11.25.09:52
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11.28.23:25
日本の”歴史上人物”の中で、今でも多くの日本人から人気が高いのが織田信長と坂本龍馬。一見”対照的”にも思えるが、この両者には多くの”共通点”があります。①規定概念には捉われない。②新物好き。③海外文化・技術を積極的に導入。④次の時代への”幕開け”を演じた。(将軍を退位させている) ⑤志半ばでの死。(番外編)モジャモジャ頭にだらしない服装(笑) ・・・等が挙げられます。 でもって、問題はその”死”です。二人とも「これから!」という所で命を落としています。そして、その”暗殺劇”には様々な”謎”を残しています。まず、”実行犯”ですが”本能寺の変”の方は言わずと知れた明智光秀。当初は、信長による様々な仕打ち(事ある事への八つ当たり、母の見殺し、知行地の配置換えなど)による”遺恨説”が定説でしたが、後々これらの多くが後世の”作り話”である事が発覚。つづいて、”ストレス説”が唱えられました。信長のような”激しい性格”の人間の下で働く事によって蓄積した”ストレス”、それから林通勝、佐久間信盛らの重臣の相次ぐ”追放”による”不安”、これらに耐えかねて起こした事件では?という説です。しかし、このように”精神不安定”な状態でこのような事件を”計画”し、”実行”するだけの”冷静さ”を果たして持てるだろうか? それによって、”黒幕説”が生まれました。一方の”龍馬暗殺”の方は表向きには”不明”ですが、”有力視”されているのが佐々木只三郎率いる”京都見回り組”。彼らは、15代将軍徳川慶喜に”大政奉還”をさせた坂本龍馬を”逆恨み”し、それによってこの”事件”を起こしたのでは?とされてきましたが、それなら、何故彼らの”正体”は割れなかったのか? それと、幕府内には龍馬を擁護していた人物(永井尚志など)も存在していたようですから、いずれにしてもこの事件は”幕府側”も”犯人追求”をする必要があったはず。それによって、こちらにも”黒幕説”が浮かび上がりました。 そして、これらの”黒幕説”も二転三転があり、”本能寺の変”では”足利義昭説”、”徳川家康説”、”正親町天皇説”等が揚がり、”龍馬暗殺”の方は”松平容保説”、”大久保利通・岩倉具視共謀説”等が揚がりました。しかし、最終的に現在”有力視”されているのが、”本能寺の変”の方が豊臣秀吉、”龍馬暗殺”の方が西郷隆盛、とかつては絶対あり得ないはずの名が現在揚げられています。まぁ、”人の欲”など時には”恩人”や”友人”をも裏切る場合がありますからね(悲) こうして、秀吉は”天下人”となり、西郷は明治政府の”中心人物”となりました。しかし、これだけ”巧妙”にして”鮮やか”な”暗殺劇”を起こした割には、彼らの”最期”は結構”無様”なものでした。秀吉は”本能寺の変”直後すぐにその事実を知ると、毛利といとも簡単に”和睦”を結び、そして世に言う”中国大返し”をやってのけ、そして京の山崎にて明智光秀を打ち破っています。にもかかわらず、彼の晩年は”朝鮮出兵”という途方もない戦を仕掛け(実はこれは長子鶴松の死による”狂気”ではなく、”譜代”の家臣を持たない秀吉の大名に対する”不信感”によってわざと途方もない戦をさせた、とする説もある)、当時の”寿命”が60前後が一般的だったとはいえかなり”もうろく”が激しくなり、家臣が分裂した状態で(加藤清正、福島正則ら”武功派”と石田三成ら”官僚派”との対立)力尽きて亡くなってしまいました。そして、その2年後、”関ヶ原の戦い”で徳川家康率いる”東軍”が勝利し、豊臣家は家康に”天下”を奪われてしまいます。西郷も、事実上の”新政府軍総指揮官”として”江戸幕府”を崩壊させ、”明治維新”を築き上げましたが、”明治政府”発足後の”矛盾”に苛まれ、”徴兵制”によって農民がいやいや”戦争”に借り出されるようになって、それに不服を漏らす”不平士族”に同情。彼らのために当時”李王朝”の”独裁体制”によって衰退し、清や欧米に狙われていた朝鮮半島を日本が支配する、という”征韓論”を唱えるが、”遣欧使節団”としてヨーロッパを訪問していた岩倉、大久保、木戸らによって却下。それによって”不平士族”が各地で”反乱”を起こし、それに西郷が担ぎ上げられる形で”西南戦争”へと発展。しかし、西郷軍はあえなく敗退し、西郷は自刃しています。この二人のこのような”最期”を見る限り、それまでの手の込んだ”策略”がまるで”嘘”のようにも思えてならないんです。織田信長、坂本龍馬といった”2人の英雄”をわからないように殺したのに、自分達の”死”が極めて”不器用”だったのがどうも引っかかるんです。僕が思うに、この両者自体”何者か”に操られていて、その”何者か”こそ”真の黒幕”だったのではないか?と思えてならないんです。 ちなみに、秀吉も西郷も”山の民”の出身である、という説があり、彼らの”正体”は実は日本を裏で動かす”秘密結社”的なものだったとの事。となると、その”元締め”はおそらく”秦氏”であり、更にその”中核”をなす組織が、”サイキックエンターティナー”飛鳥昭雄氏によれば”八咫烏”と呼ばれる組織で、彼らが天皇を裏で動かす”裏天皇”を構成している、と飛鳥氏はしています。もう一つ、これらの事件の”背景”には”欧米人”の来航があり、彼らとの”接触”も無視できない、と考えています。(詳細は”後編”へつづく・・・) PR
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今の民主党政権は駄目だけど、織田信長と坂本龍馬が生きてたら
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実際織田を殺せと明智に命じたのは帝に譲位を脅迫した信長に対し危機を抱いた近衛家と聞いたがどうなんでしょうね。秀吉も本能寺の変は事前に知っていた可能性が高いこともありますし、真相は闇ですね。
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