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僕の頭の中にある世界

僕の頭の中にある”疑問”の世界を書くブログ
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03.01.14:28

上杉謙信は暗殺されたのか?

かなり久しぶりに更新します。

先々週ですがテレ東系で毎週火曜日20:00から放送されている「新説!?日本ミステリー」という番組で「直江兼続は上杉家を乗っ取っていた!?」という説が発表されました。”内容”は、直江兼続が織田信長とつながっており、それによって”主君”景勝を上杉家の後継者にするために上杉謙信を暗殺し、その後上杉家を乗っ取った、というものでした。

僕は、以前このブログで上杉景勝が謙信を暗殺した、と書きました。そういった意味では、それに近い内容の事が番組で取り上げられた事になります。ただ、仮に番組で検証されたように兼続の幼少期の”素性”が実は謎であり(景勝の小姓だった、という説は実は記録がないとの事)、謙信の死後、突如歴史に登場したとはいえ、本当に兼続が謙信を暗殺して上杉家を乗っ取ったという説には”疑問点”も多く生じるのは事実。なぜなら、そんな”素性”の知れぬ無名の人間がそう易々とあの上杉家を乗っ取る事はどう考えても無理があるからです。多くの有力の家臣がいるにもかかわらずそれらを抑えて上杉家を乗っ取るほどの”強力な力”を兼続が持っていたとは考えにくいからです。仮に、バックに信長がいたとしても、信長も謙信の死から4年後に京の本能寺で明智光秀に討たれています。それに、兼続は石田三成、真田幸村、前田慶次郎といったどちらかと言えば”義”を重んじる武将に親しまれていました。もし、兼続が”暗殺”や”乗っ取り”等をしていたとしたら、これらの武将が兼続に好意を持っただろうか? いや、むしろ彼を危険視して殺害を計画する可能性のほうが高いでしょう。いや、それ以前に彼は上杉家を乗っ取る前に多くの家臣に殺されるのがオチだと思います。

で、僕の考えからすれば、以前書いたようにやはり兼続の主君、景勝が怪しいように思えます。大河ドラマ「天地人」で描かれているように若い頃の景勝はどこか”陰気”な感じで描かれています。それに、父政景の死後、幼少期の景勝が謙信(当時輝虎)に刀で襲い掛かるシーンもありました。もし、この事がほぼ”史実”に近い事だとすれば、謙信と景勝の間には長い間”確執”があったようにも思えるのです。更に、謙信が”生涯独身”だった理由が”同性愛者”や”女性”だったから、というのではなく”別の理由”があったとしたら、それが”景勝による謙信暗殺”の理由にもつながるのではないか?と思います。(ちなみに、謙信がもし”女性”であれば、実は”結婚”は可能なのです。なぜなら女性は男性と結婚出来るからです。更に、”同性愛者”だとしても、当時の結婚は殆ど”政略結婚”でしたから、”同性愛”も何も関係なく”結婚”自体は出来たはずなんです。)

謙信にはかつて熱愛した人が存在した、という記録が残っているし、そこで”悲しい別れ”をしたような事が書かれてあったようです。で、以前も書きましたが、これはあくまでも僕の勝手な”推測”でしかないのですが、謙信とその女性の間に”子”が授かり、しかしその女性の”身分”が低かったために家臣や同門の反対があり謙信はその女性と別れなければならなくなったのではないでしょうか。そして、残された子を長子を亡くしたばかりの謙信の姉・桃(仙桃院)と長尾政景夫妻に預けたのではないでしょうか。その”子”こそ後の上杉景勝だったのではなかろうか? しかも、謙信と別れた女性がただ謙信の元を去ったのではなく”自害”したとしたらどうでしょう? そうなったら、謙信が”一生独身”を誓ってもおかしくないように思えます。むしろ、この方が説得力があると思います! そして、景勝がある程度の年齢に達した時に”養子”という形で引き取る事をはじめから約束していたのではないでしょうか。しかし、その”約束”の日が近づいた時に景勝の”父”とされる政景がそれを”反故”にしようとしたため、謙信の”軍師”であった宇佐美定満に”暗殺”されたのではないでしょうか。それが謙信の指示によるものかどうかは不明ですが、景勝がその事を生涯疑い続け、更に自分の”出生の秘密”を知れば、それが”謙信暗殺”の動機にもつながると思うのです。

もっとも、謙信の”死”がまだ”暗殺”と決まった訳ではありません。ただ、”謙信女性説”を裏付ける証拠として、謙信の死因が”大虫”である、という記録があるようなのですが、”大虫”というのは本来女性しかかからない”更年期障害”の一種を指しているという言葉のようなのですが、”大虫”には他にも”虎”や”蛇”という意味もあるようなのです。実は、それが”暗殺”を暗示するものである可能性もあるのではないか?と僕は考えているのです。(以前ブログでは、謙信と秦氏、そしてイエス・キリストとのつながりにも触れたのですが、彼があそこまで”宗教(毘沙門信仰)”に帰依するのは”秦氏”とのつながりがあり、秦氏が日本に伝えたとされる”原始キリスト教(後の神道へと発展?)”の密教”カッバーラ”に精通し、それゆえ、自らを”毘沙門天=ビシュヌ神=イエス・キリスト”の”生まれ変わり”と信じ、虎に近い”獅子”と”蛇”を自身の”象徴”に持つイエスと同じ死に方、すなわち”処刑(暗殺も含む)”という結論を出しています。)

そして、もし謙信の本当の”死因”が”暗殺”によるものだとして、その”黒幕”が織田信長で、”実行犯”が景勝とその家臣団(そこに兼続も加わっていたかどうかは不明)であるとしても、信長がどのようにして景勝を動かしたのか?という部分には疑問もあるんです。おそらく、その間には”第三者”が存在していたのではなかろうか? されど、それが兼続ではない事も冒頭の記述で示す通りです。では、誰が信長と景勝の”つなぎ役”をし、景勝をそそのかして謙信を討たせたのか? 実は、謙信の死後、もう一人の養子・景虎(北条氏康の七男で本来は人質であった)と景勝との家督争いである”御舘の乱”の直後に暗殺された人物がおり、その人物は、実は兼続の妻・お船(直江景綱(前名実綱)の娘)の前の夫だったのである。その名は直江信綱。彼は、元々は謙信と同じ長尾一族の出身(前名:景孝)で、その家が武田氏に滅ぼされた事によって上杉家重臣直江景綱の”婿養子”となったようですが、その時点で実は既に信長とつながっていた可能性もあるのではないでしょうか? それに、彼が”御舘の乱”の直後に殺されたのも、”恩賞をめぐるトラブル”とされていますが、もし”御舘の乱”のきっかけが、単なる”後継者争い”ではなく”謙信暗殺疑惑”による”弔い合戦”だとしたら、その”鍵”を握る信綱が、”御舘の乱”後用済みとして殺されてもおかしくないのではないでしょうか。そして、その”罪滅ぼし”として、兼続は残された信綱の妻・お船を妻に迎えたのだとすれば、辻褄が合うように思えます。

そして、”御舘の乱”が終わり、景勝が”後継者”となった上杉家は、上杉家復興の為にも”謙信の死の真実”を隠蔽し、更に上杉家に関わる”重大な秘密”を封印更に偽造する事によって上杉家は”明治維新”まで続く事が出来たのではないでしょうか。その”立役者”が謙信の姉・仙桃院と景勝の腹心・直江兼続だった、という事なのでしょう。だからこそ、兼続が今でも”地元の英雄”として親しまれているのではないでしょうか。
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