11.25.09:40
|
05.29.13:02
先々週、飛鳥昭雄著の「失われた徐福のユダヤ人-物部氏の謎-」を買い、先週の日曜日ぐらいに読み終えたのですが、以前ここのブログでも書きましたが、物部氏は”2系統”あると想定していたのですが、それは”徐福率いる秦からの亡命者”とそれを征服した”騎馬民族系豪族”という構成ではなく、”徐福系”の”物部氏本隊”と”別働隊”であった”レビ系海部氏”という”2系統”によって構成され、最終的には”海部氏”が”物部本隊”が吸収した、といった内容でした。しかし、僕にはまだ何かスッキリしないものを感じるんです。確かに、徐福一行の中には”兵士”もいたかもしれませんが、しかし、徐福の伝説を記述する「史記」の中の「准南衡山列伝」には、「・・・振男女三千人を遣り、これに五穀の種と百工とを資して行かしむ。・・・」と書かれている事から、徐福が連れてきた主だった人々は”農民”や”技術者”であって、”軍事集団”ではなかった事になります。しかし、いつしか物部氏は強大な”軍事集団”となり、”もののふ”の”語源”となります。おそらく、この”謎”の鍵を握るのが、物部氏の”最大”にして"最強”のライバルとなる蘇我氏に他ならないのではないでしょうか。そして、その後の”武士”につながっていくのではないでしょうか。
蘇我氏の”ルーツ”とされる人物は、「古事記」、「日本書紀」に登場する武内宿祢と言われいます。しかし、調べてみると、武内宿祢からは蘇我氏以外にも、葛城氏、巨勢氏、平群氏、紀氏、そしてなんと波多氏(おそらく秦氏)までもがこの人物を”祖”としているのです。となれば、やはり以前ここで書いたように”蘇我氏=秦氏”であって、”大臣姓”を持つ豪族も皆”秦氏”の一族、という事になってしまうでしょう。では、この武内宿祢なる人物はいったい何者だったのだろうか? ”記紀”によれば、第12代景行天皇の時に東国・北国の”蝦夷征伐”を進言したり、13代成務天皇の時に神功皇后の”朝鮮出兵”を決定づけ、15代応神天皇の時に渡来人を率いて”韓人池”を作るなどしています。これだけでは少々情報が少ないですが、なんとなく彼が”軍事”に長けていて、しかも配下に”渡来系技術者集団”がいた事が伺われます。 しかし、最近の研究では15代応神天皇こそ”初代天皇”である可能性が高いと指摘されているため、それ以前の天皇は皆応神天皇と”同一人物”である可能性があるため、そうなると、それまでの歴代の天皇の時代の出来事の”時系列”が全て狂ってくる事になります。となれば、”神功皇后の朝鮮出兵”は実際は”朝鮮半島からの日本出兵”を意味した事になり、”蝦夷討伐”はそのまま”神武東征”ないし”日本武尊の東征”を意味するのではないでしょうか。しかも、この”蝦夷”には”縄文系先住民”のみならず、”弥生系渡来人=物部氏”も含まれていたのではないでしょうか。となれば、天皇一族を中心とした”渡来系騎馬民族”が物部氏を配下にし、やがて彼らに融合した”騎馬民族系豪族”もおそらくはいたと思われます。 さて、以前蘇我の読みの”ソガ”の語源がサカ族の”サカ”が転じたものではないか?という記事を書きましたが、彼らはおそらく”スキタイ系騎馬民族サカ族”と関係があるかと思われます。更には”釈迦”にも通じる事から、”仏教”との関連もかなり古い段階であった可能性があります。で、僕が考えているのは、”天皇一族(北朝イスラエル系10支族)”の中には朝鮮半島にいた頃から”スキタイ系サカ族”の末裔が存在し、それとは別に釈迦(仏陀)入滅後、”カースト制”を嫌った一部の仏教徒(サカ族)がチベットを経て中国に入り、更に朝鮮半島へ移動して”天皇一族=北朝イスラエル10支族”と融合した可能性もあるのではないでしょうか。その一族が後の”蘇我氏”の母体になったのではないでしょうか。しかし、この状態では彼らはまだ”弱小勢力”でしかなく、後に他の”豪族”、更には秦氏に対して布教活動を行い、それらの豪族から”仏教徒”に改宗した人達がそのまま”蘇我氏”になったのではないでしょうか。であれば、蘇我氏の勢力が拡大したのに反して葛城氏、巨勢氏、平群氏等の勢力が衰退したのも理屈に適います。ただし、秦氏だけは”別格”としてその勢力を保ち続けたのでしょう。そして、そういった動きに対して大反発していたのが”神道”を奉じていた物部氏だった、という事になるのでしょう。 しかし、”正史”においては538年に来日した百済の聖明王によって仏教が伝えられた事になっていますが、これは本格的に仏教を”国教”にするために聖明王を招き入れた、というのが真相で、「日本書紀」においては蘇我氏の”素性”を隠すために聖明王によって伝えられた、と記されたのではないでしょうか。そして、仏教を”国教”にしようと画策した張本人も、実は蘇我氏ではなく秦氏だったのではないでしょうか。何故なら、蘇我氏が滅んだ後も仏教は”国教”として根付いているし、事実上仏教の全国的普及を示唆したのは蘇我馬子ではなく秦氏とただならぬ関係がある聖徳太子だからです。また、物部守屋を討とうとした張本人も実は秦氏で、彼を討って配下にいる物部一族を秦氏の配下に治める事が”真の目的”だったのはないでしょうか。更に、秦氏は物部宗家滅亡後、蘇我宗家を滅ぼして、仏教に関する”絶対的権限”も取得したのではないでしょうか。 こうしてみると、一部の古代史研究家が唱えるように、”皇族・藤原氏側(秦氏も含む)”が本当は”悪”であり、”物部氏・蘇我氏側(聖徳太子一族も含む)”が”正義”である、といった説に近いように感じますが、それでも飛鳥昭雄氏は著書「「未然紀」が解き明かす 真・日本史」の中で、何と”乙巳の変”の首謀者の一人である中臣(後の藤原)鎌足が「未然紀」に登場する鎌足の素性を読み取った上で、実は藤原鎌足は聖徳太子の子だったのではないか?としています。となれば、一変、やはり”皇族・藤原氏側”が”正義”となり、”物部・蘇我側”が”悪”ということになってしまいます。果たして、”真相”はいかに!? そこで、”鍵”を握るのが、物部氏、蘇我氏に融合した”スキタイ系サカ族”の血筋です。 物部氏と蘇我氏の”対立”の原因は、一般的には”宗教の違い”によるものとされていますが、果たして本当にそうなのだろうか? 物部氏と蘇我氏の”勢力拡大”の裏には”軍事力“が存在する事は間違いないでしょうし、その背景には”スキタイ系サカ族”の影がチラついていると思われます。そして、彼らが何故最終的に滅ぼされたのだろうか? 実はこの頃の物部氏、あるいは蘇我氏は”宗教”にそれほど深くは帰依しておらず、あくまでもそれを”道具”として利用していただけに過ぎなかったのではないでしょうか。すなわち、”武力”によって権力を握っていただけに過ぎなかったのでしょう。それによって、彼らは”天”から見放された、という事ではないでしょうか。 でも、物部氏と蘇我氏の中には生き残った者もおり、彼らは”天皇家”と和睦して物部氏が”石上(いそのかみ)氏”を名乗り、蘇我氏が”石川氏”を名乗るのですが、この両名の”語源”が僕が思うには”イスラエル系イッサカル族”にあるのではないか、と考えられるのです。つまり、”サカ族”とは、アッシリア滅亡の原因を作ったスキタイ人が北朝イスラエル人と融合した際、中でもイッサカル族と融合したためにスキタイの呼び方で”サカ族”になったのではないか、と。しかし、これらの一族の宗家もまた、没落の道をたどっているんです。その後、彼らの”残党”が歴史の”裏側”にまわり、秦氏中枢である”八咫烏”と対抗する勢力を作ったのではないでしょうか。 そして、ようやく実権を握るようになった中大兄皇子が”天智天皇”と名を変え、やがて死去すると、弟の大海人皇子が”クーデター”を起こし、”天武天皇”となりますが、その背景に物部と蘇我の”残党勢力”が関わっていた可能性はありますね。”奈良時代”の後期に登場した天皇になろうとした僧・道教、”武士の台頭”と”幕府の成立”、”南北朝動乱”、”応仁の乱”、”本能寺の変”、時代は流れて”坂本龍馬暗殺”、”討幕・明治維新”、”5.15/2.26事件”といった歴史的出来事にも彼らはおそらく関わっているでしょう。更には、現在の政府、警察、あるいは暴力団にも彼らは絡んでいるのではないでしょうか。世の中が”陽と陰”で構成されているのだとすれば、”八咫烏”に対する”反勢力”はおそらく存在し、それによって鎌倉時代以降日本は”二元政治”を行われており、現在では”天皇家”はあくまでも”象徴”であるため、事実上国を動かしている政府に連中が関わっている可能性は考えられます。 まぁ、これらはあくまでも僕の”推測”に過ぎないのですが、世の中には必ず”理不尽”な部分が付きまとっており、それらが暗黙の内に見過ごされ、それを言及した人間があべこべ”不幸”になる! なんだかんだ言っても、世の中”正義”より”悪”が優遇されているように見えてならないのは事実! これらを意図的に仕掛けている連中がいる可能性はあると思います。 PR
|
はじめまして。サカ族や蘇我氏を調べていて辿り着きました。大変興味深い内容ですね。
|
蘇我氏は謎の氏族ですね。
|
聖徳太子誕生逸話の
|
”南朝系ユダヤ人”と”サカ族”は直接的には関係ないかと思いますが、中央アジアに国家を築いていた”ハザール人”が”ユダヤ人”に成りすましたように、”ユダヤ人”に成りすました”サカ族”も存在した可能性があるかと思います。
|
坂本龍馬自体は、元々「才谷屋」という”商人”の家柄ですが、曽祖父の時代に”郷士株”を買って”武士身分”になったといわれていますので、龍馬自体が”蘇我氏”や”紀氏”と関係あるかどうかは不明です。
|
お返事ありがとうございます。ハザール人=偽ユダヤ=アシュケナージ については、イスラエル建国させたくない反ユダヤ連中が広めている説で矛盾が多いと思います。ハザール自体がそもそも離散イスラエル支族である可能性があり、その子孫がカザフスタンやキルギスのY染色体R系統ではないでしょうか。
|
確かに、中央アジアに国を構えていたハザール人が、完全な白人だったのかどうかは疑問を感じていました。おそらく、ハザール国滅亡後、ヨーロッパに離散した後、その一部がある白人系民族に吸収される形でアシュケナージとなったのではないでしょうか。 |
最新記事の「現在の日本の仕組み」の中で紹介した、飛鳥昭雄/ベンジャミン・フルフォード著「二人だけが知っている超アンダーグラウンドの仕組み」には、”ヨーロッパ系悪魔教徒”の事が書かれていましたが、おそらくハザール人の一部がこういった連中に吸収され、乗っ取られる形でアシュケナージは形成されていったのではないでしょうか。
|
『大和民族大移動』
|
藤原氏は、悪者。蘇我氏は、ヒーロー。が事実ではないでしょうか?その反対を支持している、飛鳥あきお氏は、藤原氏だから蘇我氏は、悪者。藤原氏は、ヒーロー。だと言っているんだと思います。藤原不ひとと同じです。日本書紀の内容を改竄したのだから。 |
ヲシテ文献をお読み下さい
|
|
|