11.25.11:41
|
06.08.10:06
この間、「円盤屋」のネットショップで「飛鳥昭雄のエクストリームサイエンス⑤ 坂本龍馬と幕末の謎」を買い、水曜日にDVDを見ました。率直な感想としては、ここのブログでも何度も書きましたが、これまで様々な”憶測”をされてきたことが全て覆される非常にあっけない内容でした(汗) しかし、それでもいくつかの”疑問点”も感じたので、今からそのことを書きたいと思います。
その前に、これまでの坂本龍馬にまつわることをざっと挙げたいと思います。①土佐の郷士出身である。②18歳の時に江戸に遊学し、千葉道場の門下生となる。③同志、武市半平太の結成した”土佐勤王党”に加入。④27歳の時に脱藩。⑤脱藩した同年に江戸で勝海舟の門弟となり、後に海舟らとともに”神戸海軍操練所”を設立。⑥海軍操練所が廃止されると長崎に渡り、操練所の仲間であった沢村惣之丞、近藤長次郎、陸奥陽之助(宗光)らとともに”亀山社中”を設立。⑦慶応2年(1866年)1月8日、龍馬の仲介で”薩長同盟”が締結。⑧”薩長同盟”締結より2週間後の1月23日、京・伏見にある船宿”寺田屋”で伏見奉行所の役人に襲撃される。⑨土佐藩参政:後藤象二郎に協力を求められ、土佐への帰還が認められ、”海援隊”を設立。⑩長崎から兵庫へ渡航中に後藤象二郎に提示した政治要綱”船中八策”をもとに、慶応3年(1867年)10月13日、京・二条城において”大政奉還”が15代将軍:徳川慶喜によって宣言される。⑪慶応3年(1867年)11月15日、京・河原町の醤油商:近江屋にて、”刺客”に襲撃され、同志:中岡慎太郎とともに絶命。(享年33歳)・・・といった感じです。そして、”龍馬暗殺”に関しては、これまで”京都見回り組犯行説”、”新撰組犯行説”、”薩摩藩士犯行説”、”陸援隊犯行説”、”紀州藩黒幕説”、”松平容保黒幕説”、”岩倉具視-大久保利通黒幕説”、”フリーメーソン黒幕説”などの説が唱えられてきました。しかし、その”真実”は・・・。 でもって、DVDの内容ですが、”雑談”で長々と引っ張った後、ある一枚の写真が出されました。 幕末志士集合写真 この写真の”真偽”は正直怪しい限りですが、この写真には坂本龍馬はもちろん、勝海舟、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文、大隈重信ら”幕末の英雄”がオランダ人法学者:フルベッキ博士を中心に集結しているんです。飛鳥氏曰く、”幕末”に起こった出来事は全て”シナリオ通り”に行われたものであって、”欧米列強(悪玉系近代フリーメーソン?)”から日本を守るために、日本元来の”フリーメーソン”に関わる人たちが団結して行ったものであって、その”最終目的”が”天皇すり替え”だったとのことです。実は、この写真には後に”明治天皇”になったといわれている”大室寅之祐”なる人物が載っており、その為に孝明天皇とその皇太子である睦仁親王を岩倉具視と伊藤博文が殺した、と言っていました。その証拠は当時の宮中の記録に残っているそうで、更に伊藤博文を暗殺し、現在では韓国で”英雄”となっている安重根(アン・ジュングン)が取り調べの際、「伊藤は天皇を殺した。」と証言しているそうです。でもって、”龍馬暗殺”についてですが、これは単に”京都見回り組”が暴発して殺しただけ、と言っていました。正直あっけなさすぎます(汗) ただ、これに対して”疑問点”が残るのも事実。ここまでの”経緯”については確かに可能性はあるでしょう。”歴史”の多くは”勝者”によって作られたものであり、そのために”ヤラセ”、”演出”みたいなものは当たり前のようにあったと思います。しかし、”龍馬暗殺”となるとこうも単純なものではないと思うんです。おそらく”裏”があると思うんです。そして、飛鳥氏はそのことを知っているのではないでしょうか? でも、”天皇家”の威信に関わるからあえて誤魔化しているのでしょう。で、次の章で、今度こそ”龍馬暗殺”についての”最終検証”をしたいと思います。 PR
|
|
|