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僕の頭の中にある世界

僕の頭の中にある”疑問”の世界を書くブログ
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11.17.04:09

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11.23.15:58

物部氏の謎

前章では、”蘇我氏の正体”についての検証をしてみたのですが、蘇我氏が聖徳太子と同じく”架空の存在”だったとして、その”モデル”となり得る氏族を探すと、ある2つの氏族に行きつきました。一つは蘇我氏同様”渡来系氏族”で、飛鳥時代の特徴である多くの”石造遺物”が示すような高度な”技術”を持った一族である”秦氏”であり、もう一つが一見”対立関係”にあるようで以外にも多くの接点が見られる物部氏である可能性が出てきました。ただし、彼らは現在でもその末裔が社会の”表”に存在する秦系ないし物部系の一族ではなく、あくまでも社会の”裏側”にまわって日本を動かしてきた一族である、という事です。では次に、物部氏がいかなる氏族だったのかを検証していきたいと思います。

物部氏とは、「古事記」、「日本書紀」においては”素戔嗚尊(スサノオノミコト)”、”大物主神”、”大国主神”等の”国津神”の子孫とされる事から、”先住系王族”とされていますが、これも研究者によっては”縄文系先住民”と見立てる人もいれば、”天孫族(天皇一族)”より少し前に日本に渡来した民族と見立てる人もいます。しかし、隠蔽された古代日本史を解くには”海の外”の歴史書が”重要参考資料”となるのです。秦始皇帝の参謀であった徐福は、次第に高慢になり人心が離れていった始皇帝に見切りをつけ、「海の向こうに蓬莱山があり、そこには不老長寿の薬草が生えているそうなので、さっそくその薬草を取ってきて差し上げましょう。」と始皇帝を騙して海の向こうの蓬莱山(おそらく日本の富士山)へ向かって出航し、事実上の”亡命”を計りました。無論、このような史実を日本の”記紀”は認めていませんが、日本各地に”徐福伝説”が存在し、”日本史”においても考古学的に徐福が渡来したとされる紀元前3世紀とほぼ同じ時代のものとされるそれまでの”縄文式土器”とは全く形状の異なる”弥生式土器”や、”水田稲作遺構”等が確認されています。つまり、我々が歴史の授業で習った”弥生人”の正体が”徐福一行”だった事になります。そして、彼らの事を秦からの渡来人として”秦氏の祖先”と考える人も多いようですが、それに対して”サイキックエンターティナー”飛鳥昭雄氏は「秦氏は天皇一族とほぼ一緒に日本に渡来した氏族で、彼らは自分達の神”イエス・キリスト”を”天照大神”として日本の最高神に据えた”キリスト12使徒”の末裔である。」と彼らの多くの著書に記しているため、もしこちらが正しければ、徐福一行は秦氏ではない事になります。となれば、考えられるのは、天皇一族や秦氏以前に日本に来ていたと思われる物部氏こそ、”徐福一行”の末裔である可能性が高いのではないでしょうか。となれば、卑弥呼で有名な”邪馬台国”を建国したのは物部氏である可能性が出てきました。

しかし、多くの”徐福伝説”から考えれば、彼らはあくまでも”軍事支配”ではなく、”交易”を通じて自分達の”文化”や”技術”を伝播して”縄文系先住民”と融合していったと考えるべきでしょう。つまり、この頃の”物部氏=徐福一行”は決して”軍事氏族”ではなかった、という事になります。無論、彼らの中に秦の兵士がいた可能性もなくはないが、それはあくまでも”護衛隊”であり、倭国=古代日本を武力征服しようとは思っていなかったのでしょう。では、何故いつしか物部氏は”祭祀氏族”であると同時に”軍事氏族”になってしまったのだろうか?

徐福の時代から約600年後の女王・卑弥呼の時代、彼女の晩年には”邪馬台国”の南方に位置するとされる”狗奴国(くなこく)”との対立が激化し、”後継者”の壱与(とよ)の時代の途中で「魏志倭人伝」から邪馬台国に関する記述が途絶えた事から、おそらくこの頃邪馬台国は”滅亡”したと推測されます。で、邪馬台国の南方に位置したとされる”狗奴国”とは一体どんな国だったのだろうか? 多くの研究家は”熊襲(クマソ)”、”隼人(ハヤト)”を中心とした”南九州王国”と考えているようですが、これに対して飛鳥昭雄氏は「かつて日本列島は九州を北に上下逆さま”だった。」と主張。その理由は、「魏志倭人伝」に記述された”距離”と”日数”では辻褄が合わず、日本列島を”上下逆さま”にした場合、その距離と日数を忠実に辿っていくと現在の奈良県のある”大和”と一致するからだと、著書「邪馬台国の謎と逆転日本列島」に記しています。となると、そこから”狗奴国”を探っていくと関東~東北地方にまたがる”東日本”となり、おそらく徐福一行の”文化”や”技術(特に農耕技術)”をあまり受け入れず自分達の生き方を貫いた”東日本縄文王国”であった可能性が高くなります。そして、飛鳥氏は、「古事記」、「日本書紀」に登場する”天孫族”に対抗した”長髄彦(ナガスネヒコ)”は東日本側の”統治官”だったのでは?としています。で、”記紀神話”における”神武東征”の項には長髄彦が奉じた神”饒速日命(ニギハヤヒノミコト)”なる神が登場し、神武天皇が”天照大神”の子孫である事を知ると、この神は神武に国を譲る事を約束し、一方の長髄彦はそれを拒んだために殺された、と書かれています。この”饒速日命”とは一体何者なのだろうか?

”饒速日命”は一応”物部氏”の祖の一人とも考えられているため、彼が物部氏と深い関係がある事は間違いないはずですが、長髄彦が”邪馬台国”を征服した”狗奴国”側の人間だったとしたら、”被支配者”である”邪馬台王族”を”神”とするはずがないんです。となれば、”狗奴国”以前に”邪馬台国”を征服した”異民族”が存在した、という事ではなかろうか。更に、その後”天孫族”の神武天皇が大和に入った際に、神武天皇の正体を知った饒速日命が”国譲り”の約束をした所を見ると、この”饒速日命”とその一族は、おそらくは”天孫族=天皇一族”の”別動隊”ないし”配下”の一族だったのではないでしょうか。そして、この時を持って”物部氏=軍事氏族”となったのではないでしょうか。そこで、今一度”蘇我氏=物部氏説”を持ち出すと、”蘇我”という名前の今度は”読み”を考えると”ソガ”という発音と近い民族が浮かび上がってくるのです。”ソガ”に近い発音”で”軍事民族”である民族で思い当たる民族の中に”スキタイ系サカ族”が浮かび上がってきます。”サカ族”と言えば”仏教の祖”である”釈迦(ブッダ)”の出身族であり、この事から”蘇我氏”と”仏教”との関連も伺われます。そして、サカ族は”天孫族=天皇一族”のルーツと考えられる”北朝イスラエル10支族”がアッシリア滅亡後に彼らと融合する形で北アジアルートで最終的に朝鮮半島を経由して日本へ入ってきたと思われますが、10氏族の中でも特に”サカ族”の資質を多く受け継いだ支族がおそらく存在した可能性が考えられます。それを伺わせるのが、蘇我氏の中には同時に”石川”と名乗る者が存在する事です。その”イシカワ”の発音と近い”イスラエル支族”が存在します。”イッサカル族”です。”サカ族”と”イッサカル族”、この両者も何となく発音が似ている事から”サカ”が”イッサカル”が転じた読み方であり、両者は完全に”同化”したのではないでしょうか。

”饒速日命=サカ/イッサカル族長”は、神武天皇に”邪馬台国=大和国”を譲った後、”出雲国(おそらく当時は山陰地方一体)”に拠点を移したのではないでしょうか。しかし、神武天皇は配下にいた”日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を出雲へ遣わせそこを”支配下”とし、更に九州の”熊襲”を征伐した後、東国へも派遣したものの完全に支配できないまま、大和へ向かう途中に”他界”しています。こうして、”饒速日一族”とその配下に下った”邪馬台王族”は”物部氏”となって西日本を中心とした”大和国”の”大連”となって”祭祀”と”軍事”を司る”大豪族”に君臨するも、飛鳥時代に入るとライバル”蘇我氏(おそらく秦氏のカムフラージュ?)”との”覇権争い”に敗れ、表向きにはそのまま”没落”していく事になりますが、しかし今度は彼らが”蘇我氏”に名を変えて入鹿の時代に政権を欲しいままにし、そして中大兄皇子(天智天皇)と中臣(藤原)鎌足によって入鹿が暗殺されると、物部氏は本格的に”衰退”し、そして歴史の”裏側”にまわってその後の様々な”歴史的事件”を陰で操っていったのではないでしょうか。・・・そして、彼らの”末裔”は、おそらく現代にも至っているのでしょう。
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無題

徐福=弥生=神武王朝の構図は、大いにあり得ますね。

さらに秦氏で諸説出てしまうのは、秦氏がユダヤの転化で生じた名前だからでしょうね。

徐福一行もまたユダヤであったとみれば、いわばもうひとつの秦氏説が出てしまう可能性はありますよ。

モーゼとイエスの弟子達

物部氏の一族と言われている尾張氏が宮司を務める熱田神宮には”三種の神器”の一つである”草薙の剣”が保管されているそうですが、この”草薙の剣”は実はユダヤの”三種の神器”の一つである”アロンの杖”と同じものである、という話があります。となれば、この杖を保管している尾張氏の”本家筋”である物部氏がアロンの弟・モーセの一族ないし弟子の末裔である可能性が考えられるのではないでしょうか。

となれば、徐福は”モーゼ一族”の末裔という事になり、秦氏が”イエス12使徒”の末裔となると、”物部氏=旧ユダヤ教徒”VS”秦氏=原始キリスト教徒”の対立→併合があった事は間違いないと思われます。

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神武と弥生と徐福はむすびつくか。

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