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僕の頭の中にある世界

僕の頭の中にある”疑問”の世界を書くブログ
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08.25.09:56

学校における「いじめ」の黒幕

近年”いじめ”による自殺、というニュースが後を絶ちませんが、昨年起きた大津市中学生の”いじめ”による”自殺”に関する報道が今年に入って大きく取り上げられるようになりました。この事件に対する”学校側”の態度は、これまでのこの手の事件同様”無責任”極まりないですね。というより、どうも”学校”や”教育委員会”は、”いじめ”は起こるべくして起こっている物であり、それを制止する権限は自分たちにはないかのような態度を依然としてとっています。そして、最終的には”いじめ”の事実を隠蔽し、それらしきものを目撃したとしても、「ただじゃれてるだけにしか見えなかった。」と”言い訳”する始末。やはり”教師”といえども”一公務員”に過ぎません。特に、今の教師たちの”無責任さ”は目に余るものがあります。しかし、昔の教師たちはもっと”熱”があったし、生徒たちにもビシビシと対応していた、という印象はありました。・・・でも、それって、本当に”学園ドラマ”でいう所の”熱血教師”だったのだろうか? いや、このような教師たちが実は”いじめ”を率先していたとしたらどうでしょう? つまり、学校における”いじめ”というものは、”第二次ベビーブーム”時における徹底的な”ランク付け”を行うために、当時の”文部省”の指示によって”学校”と”教育委員会”、更には”PTA(有権者クラス)”が結託して意図的に起こしたものではないか?、と僕は疑っているんですよ。

日本は1950年代半ばから1970年代半ばにかけて”高度経済成長期”に入り、その間日本は一気に豊かになり、その過程の中で生まれたのが”第二次ベビーブーム”ないし”団塊Jr”と呼ばれた世代です。物心付いた頃から一家に一台”自動車”と”テレビ”が存在し、”ぬるま湯”に浸かって育ってきた世代であり、しかも”人数”も多かったため、何かしらの”締め付け”が必要になりました。それが”詰め込み教育”であり、それによる”偏差値”の管理、そして、それに見合った”進学先(学歴)”のランク決めを徹底的に行うようになりました。それによって”勝ち組”と”負け組”、更には”ワル組(不良)”へと”仕分け”がされた訳ですけど、単純に”秀才”と”バカ”、更には”不良”を分けるのは簡単です。しかし、問題なのはその”中間クラス”なんです。されど、このクラスも”勝ち組”ないし”負け組”のいずれかに分けなければなりません。その”手段”として”いじめ”というものがいつしか行われるようになり、それを最終的には”学校側”も黙認するようになったのではないでしょうか。更には、一部の父兄の中にも、自分の子供を優位に立たせるために、”いじめ”を利用して他の生徒を蹴落とすような指示をおそらく出しているでしょう。それが最終的には”文部省”による指示となって”優等生優位”の教育システムを完成させたのではないでしょうか。また、”いじめ”以外にも”学校側”は何かにつけて生徒に”ペナルティ”を与えて生徒を締め付けを行ったのも事実です。

しかし、時代が下るにつれ、生徒の人数は減少し、もはや強引な”ランク付け”をする必要がなくなると、”文部省”は方針を変え、今度は生徒達を”平均化”させる方向に転じました。そうなれば、必然的に”いじめ”はなくなる・・・、と予想していたのでしょうが、それがむしろ”逆効果”となりかえって”いじめ”は深刻化の一途をたどる事になりました。今度は、”ランク争い”のための”いじめ”ではなく、単なる”憂さ晴らし”ないし”ゲーム”としての”いじめ”に発展してしまったのです。それ以来、”文部省”をはじめ”学校”、”教育委員会”は自分達が敷いた”過去の過ち”を隠蔽するために”いじめ問題”に対して無視し続けたのではないでしょうか。そして、教師たちは次第に、生徒たちに対して、”無関心”、”無責任”になり、しまいには”父兄”にまでナメられるようになってしまいました。そして、”文部省(現文科省)”は一時期”ゆとり教育”等という制度を設けてしまう始末(呆) こうしている間にも、”いじめ”は次第に”蔓延化”していったのでしょう。

そして、’80年代半ば頃からとうとう”自殺者”まで出るようになり、今日まで毎年100件以上発生するほど未だに留まる所を知りません。しかし、滋賀県大津市立皇子山中学校の教頭や大津市教育委員会が言うように「証拠がない!」で片づけられてしまうんですよね。確かに、今の”いじめ”は”陰湿”かつ”狡猾”ですから、”主犯”の特定が非常に難しいのでしょう。それに、やはり現在でもその”主犯”と”学校側”が何かしらの理由でつながっている可能性もあるのでしょう。つまりは、その”主犯”の生徒の親が”有権者”であれば、当然”学校”、”教育委員会”、更には”市”とのつながりも出てくるでしょうし、結局は”組織ぐるみ”の犯行になってしまっているのではないでしょうか。”いじめ問題”が未だに解決できないのは、要は”学校側”が少なからずそれに加担している、という可能性も否定できないからではないでしょうか。

それと、”いじめ自殺”の起こった学校側の人間が必ずいう言葉が「いじめられる側にも問題がある。」という事です。確かに、それは言えると思います。しかし言い方を変えれば、「”いじめられる者”はいじめられるべくしていじめられる。”いじめる側”こそ(学校側)が守るべき生徒。」という事も言えるのではないでしょうか。所詮、”学校側”は”欠陥”のある”いじめられっ子”より問題があっても”優等生”の方が大事、という事に尽きるのです。
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