣言”により、”太平洋戦争”での”敗戦”を宣言し、その後マッカーサ率いる”GHQ(連合国軍総司令部)”によって占領され、”軍解体”と”憲法改正”が行われ、更には”経済援助”を受けることで”高度経済成長”とともに”先進国”の仲間入りをしますが、それはあくまでも”表向き”であり、事実上はアメリカの”属国”であることには変わりないのです。その為、”戦争放棄”を宣言した日本は、基本的には”戦争”には参加しませんが、その代わりにアメリカに”軍用資金”を援助しなければなりません。おそらくは、必要以上に要求されている可能性は十分あるでしょう。そして、1967年に勃発した”ベトナム戦争”ではアメリカは劣勢に立たされていました。そのために、急遽多額の資金が必要になるも、当時の日本にはそれほどの資金がなかったのではないでしょうか。そこで、”苦肉の策”として思いついたのが”三億円事件”なのではないでしょうか。この事件が未だに”未解決”なのも、その背後に”アメリカ軍”が関与しているからに他ならないでしょう。日本の”政府”や”警察”のみの力でここまで事件の”真相”を隠蔽できるには少々無理がありますからね。

”三億円事件”に限らず、多くの”未解決事件”には少なからずアメリカが関与しているのではないでしょうか。無論、それを”計画、実行”しているのは”政府”及び”警察トップ”です。最近の”振り込め詐欺”や”不良少年グループの犯罪”にも、多くは”彼ら”が”黒幕”なのではないでしょうか。(”暴力団”の事件に関しては、”政府配下”の暴力団によるものと、”反政府”の暴力団によるものの二つがあると思います。) 最近の”刑事ドラマ”や”探偵ドラマ”の多くは、”警察”、”政治家”、”弁護士”が”黒幕”という設定のものが多いですが、それはあえて実際の事件のほんの一部の”事実”を散りばめただけに過ぎず、こうすることで、この背景に”アメリカ”が関与していることを隠蔽する”策”があるのは間違いないと思います。

08.18.13:06

本能寺の変の真実④ -真犯人!?天海の正体-

天正10年(1582年)6月2日(新暦6月21日)、京・本能寺では実際は一体何が起こっていたのだろうか? まず、信長は”中国攻め”を行っていた秀吉から”援軍要請”を受け、”茶会”の予定があった京・本能寺で宿泊し、その後に中国地方へ向かう予定でした。しかし、これは宗久ら”商人/茶人”が仕掛けた”罠”ではないでしょうか。そして、”協力者”秀吉が信長をおびき寄せるために”援軍要請”をし、更には信長と光秀を引き離すために光秀を自軍の”部将”とするように信長に懇願しています。当然、本来”格下”であるはずの秀吉の”部将”など光秀にはもっての外の話。しかし、これに反論した光秀を信長は叱責し、「近江・坂本、丹波・亀山から出雲・石見へ領地を移封する。」という無理難題を押し付け、光秀を無理矢理”中国討伐”へ向かわせますが、この”領地移封”の話も”秀吉の時代”更には”江戸時代”に書かれた書物の中に書かれていたのであり、実際信長がこういった命令を下していたのかは不明のようです。そして、光秀は居城である丹波・亀山城を出て、進路を突如京へ向け、「敵は本能寺にあり!」と家臣に訴え、京・本能寺に向かう事になりますが、これは本当に信長を討つためだったのだろうか? いや、むしろ信長を救うために本能寺へ向かった可能性もあるのではないでしょうか? 光秀も、”謀反”を唆されていただけに秀吉による”援軍要請”が信長をおびき寄せるための”罠”であることに気付いたのでしょう。しかし、これこそ秀吉の仕掛けた罠だったのでしょう。”本能寺の変”の”実行犯”を光秀に仕立て上げるために!

では、実際に本能寺で信長を襲ったのは誰だったのだろうか? おそらく、井上慶雪氏が著書「本能寺の変・秀吉の陰謀」に書いているように秀吉の妻・おねの親族である杉原家次率いる軍だったのでしょう(他の”光秀冤罪説”を唱える研究者の説では、黒田官兵衛、細川藤孝、蜂須賀小六らの軍も参加していた、という説がある)。となると、信長を討ったのは”秀吉軍”という事になるのだろうか? もし、そこに光秀が大軍を率いて現れたとしたら、”秀吉軍”による信長襲撃は阻止できたでしょう。しかし、本能寺には突如火がかけられ、そして信長をはじめ側近らは自刃。されど、肝心な”遺体”が発見されていないんです。それによって、”地下道”から密に逃げたのではないか?といった説もあるようです。いや、”何者か”が信長を連れ出し、”別の場所”で殺した、という説もあります。そして、”サイキックエンターティナー”にして”漫画家”の飛鳥昭雄氏もかつて著書の中で「信長は”秦氏”によって薩摩に連れ出され”処刑”された。」みたいなことを書いていましたが、更に、最近のある著書では「信長は”陰陽師”天海に殺された。」と書かれていました。飛鳥氏はあくまでも”陰陽師・天海”と書いており”明智光秀”とは書いていないんです。という事は、やはり天海と光秀は”別人”であり、信長を殺したのは光秀ではなく天海、という事になるのではないでしょうか。それでは、何故後の天海にまつわる史跡には光秀とのかかわりが深いのだろうか? それは、ずばり光秀が天海の代わりに秀吉によって討たれてしまったからに他ならないからでしょうか。

天海は、本能寺周辺にて”光秀軍”と”秀吉軍”が戦っている最中、突如本堂に火を放ち、そして、信長を担ぎ上げ、”地下道”を通って本能寺を脱出。その後は、おそらく堺で家康を接待していた今井宗久、津田宗及らを通じて密に堺から海路を通って薩摩へ向かい、薩摩で”秦氏系”の戦国大名・島津義久の立会いの下に信長を”処刑”した、という事なのではないでしょうか。その間、明智光秀は毛利と”和睦”し、中国地方から”猛スピード”で京付近へ戻ってきた羽柴(豊臣)秀吉と山崎で戦い、敗北、逃げる途中で京の小栗栖という所で”落ち武者狩り”に遭い殺害されます。そして、秀吉が”謀反人・明智光秀”を”敵討ち”した功績によってやがて”関白”、更には”太政大臣”となり、名実ともに”天下人”となります。しかし、このことがその後の天海を一生後悔させたのは言うまでもないでしょう。光秀が自分の代わりに殺されたばかりか、”謀反人”という汚名まで着せられたわけですからね。天海は、家康の”参謀”を務める傍ら、生涯光秀を弔い続けなければならなかったのではないでしょうか。では、一体天海とは何者だったのだろうか?

天海という人物は、”記録”では東北地方の豪族・蘆名氏の出自で陸奥出身とされていますが定かではなく、前半生がほぼ不明に近いのは事実。それ故”天海=明智光秀説”が今日では”有力説”にまでなってしまったのでしょう。しかし、もし本当に天海が光秀なのだとすれば、1527年生まれの光秀は、1643年に”116歳”で死んだことになります。でも、いくらなんでも、”最先端医療”の発達した平成25年(2013年)現在ですら”116歳”という高齢は珍しいのに、”戦国時代(室町時代後期~安土桃山時代)”にこの年齢まで生きるのはほぼ不可能と考えていいでしょう。それによって、光秀の”娘婿”にあたる明智秀満(左馬之助、光春とも)という説も出てきますが、彼もまた1536年生まれで1643年時点では”107歳”となり、こちらも無理があるばかりか、両者ともそもそも家康とそこまで関わりが深いとは思えないんです。もし彼らが天海なのであれば、もっと早くから家康と関わっていなければおかしいはずですからね。いずれにしても、天海はかなり早い段階から家康と関係していたと考えた方が妥当なんです。では、天海は果たして何者なのか?

飛鳥昭雄氏は、ある著書では「天海は、信長が伊賀、甲賀、雑賀、等の”忍者の拠点”を襲った仕返しとして信長を殺した。」といったことを書いていましたが、となれば天海は”忍者”だったのだろうか? 家康配下の”忍者”として有名なのが服部半蔵正成。半蔵は、”本能寺の変”の後、家康を連れて家康の人生最大の”苦難”とされた”伊賀越え”の道案内をしています。そうしたことを考えると、”天海=服部半蔵”という可能性も出てくると思います。服部氏は”機織り”が転じた名前で、”秦氏”の一族といわれています。生まれ年も家康と同じ1542年で、まだ光秀、秀満に比べれば可能性はあると思います。1597年に死去した、とされていますが、その時点で本格的に”天海”という僧になっていたとすれば、その”死”を”フェイク”と捉えることもできるでしょう。しかし、そうだとすると、天海に関わる記録には”伊賀忍者”と関連する記録が全くと言っていいほどないんですよ。とすれば、天海は”歴史上人物”と”同一人物”とは考えない方が良さそうです。

おそらく、単純に考えれば、天海は家康の配下にいた無名の”陰陽師”だったと考えた方が妥当なのだと思いました。”戦国大名”の多くは戦場には必ず”陰陽師”を連れて行っていたようで、これは”長篠の戦”の屏風にも描かれています。逆に言えば、信長を殺した”真犯人”の可能性のある天海が、当時”無名の陰陽師”だったとしたら、秀吉が”敵討ち”をした所で到底”天下人”にはなれません。されど、”将軍家”更には”摂関家”ともつながりがあり、”織田家臣”の中で事実上”ナンバー1”と言っても過言ではない明智光秀であれば、”敵討ち”をすれば”天下”を取れる、と秀吉は考えたのでしょう。そして、光秀は、秀吉の”天下取り”のために”無実の罪”を着せられ殺されました。そして、”真犯人”天海はこのことを一生悔やみ続け、生涯を家康と光秀に捧げた、という事ではないでしょうか。
   NEXT >>>