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僕の頭の中にある世界

僕の頭の中にある”疑問”の世界を書くブログ
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06.08.13:19

坂本龍馬暗殺の最終検証①

前章で書いた「坂本龍馬と幕末の謎」では、”龍馬暗殺”は”京都見回り組”の暴発だった、という事で一件落着してしまいました。しかし、だとすると腑に落ちない部分が多々出てくるんです。

まず、そのDVDの中で、飛鳥氏は「坂本龍馬は明治維新直後にはほとんど知られていなかったんです。」と冒頭で話しているのです。裏返せば”幕末期”にもおそらく龍馬の存在を知っていたのはごく一部だったのではないでしょうか。しかも、”大政奉還”の建白書を幕府に提出したのは龍馬ではなく、土佐藩参政:後藤象二郎だったのです。そして、後藤はこの功績を”下士”出身の龍馬のものとされるのは口惜しく感じ、あくまでも「自分が全てを考案した」と公言しているんです。となると、”大政奉還建白書”の内容を考案したのが後藤ではなく龍馬であると知っていたのは龍馬の”師”である勝海舟と、その勝の”上司”である永井玄蕃頭尚志ら数名であり、”京都見回り組”がそのことを知る由もなかったのではないだろうか? であれば、普通なら、彼らは龍馬ではなく後藤を襲わなきゃおかしいんです。にもかかわらず、見回り組は何故龍馬を襲ったのだろうか? ここに、何らかの”トリック”があるとしか僕には思えないんです。

そこで、この背景には”何”が起こっていたのかを考えなければなりません。まず、德川慶喜が”大政奉還”によって朝廷に政権を返上した事で、”武力討幕”を足止めされた西郷、大久保ら”薩摩藩士”と公家の岩倉具視は業を煮やし何とか”武力討幕”を実行させるよう画策していました。しかし、これはあくまでも”表向き”の話。この”裏”で行われていたのが”天皇すり替え”です。こちらに加担していたのは、幕末まで”南朝天皇家”を預かってきた長州藩です。”幕末期”には”攘夷・討幕”をしきりに唱えていたのは長州藩士だったのに、”大政奉還”以降急にそれを薩摩藩士がやっていたことに誰も疑問を持たなかったのだろうか? 少なくとも、僕は「おかしい。」と感じていました。つまり、”明治維新”にシナリオがあったとすれば、薩摩藩士を中心にした”鳥羽伏見~戊辰戦争”はあくまでも”カムフラージュ”だったのではないでしょうか。その間に、一方の長州藩は”天皇すり替え”に奔走していたんです。でも、その前に急にしなければならないことが出来てしまったのです。それが”龍馬暗殺”だったのです!

”龍馬暗殺”を”京都見回り組犯行説”とする説では、暗殺の動機はあくまでも”大政奉還”そのもの、とする説が多いのです。しかも、それに逆上した見回り組の感情的な犯行だとすると、あまりにも”緻密”に暗殺が行われているんです。本当に”大政奉還”が龍馬暗殺の引き金になったのだろうか? 実は、”龍馬暗殺”を決定づけたものとして、これは大河ドラマ「龍馬伝」でも扱われていましたが、龍馬が諸藩の有力者に送った「新政府要綱」に書かれていた新政府の長”○○○”、俗にいう”龍馬コード”ですが、これこそ”龍馬暗殺”の”キーワード”であると言われているんです。僕は、この”○○○”はズバリ”大統領”ではないかと睨んでいるんです。既に龍馬の頭の中にはアメリカ式の”議会制民主主義”というものがあったのではないでしょうか。しかし、龍馬は”天皇”という存在がいかに日本という国には欠かせない存在であるかも知っていました。だからこそ、あえて龍馬は”天皇”と”大統領”を並立させようとしていたのではないでしょうか。しかし、この龍馬の案を、岩倉と、”龍馬暗殺”を事実上仕掛けた”黒幕”が反対したとしたら・・・。

岩倉の”明治維新”における”真の目標”は”天皇すり替え”だったのではないでしょうか。それまで日本の”頂点”に立っていた”北朝系天皇”から”正統”である”南朝系天皇”に戻す必要があったのです。その”南朝系天皇”の末裔であった”大室寅之祐(後の明治天皇)”という人物を預かっていたのは長州藩です。彼らにとっては、”天皇すり替え”を成功させた後、その天皇を日本の”最高権力者”にしようとしていたのは間違いないでしょう。ところが、そこへ龍馬が”議会制民主主義”を口にした訳です。おそらく、このことは龍馬と親しい人物にはかなり前から話をしていた可能性があります。実は、”龍馬暗殺”を企てた人物もその中の一人だったのではないでしょうか。そして、龍馬が暗殺される7ヶ月前に”結核”によって他界した高杉晋作は当時龍馬にとっては最も心が通じ合った人物だったのではないでしょうか。となれば、彼の”死”も本当に”病死”だったのだろうか? ”結核”であれば、毒によって”結核”に見せかけて殺すことも可能だったのではないでしょうか。”病死”にしては少々タイミングが良すぎるんです。おそらく、後に”龍馬暗殺”を企てた人物が、先行して龍馬と入魂の仲だった高杉を”毒殺”したのだとしたら・・・。このような”動機”と、それが可能だった人物、それはズバリ”桂小五郎(後の木戸孝允)”だったのではないでしょうか! さて、では桂(木戸)がどのような経緯で”龍馬暗殺”を計画し、どのように実行したかを次章で検証したいと思います。
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