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僕の頭の中にある世界

僕の頭の中にある”疑問”の世界を書くブログ
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11.25.09:21

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11.30.23:18

織田信長と坂本龍馬-日本を代表する革命家とその死の真相-(後)

さて、”本能寺の変”と”龍馬暗殺”の”真の黒幕”は果たして誰だったのか? ここで、話を”整理”すると、信長と龍馬の”共通点”には”規定概念に捉われない部分”、”新し物好き”、”欧米文化・技術への興味”がありました。それによって、彼らが最終的に到達した”思想”は、”欧米的国家作り”だったのではなかろうか? しかし、それを実行するために、場合によっては”日本の伝統的文化・風習の破壊”もいとわない、という考えもあったでしょう。そして、その”最たるもの”として彼らが考えていたのが”天皇制廃止”だったとしたら? 信長は自信の”野望”と”理想”のために自らが”最高権力者”となって日本を根底から変えよう、という考えがあった可能性はあるでしょう。龍馬は”船中八策”においては「天皇を頂点とし、将軍と諸大名も”新政府要因”に加えるべし。」としていたものの、どうやら最終的には”アメリカ式民主主義=大統領制”を理想としていたのではないでしょうか。

となると、”天皇家”更にその背後にいる”八咫烏”にとっては、これらの人物は”目の上のこぶ”。多くの”民衆”に慕われ(現在も)、しかし、”天皇家”に”刃”を向けるかもしれない人物を”八咫烏”が見逃すはずがない! しかし、彼らが直接この二人を殺す訳には行きません。そこで、まず別の”実行犯”を立てる必要がありました。”本能寺の変”においては、信長に終始追随しながらも根本的な”思想の違い”があったであろう明智光秀を”実行犯”とし、”龍馬暗殺”においては、”幕府方急進派”であった佐々木只三郎率いる”京都見廻り組”を”実行犯”としたのでしょう。そして、その”協力者”も必要でした。次の”天下人(政治中心人物)”になる人間を立て、彼らに信長もしくは龍馬殺害の”橋渡し役”をさせ、そして、彼らの”弔い合戦”の意味を含めて”天下取り”をさせました。”本能寺の変”の後に”天下”を取ったのが豊臣秀吉。”龍馬暗殺”の後に”王政復古の大号令”を後押しして、”錦の御旗”を掲げて事実上の”新政府軍総指揮官”として江戸幕府を崩壊させた西郷隆盛。彼らは共に”山の民(またぎ(猟師、きこりなど)、木地師、竹細工師、鍛冶師(たたら)、陶芸師、傀儡師(人形使い)、旅芸人、猿楽師などで、その”正体”は”八咫烏”の配下組織)出身”と言われています。彼らは、おそらく”真の黒幕”の正体を隠すために”黒幕”に仕立て上げられたのではないでしょうか。更に、信長、龍馬に関する”情報提供者”として、前者は徳川家康、後者は勝海舟(自信はないが(汗))ではないでしょうか。家康は信長の生涯の”同盟者”でした。でも、”本能寺の変”後、彼はすぐさま堺を脱出、伊賀を越えて急いで浜松へ戻りました。秀吉の”中国大返し”に引けを取らない早さだったとか。そして、彼は最終的に”天下人”になって、信長によって崩壊された”幕府”を復活させ、信長が擁護した”キリシタン”の”禁止令”を出し、そして”鎖国”を行うなど、まるで信長の”正反対”の事をやっています。一方の勝は龍馬の”師匠”でした。そして、龍馬をはじめとする”土佐脱藩浪人”やその他の”幕末の志士”とも交流がありました。にもかかわらず、何故”軍艦奉行罷免”だけですんでいるのか? さらに、海舟が龍馬と交流がありながら、何故殺されなかったのか? ”江戸城無血開城”が何故成立したのか? 薩長はあくまでも”武力倒幕”が本意だったのではなかろうか? いずれにしても、家康や勝が”八咫烏”とつながっていた可能性は高く、更に彼らは”秦氏出身”だったようです。

でも、実は”黒幕”の可能性が高い連中が他にも存在するんです! それは”西洋人”です。信長の時代も龍馬の時代も西洋からの”渡来人”が頻繁に出入りしていた時代です。それによって、多くの”文化”、”製品”、”食品”、”武器”などが日本に入ってきました。そして、彼らの多くは”キリスト教徒”だったはず。となれば、彼らが日本人の”文化”、”風習”を見て何か気付かなかったのか? 実は”幕末期”に日本を訪れた欧米人は”日本人”と”ユダヤ人”の”共通性”を指摘したようです。となれば、おそらく戦国時代に日本を訪れたヨーロッパ人もおそらく”この疑問”を感じた事は確かでしょう。とすれば、”日本神道”こそ実は”原ユダヤ教”更には”原キリスト教”を受け継ぐ宗教である事にも気が付いたはず。となれば、彼らにとってはただ事ではなかったはず。されど、そのような国である以上、他の”アジア諸国”のように容易に”植民地”にする事もできなかったのでしょう。もっとも、アメリカのペリー率いる”黒船”の来航は、その事を知った上でのものだったような気がしてなりません。彼らが恐れたのは、日本の”技術力”よりも”宗教力?”の方だったのではないでしょうか? だからこそ、彼らは日本に様々な”品物(食品、武器も含む)”をもたらして、日本人の”興味”を惹き、信長や龍馬といった”変わり者”と接触する事によって更に日本との”友好”を深める事によって日本を油断させ、その”隙”をついて”植民地化”も図ったのではないでしょうか。でも、日本は彼らが思った以上に”技術力”更には”軍事力”がありました。それゆえ、彼らの”親玉”に当たる”白人メーソン(後のフリーメーソン)”の指揮によって信長や龍馬は”殺害”された、とする見方も出来る訳です。事実、信長は本能寺で死んだのではなく、バテレンに捕まって”抜け穴”から引き出され処刑された、とする説があり(飛鳥氏はそれらが秦氏としている)、龍馬も薩長と手を組んでいたイギリス武器商人グラバー(彼もフリーメーソンのメンバーだったとか)の差し金によって殺された、とする説があります。更に龍馬が”白人メーソン”とつながっていた、という説もあるようです。いずれにしても、信長や龍馬の”貿易相手”の中に”武器商人”がいた事は確かでしょうし、彼らは当然ながら”キリスト教徒”で、さらにその事実上の”頂点”にいた”白人メーソン(今で言う所のフリーメーソン)”とつながっていたとしたらどうでしょう? ”武器商人”はやがて”財閥”に発展した可能性もあるでしょう。その”フリーメーソン”と”イギリス財閥”が結びつき、更にアメリカに渡ったものが飛鳥昭雄氏がいう所の”米国影の政府(シークレットガバメント)”という事になるのではないでしょうか。それが出来た事によって英米の立場は完全に”逆転”したのでしょう。思えば、日本とイギリスは”国土”といい、”民族構成”といい何か似た部分があるんですよね。

あるいは、これらの”両黒幕”の合意によって彼らが殺された可能性もあるのかもしれません。ただ、言える事は、”江戸時代”が始まると”鎖国”が行われ、”幕末”になると”開国”し、”明治”に入って一気に”近代化”、”西洋化”の波に乗ったという事。いずれにしても、そこで守られたのは他ならぬ”天皇家”である事は間違いないでしょう。まぁ、これらの”いずれか”が”真の黒幕”だと僕は睨んでいます。

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昨日放送の「バチカンに眠る織田信長の夢」では・・・

昨日、TBS系で放送された「歴史ミステリー特別企画 バチカンに眠る織田信長の夢」を見たのですが、まぁ、”テレビ番組”ですから本当に意味での”核心部”にはあまり触れていないとは思いますが、それを匂わす内容ではあったと思います。

まず、”本能寺の変”の実行犯である明智光秀の背後には”黒幕”がいた、というのはここ最近多くの研究者が示唆している通りでした。そして、その背後に”朝廷”と”イエスズ会”が関与しているのではないか?と示唆していましたね。

まず、そこに”朝廷”が関与している事を予見するエピソードとしては、本記でも書いている通り、信長が正親町天皇の”譲位”を迫っていたからに他ならないですね。そして、”馬揃えの儀式”を無断で行うなど調停にかなりの”圧力”をかけていたようです。そして、その際における信長と朝廷の”パイプ役”をになっていたのが時の”関白”近衛前久。この人物は、足利15代将軍義昭とも通じていたようで、信長が次第に勢いを付けていくのを危惧していたようです。そして、この人物こそ明智光秀をそそのかし信長を本能寺にて討たせた”黒幕”としていました。

一方、ルイス・フロイスをはじめとする”ポルトガル宣教師”も、信長が建てた五層(内部は七層)にもなる”安土城天守”を見て”不吉な予感”を感じた事と、更に場内に建てられた信長自信を”神”として祀る”総見寺”似案内された時、その行為が”神への冒涜”、更には”自分達(イエスズ会”に対する裏切り”と判断したようです。どうも、イエスズ会はやはり日本を”植民地”にして”キリスト教国”に使用としていたようですね。しかし、当時の信長の”軍事力”はヨーロッパをも凌ぐものだったため、彼らは次第に信長を利用して中国を占領しようと目論んだのではないか?としていました。しかし、それを信長に断られたため、”信長暗殺”を目論んだ可能性はありますね。

となれば、いずれにしても”朝廷”と”イエスズ会”は裏でつながっていた可能性はありますね。ただ、その”本質”を考えると、おそらくその更に”裏側”に両者とも”真の黒幕”がいたと僕は考えております。それは、”朝廷”を事実上陰で動かしていた秦氏の中枢”八咫烏”と、”ヨーロッパキリスト教の頂点”にいた”白人メーソン(後のフリーメーソンの原型?)”ではないでしょうか。そして、彼らはいずれも信長に”脅威”を抱くようになり、最終的に利害が一致したため、彼らが手を結んで”信長暗殺”を企てたのではないでしょうか。しかし、”イエスズ会”及びその背後にいる”白人メーソン”は、その後”朝廷”及びその背後にいる”八咫烏”を裏切って”日本侵略”を企てようとしたため、次第に”キリシタン禁止令”や”鎖国令”を、後の”天下人”である秀吉や家康に行わせたのではないでしょうか。

PS:信長の”遺体”が本能寺から発見されなかったのは、”抜け道”があったからではなく、地下や更に本能寺内部に大量の”火薬”が納められていたからではないか?としていました。どうも、本能寺は”火薬倉庫”だったようですね。

  • 2007年01月30日火
  • 東国夷
  • 編集

結果から言うならば

もし本能寺の犯人が豊臣・徳川以外であれば、その後のサバイバル合戦で「主君殺し」として格好の攻撃材料。
もっともその材料を活用したくて歴史を作れる立場にあった豊臣・徳川どちらも光秀説にしたということ。
つまり両者共犯でなければ成立しない。
結果論として。

  • 2013年06月19日水
  • ななめよみ
  • 編集

秀吉・家康共謀論

どうも、最近では明智光秀は”無実の罪”を着せられた?なんていう説も出てきてます。更に、”本能寺の変”にはどうやら”伊賀忍者”や”陰陽師”も関係しているという説も出ています。”伊賀忍者”といえば服部半蔵。となると、その背後にいるのは徳川家康、という事になりますね。

一方、秀吉は信長に手紙を送り、”中国攻め”の援軍として明智光秀を指名しました。これは、おそらく信長を手薄にするためにわざと光秀を信長から引き離すためだったのではないでしょうか。

そして、光秀は「これは秀吉の罠では?」と気づき急ぎ本能寺へ向かって信長を救出しようとするも”あとの祭り”だった、という事ではないでしょうか。

しかして、光秀は”無実の謀反”の罪を着せられて、”山崎の合戦”で秀吉に討たれた、という事ではないでしょうか。

で、光秀に対する信長の数々の”嫌がらせ(”母殺し”、”甲州攻め後の折檻”、”配置換え”等)”は、秀吉の命で後から創作された話なのでしょう。また、今でもよく噂される”天海=光秀説”ですが、おそらく天海の正体は服部半蔵だったのではないでしょうか? そして、日光東照宮に光秀を祀る祠があるのも、天海(服部半蔵?)が光秀に”無実の罪”を着せてしまったことに後ろめたさを感じた貯めではないでしょうか。

  • 2013年06月19日水
  • 東国夷
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