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前章にて、これまで提唱されてきた”龍馬暗殺”に関する多くの仮説と新たに加野厚志氏の提唱した”新説”について書きましたが、今度は僕の仮説を加えて検証してみたいと思います。
まず、加野氏の提唱した”長州藩士:神代直人犯行説”ですが、かなり信憑性はあると思います。でも、問題は誰がその犯行を指示したか?という事なんです。普通に考えれば、長州藩士の”主軸”である桂小五郎(後の木戸孝允)、井上聞多(後の馨)、伊藤俊輔(後の博文)、山縣狂介(後の有朋)辺りになりますが、まず、桂、井上、伊藤はいずれも龍馬には”恩義”を感じている人達ですので、そう簡単に”龍馬暗殺”に踏み切るとは思えないんです。一方、山縣は龍馬との接点はあまりなさそうですが、そもそも明治中期~後期辺りに頭角を現したこの人物を”龍馬暗殺の黒幕”として考えるには少々説得力に欠けるように思えます。もっとも、神代が単独で行った可能性もないとは思えませんが、このような鮮やかな”暗殺劇”を一介の剣士一人の判断で成功できるとはとても思えません。それを指示した”黒幕”がいると考える方が賢明でしょう。で、”神代”という苗字を見てふと思ったのですが、こんな珍しく意味深な苗字を見てごく普通の”氏族”と考える方が不自然で、何か”祭祀”にかかわる一族の末裔であるように思えて仕方がないんです。となると、そういった人々が神代のバックにいたのではないか?と疑いたくなってしまうんですよ。 そこで、前章で指摘したように、今一度”岩倉具視黒幕説”を洗いなおしたいと思います。まず、岩倉具視の”出自”について触れたいと思いますが、岩倉は”貧乏公卿”の堀川家に生まれ、その後やはり”下級公家”の岩倉家に養子に入っています。そこから、”和歌”や”学問”等を通じて孝明天皇の側近にまで上り詰めたと言われていますが、本当にそれだけで”下級公家”から”天皇の側近”にまでなれたのだろうか? やはり、岩倉の背後に”何かしら”の勢力が存在した可能性もあるのではないでしょうか。そして、岩倉を”パイプ役”として”王政復古”を実現した、とは考えられないだろうか。つまり、”真の黒幕”はあくまでも岩倉の背後にいた”何者か”であって、岩倉はあくまでも”パイプ役”に過ぎなかった、という事です。で、岩倉というとかねてから噂されていたのが”孝明天皇毒殺”ですが、これは妹:和宮の”将軍家降嫁”によってすっかり将軍家と仲良くなってしまった孝明天皇が邪魔になり、岩倉の妹にして孝明帝の侍女となっていた堀川掌侍に毒殺させたのではないか?とする説ですが、これに関しては、孝明帝が”王政復古”にあたって単に邪魔になったという事ではなく、どうやら”別の陰謀”があったようなのです。 では、”別の陰謀”というのはいったいなんだったのだろうか? 実は、孝明天皇の跡を継いだ明治天皇が、孝明帝の嫡子である睦仁親王ではなく全くの別人だったのではないか?という説があるんです。というのは、孝明帝の血筋は、南北朝時代に2つに分かれた王朝の内の”北朝”の血筋なのですが、”南朝”こそ正統である、という意見が古くからあり、その”南朝系天皇”の末裔で長州藩にかくまわれていた大室寅之祐という人物を睦仁親王とすり替えて明治天皇に仕立て上げたのではないか、という噂があるようです。関係者の”証言”によれば、睦仁親王は病弱で凡庸な人柄で、体格的にも小柄だったのに対し、明治天皇は健康で聡明な人柄で、体格も大きかったため、どう考えても”同一人物”だとは思えない、という事です。もし、この噂が”真実”だとしたら、その間に割って入って”大政奉還”を幕府に押し進め、そしてやがて”議会制民主主義”を夢見ていたと思われる坂本龍馬はまさに”目の上のこぶ”です。それによって、”黒幕”は”パイプ役”である岩倉に命じ、岩倉は龍馬と親しかった西郷ではなく、龍馬との親交が薄く岩倉と親しかった大久保利通と”龍馬暗殺計画”を企て、その”実行犯”を明治天皇(大室寅之祐)をかくまっていた長州藩に求めたのではないか。そして、その”実行犯”として抜擢されたのが、”苗字”が意味深な神代直人だった、という事ではないでしょうか。おそらく、この神代なる人物は、単なる長州藩の剣客ではなく、明治天皇(大室寅之祐)の”護衛役”だった可能性もあるのではないでしょうか。では、岩倉と神代の背後にいる”黒幕”とは一体何者なのだろうか。 ”日本神話”において、天皇の祖先と思われる”天津神”とともに必ず登場するのが、”国津神”と呼ばれる”物部系の神々”と”天津神”を補佐した”秦氏”につながる人々なのです。要するに、”日本の国づくり”に関して、”天皇”と”物部氏”と”秦氏”は”セット”だった、と言っても過言ではありません。しかし、物部氏は587年、蘇我氏と聖徳太子連合軍との戦に敗れ、当主:守屋が討死し、残る一族が”行方不明”となった事で日本史の”表舞台”から消える事になります。それによって、これまで物部氏が牛耳っていた”祭祀”の一切を聖徳太子の”ブレーン”だった秦氏が一挙に担う事になります。これ以降、秦氏は社会の”裏側”にまわって天皇家及び朝廷を影で動かす存在になった、と”サイキックエンターティナー”飛鳥昭雄氏が多くの著書に書いています。とすれば”坂本龍馬暗殺”→”孝明天皇暗殺”→”睦仁親王←→大室寅之祐すり替え”の一連の”黒幕”は”秦氏中枢(飛鳥氏曰く”八咫烏”)”だった、という事になるのでしょうか? しかし、天皇家及び朝廷、ひいては日本を裏から動かしてきた人達がそう簡単に人を暗殺するだろうか? もっとも、だからこそそれもおあり得るのかもしれないが、”神の代弁者”的存在である天皇を補佐する”八咫烏”がそういとも簡単に手を汚すとも考えにくい。となれば、”秦氏中枢=八咫烏”以外にも日本を背後から動かしてきた”黒幕”が存在していたように思えてならないんです。で、気になるのが蘇我氏-聖徳太子連合軍に滅ぼされた物部氏が完全に死に絶えてなかった、という事です。 そして、その後の”山城大兄王暗殺”、”乙巳の変→大化の改新”、”壬申の乱”、”奈良遷都”、”道鏡事件”、”平安遷都”、”承平天慶の乱(平将門の乱、藤原純友の乱)”、”前九年・後三年の役”、”源平合戦”、”鎌倉幕府設立”、”承久の乱”、”鎌倉幕府滅亡→南北朝動乱→足利(室町)幕府設立”、”応仁の乱→戦国時代突入”、キリスト教と南蛮文化渡来”、”織田信長登場→室町幕府滅亡”、”本能寺の変”、”豊臣秀吉天下統一”、”関ヶ原の戦い→江戸幕府設立”、”キリシタン禁止令→鎖国・・・という具合に、どうも表向きに”一つの王朝”しかないように思えるのが、”裏側”では”2つの勢力”が互いに争っているようにしか思えないほど、動乱が絶えないのは事実です。しかし、”天皇万世一系”という体質だけは上辺上は全く変わっていないんです。おそらく、秦氏の他にもう一つ物部系の”黒幕”がいるように思えてならないんです。それを如実に表しているのが”武士”の存在で、武士は”もののふ”とも呼ばれますが、”もののふ”の語源が”もののべ”ではないか?という事はかねてから言われてきました。おそらく”武士”を背後で動かし、”幕府”を裏側で支えていたのは”物部系黒幕”だったように思えます。しかし、彼らは使えなくなった者は平気で切り捨て、本来”敵方”にいた者でも”味方”に引き入れるぐらいの芸当は出来るのではないでしょうか。となれば、”坂本龍馬暗殺”→”孝明天皇暗殺”→”睦仁親王←→大室寅之祐すり替え”の一連の”黒幕”が”物部氏”だった可能性は考えられるのではないでしょうか。 日本という国は、他の国と違って太古から続く”天皇万世一系”という体制をかたくなに守り、その中での”権力者”の入れ替わりはあっても”王朝”そのものは未だ持って変わらない不思議な国です。だからこそ、”黒幕”の存在は必要不可欠で、日本においてアレクサンダー大王、秦始皇帝、チンギス・ハーン、ナポレオン、アドルフ・ヒトラー、スターリン等といった”独裁者”は現れにくく、かの織田信長でさえ”日本統一”目前にして明智光秀の謀反により京・本能寺で討たれています。で、この”黒幕”の存在をほのめかす証拠が、間違いなく”古事記”、”日本書記”等の古代の歴史資料には存在しているはずなんです。それを匂わせる一族こそ、これまでその”実態”が中々掴みきれなかった”蘇我氏”だったのではないでしょうか。今度は、この蘇我氏について検証していきたいと思います。 PR
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一昨日、テレビ東京系で放映されていた「超歴史ロマン”戦国&幕末ミステリー”」という番組で、”龍馬暗殺”の黒幕は何と彼の”師”である勝海舟であり、その理由が龍馬が各藩へ送りつけた”新政府要綱八策”の中に書かれている”盟主○○○”という通称”龍馬コード”に当てはまる人物が、徳川15代将軍慶喜だったため、という説を扱っていましたが、正直お粗末過ぎて言葉が出ませんでした(苦笑)
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