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僕の頭の中にある世界

僕の頭の中にある”疑問”の世界を書くブログ
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05.06.22:57

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01.14.21:36

日本のロックの謎①-ロック魂とサムライ魂-

現在の若者にとって、「日本ロックの”神”的な存在は誰?」聞いたら、十中八九迷わずこう答えるでしょう。「ブルーハーツ!」と。しかし、僕が考える”ロック”のイメージに、正直彼らは該当しないのです。にもかかわらず、現時点でブルーハーツはもはや”日本ロック界”における”神”のような位置に君臨している感じです。更に、本格的な”ロック通”でも何故かブルーハーツは一目置いている感が見受けられます。これは何故なのか? 確かに、彼らの曲には若者達の心を直撃した”メッセージ”があったかもしれません。しかし、見方を変えれば若者に媚を売っているようにも思えるんです。更に、彼らは決して”カッコいい”とは思えないし、音楽的にも”童謡”に毛が生えたような”ヘンテコリン”な感じです。見方によっては”ポップ”と言われて嫌悪されているロック以上に”ポップ”に思えるのにもかかわらず、彼らは今やロックの”神”であり”伝説”にもなっている。そして、彼らを悪く言う人が殆どおりません。しかし、このように「何で?」と思えるようなものが多くの日本人に親しまれ、それらがさも”当たり前”となっているものの多くは、往々にしてその裏に”とてつもない存在によるカラクリ”があるように思えてならないのです。おそらく、ブルーハーツの背後にはとてつもない”仕掛け人”の存在がいるはずです。そこら辺を検証する前に、まずは日本における”ロック史”をざっと書いてみたいと思います。

日本における”ロック”の誕生は、1957年の”ロカビリーブーム”から始まっていると言われています。平尾昌晃やミッキー・カーチス辺りがその”代表格”ですが、日本においてはそれはあくまでも”ロカビリー”であり、”ロック”というものとは少し切り離された感がありますし、それに失礼ながらちょっと古すぎます(汗) その次の起こったブームが60年代半ばに起こったブルーコメッツ、タイガーズ、スパイダース等の”グループサウンズ”です。しかし、これも”アイドル的”な感が強く、”ロック”のイメージとは少し違うものだったと思います。そして、70年代に入り、矢沢永吉率いる”キャロル”や宇崎竜童率いる”ダウン・タウン・ブギウギバンド”がデビューした辺りから日本における”ロックのスタイル”が形付けられたといっても過言ではないでしょう。時を前後して、その裏では海外のロック(ハードロック、プログレ、グラムロック等)の影響を受けたバンドも多数排出され、この時期こそ日本において本格的に”ロック”が始動したといっていいと思います。その後、日本においては”ロック=不良”というイメージがこびりつき、それによって”偏見”も多かった事は確かでしょう。されど、そういった”硬派な姿勢”こそ”ロック”であり、これはある意味”武士道”にも通じるものがあると思います。そして、彼らは常に”メジャー音楽(アイドル・演歌等の”歌謡曲”やその後台頭する”ニューミュージック”)に”対抗意識”を持ち、そういったものを下から突く、というのが彼らの”生き様”でもあったと思います。

本来”ロック”というものは”白人(特にゲルマン系アングロサクソン民族)”によって作られたものです。ですから、ロックにはそういった人達の”骨太さ”や”激しさ”を感じるんです。日本人の中にも、そういった”民族性”に通じる人達がかつて存在しました。それは”武士”なんです。”武士”は”もののふ”とも言いますが、その語源はどうやら物部氏にあるようです。物部氏は確かに”軍事集団”でした。つまり、”武士”のルーツは物部氏という事になります。物部氏は現在の”天皇家”が日本にやってくる以前の”原天皇家”であった、と天橋立の先にある”元伊勢”と言われる”籠神社(このじんじゃ)”の宮司が証言している事が飛鳥昭雄氏の著書「-失われたイスラエル10支族-神武天皇の謎」にも書かれています。そして、彼らが”軍事集団”だった事から、おそらく”騎馬民族スキタイ”によってアッシリアから開放され、彼らと融合した”北朝系イスラエル10支族”の血を引いていると見ていいでしょう。中でも”スキタイ”の血を強く受け継ぐ一族が”物部氏”になっていったのではないでしょうか。そして、スキタイは”アーリア人”のルーツと言われ、”ゲルマン人”はアーリア人から別れた民族だと言われています。つまり、”武士”には”ゲルマン的資質”に近いものが元々あるのではないでしょうか。つまり、”ロック魂”は”サムライ魂”に通じるものがある、という事になるでしょう。

しかし、それが故に、それを危惧する人達が日本には存在する事も確かでしょう。何故なら、そういった概念が”体制批判”につながる危険性があるからです。現に、70年代後半にイギリスで起こった”パンクムーブメント”は”下層労働者階級”に多大な影響を与え、多くのイギリス国民が”反体制”を唱え、中には”暴動”まで起こるぐらいになる程の”社会現象”になりました。そして、日本ではどうか? さすがに”国家”を揺るがす程の”騒動”にはなりませんでしたが、横浜銀蝿が登場した辺りから”ツッパリブーム”みたいなものが起こり、それが単に”流行りもの”の程度で済めば良かったのですが、大人達のそういったものに対する”偏見の姿勢”が当時の中高生達を本格的に”非行”に走らせるようになり、やがて”校内暴力”や”学校破壊”が深刻化します。そして、そういった”不良少年”のより所がやはり”ロック”だった、という事です。さらに、九州の”メンタイロックブーム”から出てきたモッズやARB辺りのバンドの曲も”強いメッセージ性があったため、それらに拍車をかける事になったのは確かでしょうし、更に言えばそういった”思想”が当時はまだ活発だった”過激派”等を煽る危険性もあったと思います。そして、アメリカにおいては、”ヘビーメタル系”のロックがアメリカの少年達に”殺人”や”自殺”を引き起こす元凶とみなされ、「PMRC」という”歌詞検閲機関”まで設立されてしまいます。

こういった状況を、おそらく政府や警察は当然ながら問題視したでしょうし、やがてこういった”芽”は次第に摘まれる事になっていきました。でも、それでもこういった問題は忘れた頃に復活するもんです。そこで、こういった状況を完全に封印すべく”ある人達”が動いたと思われます。その為に彼らが最初にやった事は”ロックの封印”だったのではないでしょうか。でも、”不良少年”の”芽”が次第に詰まれるにしたがって”ロック”もやがて”ポップ化”し、レベッカ、尾崎豊、BOΦWY、TMネットワーク、渡辺美里、バービーボーイズ、プリンセス・プリンセス等が登場し、当時衰退しつつあった”アイドル歌手”に取って代わろうとしていました。でも、それが従来の”ロックファン”をかえって刺激した事も確かでしょう。そういった勢力の巻き返しを防ぐために、そういったものとは全くタイプの違うバンドを”ある人達”は排出したのではないでしょうか。それが、”ブルーハーツ”だと考えています。そして、すぐにもその”類似系バンド”も多数登場し”ビートパンク”と呼ばれて気が付いたら多くの若者を”虜”にしていました。これはある意味”ロック”というものの”すり替え作業”をしたといっても過言ではないと思います。明らかに”音楽性”も低いし、”オチャラケ”のようにも思えるし、”軟弱さ”も感じるのに”メッセージ性”はちゃんとある。これらが多くの若者を”虜”にした要因は、それまで”ロック”を聴きたくても”不良”のイメージでくくられる事を恐れて聴く事が出来なかった人達が堂々とロックを聴く事が出来た、という事と、ブルーハーツのような”単調な曲”が日本人の”潜在意識”を刺激したのでしょう。その”潜在意識”とは・・・、それは多くの日本人に流れる”先住民の気質”であり、”被支配者層”の気質以外の何物でもないと思います。つまり、”武士”に対する”被支配者層(農民、山の民、えた・ひにん等)”の魂がブルーハーツら”ビートパンク”や、TBS系のバンドオーディション番組「イカすバンド天国(イカ天)」から排出されたバンド達にはあった、という事ではないでしょうか。そして、”ある人達”というのは、”日本”そして”天皇家”を陰で動かしていたとされる”秦氏”ではないかと考えています。

こうして、やがてブルーハーツが日本の”ロックシーン”の”頂点”に立ち、やがて失墜し、再び浮上していくのですけど、そこら辺の経緯を次章では書きたいと思います。

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