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僕の頭の中にある世界

僕の頭の中にある”疑問”の世界を書くブログ
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11.26.10:48

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12.30.14:51

日本人の成り立ち②-徐福伝説と邪馬台国-

紀元前5世紀前後になると、それまでの”縄文時代”の物とは明らかに違う文化がもたらされた痕跡が、”弥生式土器”、”水田跡”、そして”新モンゴロイド系の人骨”の発掘によって明らかになりました。そして、その時代とほぼ重なる紀元前213年、秦の始皇帝の”参謀”の1人だった徐福という人物が、始皇帝の”独裁政権”から逃れるために「はるか東の海に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)という三神山があって仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めに行きたいとおもいます。」と始皇帝に申し出、稲など五穀の種子と金銀・農耕機具・技術(五穀百工)を備え、そして若い男女ら3000人を伴って日本に渡来し、そのまま”亡命”した、とする伝説があります。徐福は当初”架空の人物”という疑いがあったようですが、最近の研究ではその”実在性”が明らかになったようです。そして、日本においても”徐福伝説”はかなり多くの地域で残されています。

しかし、飛鳥昭雄氏は「日本人の成り立ち①」で書いたように、かつて日本の本州は”フォッサマグナ(①を参照)”を境に2つに別れており、そこへアメリカ大陸から”東日本側”に”インカ/アステカ系民族”が渡来し、”西日本側”に”マヤ系民族”が渡来して、それぞれ”縄文文明”と”弥生文明”を築いていった、としています。その証拠として、”縄文人”の末裔とされるアイヌとインカ人が”文字”を持たない事、「魏志倭人伝」に書かれている”倭人”の服装や風習が”マヤ人”に酷似する事、としています。更に「魏志倭人伝」に書かれている倭人の特徴が”中国人”や”朝鮮人”とは全く異なる事、としています。でも、そうなれば時代的に紀元前3世紀前後の地層から発掘される”縄文式土器”とは明らかに形状の異なる”弥生式土器”や、アメリカ先住民が行っていなかったはずの”稲作農業”の痕跡、そして”縄文人”とは明らかに形質の違う”新モンゴロイド系の人骨”の説明がつかなくなります。おそらく、”西日本先住民=弥生人”は基本的には”縄文人”とさほど変わらなかったのかもしれません。しかし、紀元前5世紀前後(厳密には紀元前3世紀前後)にはそれまでと全く異なる”中国系”の文化が入ってきた事は間違いないと思います。そして、それをもたらしたのが徐福率いる”秦の亡命者”であるとするならば、おそらく彼らが当時の”西日本”を統一して”邪馬台国”を築いていった可能性も考えられると思います。

そのようにして形作られていった”西日本弥生王国=邪馬台国”も、徐福ら”最初の亡命者”達が亡くなると次第に”勢力”が弱まり、更に飛鳥氏が指摘するように東西に分かれていた本州が”地殻変動”により衝突すると、”東日本側”の縄文人(「魏志倭人伝」でいう所の狗奴国)が攻めてきて、それによって「魏志倭人伝」で言う”倭国大乱”が起こり、当時畿内にあったと思われる”邪馬台国”の主用地域は”狗奴国=縄文人”に奪われ、一時九州に退散したと思われます。そして、当時朝鮮半島に既に居住していたであろう”秦人(イスラエス10支族+秦氏)”と同盟を結んで、その一支族(おそらく”天皇家”より先に日本にいたとされる物部氏)を後ろ盾に”邪馬台国”を”狗奴国=縄文人”から奪回し、”先住民系”で”シャーマン”の資質を持つ卑弥呼を”マスコット”的な”女王”として”西日本”を再び統治したのでしょう。そして、その為に用いられた”権威の象徴”が黄金製の”親魏倭王印”と”三角縁神獣鏡”で、それを裏で画策したのが徐福の末裔である”旧邪馬台国王家”と彼らと同盟して九州に新たな国”伊都国”あるいは”奴国”を建てた”秦人(イスラエス10支族+秦氏)”の一部で、その”主流”である”天皇家”に先駆けて日本に渡来した物部氏ではないでしょうか(金印には実は”漢委奴国王”と彫ってあり、”委”を”倭”の誤字とすれば、漢が”倭の奴国”に送った印、となり、”委奴国=伊都国”とすれば漢が”伊都国”に送った印、となります。要するに、”邪馬台国”の事実上の”主導権”を握っていたのは”奴国”ないし”伊都国”であり、その事実上の”王家”が物部氏だったと考えております。)。それが今日における”畿内説”と”九州説”の”邪馬台国論争”につながるのではないでしょうか。

やがて、卑弥呼が亡くなると、その娘とされる台与(とよ)が”女王”となりますが、いつしか「魏志倭人伝」から台与の名前が消え、そこでこの文は終り、更に中国の歴史書から日本にまつわる記述が消えます。これを飛鳥氏は”邪馬台国”が”狗奴国”に滅ぼされたため、としています。そして、”邪馬台国”は”狗奴国”に占領され、そこの”統治官”となったのが”記紀神話”による所の”天皇家”に対する”反逆者”となった長髄彦で、”記紀”においては饒速日命(ニギハヤヒノミコト)に殺された事になっていますが、東北蝦夷系豪族安倍氏の血を引く秋田氏に伝わる古文書「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」には、長髄彦は兄(もしくは弟)の安日彦と共に東北地方に逃れ、”先住民”である阿蘇辺族(イヌイット)と津保化族(アイヌ)と合流して”荒吐王国”を作ったとされています。そして、その際に長髄彦に代わって大和を統治した饒速日命は、その直後に東征して来た神武天皇の配下となります。ちなみに、饒速日命は物部氏の”祖神”と言われています。そして、”天皇家”率いる”大和民族(北朝系イスラエル10支族+南朝ユダ系原始キリスト教徒(イエス・キリスト12使徒=秦氏))”によって”大和地方(旧邪馬台国主用地域)”は支配され、やがて彼らは”西日本”を統一し、やがて”関東地方”も支配下に治め、そして、平安時代に入ってようやく”東北蝦夷王国(荒吐王国)”を征服する事になります。

この”大和民族”がどういった経緯で日本にやってきたのか、を”次章”で書きたいと思います。

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12.28.15:00

日本人の成り立ち①-日本最初の文明人、縄文人の誕生-

日本人の”祖先”は果たしてどこからやってきたのか? 海に浮かぶ島国”日本”には独特の”風土”があり、そして”独特”の文化がある。中国とも朝鮮半島とも違う”文化”と”言語”を持ち、更に日本は”東西”でくっきりと違う文化を持っている。そして、日本人の”顔”にも大きく分けて2つの系統があり、”眉毛”が太く、目がまん丸で二重まぶた、鼻が丸く、唇が厚く、輪郭が四角っぽくて、髭の濃い”ソース顔タイプ”と、”眉毛”が細く、目が切れ長の一重まぶた、顔の輪郭は丸もしくは面長で頬が出ていて、鼻は低く狭く、唇の薄い”醤油顔タイプ”がいます。これらを踏まえれば、日本人の”ルーツ”はいくつかの”系統”に分かれるのは明白。もはや、”日本人=単一民族”なんて信じている人なんて誰もいないはずです。

まず、日本最古の”先住民”とされているのが”縄文式土器”を生み出したとされる”縄文人”です。彼らは、”骨格”から判断しても顔の輪郭は角ばっており、彫が深い事がわかり、現在のアイヌや琉球人が彼らの”直接の子孫”であるとされています。その為に、当初は彼らは”南方系モンゴロイド”とされていましたが、”DNA鑑定”の結果、彼らの遺伝子はバイカル湖付近に居住するブリアート人と一致し、”北方系モンゴロイド”である事が明らかになったようです。しかし、彼らは”縄文人”というよりは”弥生人”に近い顔立ちを持った、所謂”新モンゴロイド”といわれる人達です。そうなると、話がややこしくなってきます。でも、学説ではブリアート人の祖先がまだ”古モンゴロイド(縄文人タイプ?)”の頃にそのまま日本へやってきたのが縄文人で、そのまま”アメリカ大陸”に渡ったのが”アメリカ先住民”としています。しかし、そうなると”文化的”に見ると縄文人、それから現在のアイヌや琉球人の文化は”南方系”であり、アジア、太平洋、果てはアメリカ大陸まで広がる”環太平洋文化圏”に当てはまるものとされています。では、”縄文人”は果たして”北方系”なのか? それとも”南方系”なのか?

これに対して、”サイキックエンターティナー”の飛鳥昭雄氏は、”縄文人”はアメリカ大陸から渡ってきた”アメリカ先住民”としています。確かに、アメリカ大陸からも”縄文式土器”のようなものが出土していますし、太平洋の島々からも”縄文土器”のようなものは出土しています。”渦巻き模様”や”刺青”の風習もアイヌ、琉球、ポリネシアにまたがって存在しているようです。更に、”ピラミッド”と思われるものもアメリカ大陸から太平洋、果ては日本にまで存在します。そして彼は「本州はかつて”フォッサマグナ(新潟の糸魚川から長野県を通って静岡の大井川に走っている断層)”を境に2つの島に分かれており、”東日本側”の島にはインカ系(アステカ系)の人が渡ってきて”縄文人”となり、”西日本側”には”マヤ系”の人が渡ってきて”弥生人”になった。」としています。ただ、僕は”弥生人”はあくまでも”弥生式土器”と”水田稲作農業”をもたらした”新モンゴロイド”と考えているので、いずれにしても”日本先住民”のルーツが”アメリカ先住民”である可能性がある、という事ですね。しかも、飛鳥氏はそれ以前には”イヌイット”が日本にいた事を示唆しています。それは、埼玉県かどこかで発掘された遺跡から”イヌイット”と同じ形の矢じりが発見されているからです。そうなれば、おそらくブリアート人も”イヌイット”をルーツとしている可能性はあるので、ブリアート人に近い”遺伝子配列”であるという事にも頷けますね。

しかし、そこで”疑問”が生じるのが、アイヌや琉球人の”体毛”は濃いのに、アメリカ先住民の体毛は薄い、という事なんです。飛鳥氏の著書「古代日本と失われた環太平洋文明の謎」では、アメリカ先住民はエジプトから渡ってきた”イスラエル系ヨセフ(マナセ族及びエフライム族)族”であり、彼ら以前にアメリカには”先住民”らしき人達が存在し、その”先住民”が太平洋に渡り、アメリカ先住民も彼らを追うような形で太平洋に渡り、彼らと”混血”した後日本に渡ってきた、としていますが、その”先住民”が”原ポリネシア人”であるならば、彼らは”オーストラロイド”や”メラネシア人”の血も引いているはず。となれば、仮にアメリカ廻りで太平洋へ出た”オーストラロイド”がいたとしても、その”本流”はユーラシア大陸を南下して”オーストラリア”へ渡り、その一部が”太平洋”へ出たと考えるのが妥当(「第四の人種、オーストラロイドの謎②」を参照)。更に”メラネシア人”はアフリカから分裂した”インド大陸”に乗って渡ってきた”アフリカ系黒人”がルーツだと考えておりますから、彼らもその後太平洋へ渡っているはずです(「第四の人種、オーストラロイドの謎③」を参照)。となれば、その”過程”には当時は現在より南に位置していたとされる日本もあったはず! 要するに、”オーストラロイド”や”メラネシア人”が日本にも渡ってきたはずなんです。それを裏付けるのが沖縄で発見された港川人の骨なんです。鑑定の結果、彼らは縄文人よりも古い時代の人達で、オーストラロイド系ワジャク人に近い人種だそうです。おそらく、最初に日本に来ていた”イヌイット”とオーストラロイド系の”港川人”が混血し、更にそこへアメリカ大陸から渡ってきた”アメリカ先住民”が東西日本を統治し、当然ながら彼らと混血して”縄文人”となった、という事なのでしょう。事実、アイヌはかつて”オーストラロイド”に分類される、という説もあったようですからね。

いずれにしても、縄文人のルーツの一部が”アメリカ先住民”であり、更に彼らのルーツが”イスラエル系ヨセフ(マナセorエフライム)族”だとしたら、青森県にある三内丸山遺跡がいかに高度な文明を物語るものであるかが理解できますね。しかし、彼らはやがて”朝鮮半島経由”で渡来してきた”大和民族(北朝イスラエル10支族+南朝ユダ系原始キリスト教徒)”に支配され、そして”西日本”にいた先住民(後に弥生人(徐福率いる秦の亡命者)に吸収される)の多くは”農民層”に吸収され、”東日本”にいた先住民は”蝦夷”として最後まで朝廷に抵抗。そしていずれは”降伏”し、一部は”農民”となり、他は”山の民”として”放浪生活”を営むようになっていったのではないでしょうか。

12.24.09:26

サンタクロースの正体

今朝、日本テレビ系の「目がテン!」で、”サンタクロース”を取り扱っていたのですが、その中でアポロ18号が月の裏側を探索し、そこから出てきた時にその乗組員が「サンタクロースを発見!」と言った、というエピソードが取り上げられ、これはその日が12月25日、すなわちクリスマスだった事からアメリカ国民に向けた”クリスマスプレゼント”的なメッセージだった、としていました。でも、実はこの”サンタクロース”と言うのが”UFO”の暗号である、という噂もかねてからありました。そして、飛鳥昭雄氏がUFOを地球内部のプラズマ亜空間天体”アルザル”に住む失われたイスラエル10支族の末裔、”アルザル人”の乗り物としています(参考:「亜空間の謎と地球空洞論」、「失われた地底王国、シャンバラの謎」)。更に、この”アルザル”のいう場所は「旧約聖書」によれば”北の果て”にある、と書かれており、それを飛鳥氏は”北極点”付近に発生した”プラズマトンネル”が”アルザル”の入り口である、としています。そして、サンタクロースの”故郷”は”北極”と言われています。となると、”サンタクロース”は事実”UFO”と何かしらの関係がある、という事なのか?

まず、”サンタクロース”のモデルになった人物と言えば、4世紀頃東ローマ帝国配下にあった小アジア(現在のトルコ)の司教、聖ニコラス。彼の逸話の中には「三人の娘を結婚させるお金のない父親の嘆きをたまたま聞いたニコラウスは、気の毒に思って、夜になってからその家に金塊(財布の説もある)を三つ投げ込んだところ、それが靴下の中に入った」というものがあります。それが今日の”サンタクロース伝説”の起源になる事は確かなのでしょう。しかし、これに近い逸話は実は”ユダヤ/キリスト教系”の聖人には多く見られる話で、「旧約聖書」の「出エジプト記」では、モーゼと兄アロンがイスラエルの民を従えてエジプトを脱出した際、神が”食料”として”マナ”と呼ばれるウェハースに近いパンのようなものを与えたり、イエス・キリストが西暦31年の「過越(すぎこし)の祭り」の際に、そこに集まった数千人の信者に元々パン5個と魚2尾のみだけだったものを”奇跡”によって数を増やして彼らに食べさせたり、更にガラリアの農民の結婚式に招かれたイエスが大きな”石甕”をプレゼントし、そこに入っていた水がいつの間にか”葡萄酒”に変わったり、そして、エルサレムのベテスダのいう地に”温泉”が湧き出る療養所があり、その中に38年間も病気が治らない人がいたため、”奇跡”によってその病気を治した(参考:週間スモールトーク(第17話) イエス・キリストⅡ~奇跡~)、などの例があります。いずれにしても、”ユダヤ/キリスト教系”の”神”もしくは”聖人”が人々に何かを与えた、というエピソードが”サンタクロース伝説”の根本にある事は確かだと思います。

そして、この”ニコラス伝説”がオランダに伝わり、名前が”聖(セント)ニコラス→シンタクラース”と変化し、更にアメリカに植民したオランダ人が”ニコラス伝説”をもたらし、名前が”サンタクロース”に変化して、今日まで到っているのですが、問題なのは本来”小アジア(現在のトルコ)”出身であるニコラスが、何故”北極(もしくはその近辺のグリーンランドやフィンランド辺り)”を故郷とするサンタクロースに変化したのか? そして、何故8頭のトナカイに引かれて”ソリ”に乗って12月24日の”クリスマス・イブ”の日に純心な子供達に”プレゼント”を配るのか? これにはおそらく何かしらの”根拠”があるはずです。サンタをこのような”姿”に作り上げた人達はおそらく”只者”ではないと思います。おそらく”フリーメーソン”の人間が絡んでいるのではないでしょうか。そして、彼らは地球内部の”亜空間惑星=アルザル”の存在を知っており、そこに住んでいる住人が”失われたイスラエル10支族の末裔”である事も知っているはずです。すなわち、今日のサンタクロースの”イメージ”のモデルになっているのは、”プラズマ亜空間惑星アルザル”から”プラズマトンネル”を通って北極からUFOに乗って飛来した”エイリアン=アルザル人(イスラエル10支族)”ではなかろうか! それが、キリストやニコラスらの”聖人伝説”と融合して、今日の”サンタクロース伝説”として受け継がれているのではないでしょうか。

とすれば、”サンタクロース”はある意味”実在”する!という事になりますね。  

12.23.11:29

宇宙人について

僕は基本的に飛鳥昭雄氏の説をベースにしながら、彼があまり触れていないネタをこのブログで扱っているのですが、実は彼は以外にも”宇宙人”についてはあまり触れていないんですよ。飛鳥氏は”UFO”に関する情報は扱いますが、彼の言う”UFO”は、”宇宙人の乗り物”ではなく、地球内部の”プラズマ亜空間(聖書に記述されている”アルザル”という場所)”に住んでいる”失われたイスラエル10支族の末裔(便宜上”アルザル人”としておきます)”の乗り物としています。そのため、”本物の宇宙人”に関しては殆ど取り扱っていません。

しかし、となると”宇宙人”は存在しないのか?という事になりますが、広大な”宇宙空間”には無数の”星”が存在する訳ですから、地球のみに”生物”が存在する、と考える方がむしろ”非科学的”だと思います。実際、これは飛鳥氏も認めています。しかし、”太陽系”にそういった星が確認されない以上は、そのような天体は地球からかなり距離を持っており、更に”大気”だって同じかどうかわかりません。そのような”リスク”を背負ってわざわざ”宇宙人”が地球に来るとは思えない、とも指摘しています。確かに僕もそう思います。

では、”宇宙人”が乗るUFOの飛来は”100%”あり得ないのだろうか? もし、地球を含めた全ての”天体”と、地球の”生物”を作ったのが”神”であるのであれば、地球と同じような天体やそこに住む生物だって数多く作っているはずです。地球と同じように人間のような”知的生命体”が存在し、それらが”表の世界”では”欲望”の赴くままに好き勝手な振る舞いをするようになり、彼らから隔離された場所で”高度文明”を築いた”アルザル人”のような人々が存在している可能性もあると思います。星によっては、初めから”アルザル人”のような高度な”精神文明”を築いている人しかいない星だってあると思います。となると、そういった”他天体”における”高度精神文明人”がUFOに乗って地球に飛来している可能性はあるでしょう。”遠距離”に関しては”異次元空間”をワープする事も可能だと思います。でも、それを繰り返せば”宇宙空間”の歪みは大きくなるでしょうから、極力それを避けて地球の”アルザル人”とインターネットか何かで交信している可能性はあると思います。それと、”SF小説”に出てくる”タコ型宇宙人”や”SF映画”に出てくる”ET”のような宇宙人に近い生物もいるでしょうけど、それは”宇宙人グレイ”としてでっち上げられていた地球産UMA”河童”と同じようなもう少し程度の低い”動物”であって、決して”宇宙人”と呼べるものではないのでしょう。

もし、これらの星が地球と同じ”神”が作った天体で、そこに住む生物も”神”が作ったものだとすれば、おそらくその”構造”や”運命”まで地球そっくりな星も多数存在すると思います。そうなれば、”終末の危機”を迎えた星も多く存在すると思います。その為の”情報交換”的な事を”高度精神文明人”の間で頻繁に行われている可能性はありますね。そして、場合によっては他の”高度文明人”が地球に飛来したり、もしくは”アルザル人”がこういった星へ旅立ったりしている可能性ももしかするとあるのではないでしょうか? そうなれば”UFO=宇宙人乗り物説”も完全に死んだ訳ではないような気はします。

12.17.11:14

インディーズ文化と山の民

とにかく、今の若者の間では本来”メジャー”になりえなかったもの、すなわち”インデイーズ”と呼ばれる”ストリート/アンダーグラウンド”の文化が”ファッション面”、”芸術面”、さらに”娯楽面”において浸透しています。”インディーズ”という言葉は元々”インディペンデント(independent)=独立”の”造語”であり、本来は”大手レコード会社”と契約できなかった無名ミュージシャン達が独立した”レーベル”を立ち上げた事から、この”インディーズ”という名前は生まれたのでしょうけど、それが今度は乱立した”プロレス団体”でも使われるようになり、”現国会議員”である大仁田厚が設立した”FMW”を皮切りに”インディーズ団体”と呼ばれる団体が跋扈しました。そして、こういった”ストリート/アンダーグラウンド”を経てきたパンク系バンド、フォークデュオ、ヒップホップグループや台頭し、”インディーズプロレス”の要素が”プロレスエンターテインメント”「ハッスル」に受け継がれ、”ライブ中心”の活動をしていた”若手お笑い芸人”が新たな”お笑いブーム”を築いています。この”原動力”、”背景”には一体何があるのだろうか? そして、おそらくこれらを裏で動かす”黒幕”も存在するのでしょう。そこら辺を”検証”していきたいと思います。

まず、今の日本では何故こういったものが流行るのだろうか? ”音楽”の方では80年代末期にブルーハーツがデビューしてからそれが日本の”音楽シーン”をガラッと塗り替えて、ジュン・スカイ・ウォーカーズらの”類似系バンド”による”ビートパンク”というシーンが起こり、更に原宿の歩行者天国(ホコ天)を中心に活動するバンドや、深夜番組「イカすバンド天国(イカ天)」から生まれたバンド達による”バンドブーム”に発展。しかし、このシーンも90年代に入れば徐々に衰退。しかし、90年代後半再び”路上シーン”にスポットが当たるようになり、そこからゆず、19、それからコブクロらが輩出され”フォークデュオブーム”が起こり、それと平行して”クラブシーン”も注目されるようになりDRAGON ASHを筆頭に”ヒップホップシーン”も生まれました。”プロレス”の方では”団体の乱立”、さらにはK-1、PRIDEといった”他の格闘技”の台頭により”プロレス人気”は一気に低迷化。しかし、そんな中地道にマニアに支持されていたのが”インディーズ団体”でした。確かに、これらのプロレスには従来のプロレスにとって重要な”強さ”や”迫力”に欠けるものの、その分”お笑い的要素”でカバーしていたため”初心者”にも受け入れやすかった。この要素を取り入れ、”大物レスラー”から果ては”芸能人”まで取り入れる事で設立された団体が「ハッスル」です。そして、”お笑い”の方では確かに”高レベル”の芸人もいますが、中にはアンガールズ、安田大サーカス、小梅太夫、たっち等の”ゲテモノ系?”もいて、でもこれらも”人気”を博しています。これらに”共通”しているのは、本来”メジャー”では扱われないはずのものである、という事です。そのジャンルの”本質”から外れた物が現在多くの若者を中心としたファンから絶大な支持を得ているのです! でも、何故このような事が起こってしまったのだろうか?

まず考えられるのが、”既成概念への反発”だと思います。それまでの”学校教育”によって”規定概念の一本化”、”価値観の平均化”が強引に推し進められ、そこからはみ出た者はすぐさま”不良”、”落ちこぼれ”のレッテルを貼られました。そして、中でも”不良”と呼ばれた連中はやがて”ロック”と結びつき、”自由”と”反抗”の精神に基づいて”校内暴力”や”学校破壊”を行うようにまでなってしまいました(もちろん、これらがロックのせいだとは思わないが、そういったものに当時の”不良”達が感化されるようになったのも否めないでしょう)。でも、”落ちこぼれ”という枠でくくる場合はどうか?というと必ずしもそれが”不良”という事にもならないんです。真面目でおとなしくても”学力”が低い生徒もいっぱいいた、という事です。そして性格的にだらしない生徒も実はいっぱいいたはず。でも、それらを隠すために”いい子”のふりをしなければならず、少しでもはみ出せば”不良”の扱いを受けてしまう。でも、本物の”不良”にも溶け込めずに路頭に迷っていた生徒は大勢いたはずです。更にかつては表立ってはいえない恥ずかしい”趣味”や”価値観”を持っていた生徒だって本当はいっぱいいたはず。でも、かつてはそれを堂々と公表する事がマナー的に”タブー”とされ、とにかく何かしら格好をつけなきゃいけないみたいな風潮さえあったと思います。その鬱憤から、次第に”いじめ”なども頻繁に行われるようになったのでしょう。でも、そんなさ中にブルーハーツが登場し、さらに”バンドブーム”が起こった事によって若者の”価値観”がガラッと変わってしまったのは確かでしょう。それまで恥ずかしくて隠していた部分を一気にさらけ出す事が許される時代が訪れた、という事でしょう。更に”ファッション面”でも今では”真面目な人”と”不良”も見分けがつかなくなるぐらい”自由化”した事は確かだと思います。そして、それまで”ダサい”とされてきたものが認められるようになり、逆に”格好いい”と思われてきたものが”ダサい”とされるような”逆転現象”も起こるようになりました。その”原動力”、そして”背景”には一体何があるのだろうか?

そこに、日本人の隠された”ルーツ”があり、その”血筋”が今でもちゃんと受け継がれている、という事だと思います。特に”被支配者階級”にはそういった”血筋”が代々受け継がれていたはず。そう、多くの日本人には少なからず”先住民”の血が流れている、という事です。そして、彼らの間では”上層階級者”からは目も付けられなかった彼ら独自の”文化”があったと思います。”庶民”ならではの”文化”が。そして、その担い手こそ”山の民”だと考えています。いわば、今の”インディーズ文化”のルーツは”山の民文化”にあるといっても過言ではないのではないでしょうか。

では、”山の民”とは一体何者なのか? 彼らは本来”先住民系”の血を引く人たちで、”中央政権”が確立されても自分達の”生活スタイル”を変えずに”山岳地帯”や”河岸地帯”を拠点に”漂白生活”を行っていた人達です。主な”職業”としては、”狩猟”、”採集”、あるいは”林業”を生活の基盤としていた”またぎ”、”木製品”あるいは”竹製品”の製造を行っていた”木地師”あるいは”竹細工師”、”土木工事”や”皮革製品”の加工をしていた”河原者”、”傀儡師(人形使い)”、”猿楽師”、”白拍子”といった”漂白芸能者”、更には遊女などがそうで、中には本来”渡来系”である”陶芸師”や”鍛冶師(たたら)”に組み込まれた人達もいたでしょう。で、”傀儡師(人形使い)”、”猿楽師”、”白拍子”等の”漂白芸能者”に注目。これらが、かつて農民などの庶民に愛された”インディーズ文化”の源流であり、更にこれを秦氏系の人達がアレンジして”上層階級者向け”の芸能となったのが”人形浄瑠璃”、”能”、”狂言”、そして”歌舞伎”といわれるものです。ここに”山の民”と”秦氏”の深いつながりが見られるでしょう。現に、彼らの中でも”山窩(さんか)”と呼ばれる人達は、秦氏の中でも”天皇家”を裏で動かしていた”八咫烏”と呼ばれる人達の配下にいた人達で、所謂”忍者”や”修験者(山伏)”は元々はこういった人々と考えています。いずれにしても、彼らは”中央政権”からは”被差別選民”として扱われ、江戸時代に入ると一部の人達(特に”河原者”と呼ばれた人達)は”えた・ひにん”と呼ばれる”最下層階級”に組み込まれ農民、町民等による”差別”の対象になりました。でも、これはあくまでも”表向き”な史実であり、実際は必ずしもそうではなかった、いやむしろ好感を持っていた人さえいたと思うのです。この事は後ほど別の機会に書きたいと思いますが、この事を如実に表している伝承が江戸時代に作られたと思われる”河童”にまつわる民話です。おそらくここに描かれている”河童”は”本物(”宇宙人グレイ”としてでっち上げられたUMAの一種)”ではなく、おそらく”えた・ひにん”の枠に組み込まれた”河原者(かわたとも言う)”だと考えています。

話は元に戻りますが、”音楽”の方では”ビートパンク/青春パンク”、”ストリートフォーク”、”ヒップホップ”等が絶大な支持を受け、”プロレス”の方では”インディーズ団体”の”オチャラケ”た要素を取り入れ、更に”芸能人”をも混ぜこぜにしてしまった「ハッスル」が注目され、”お笑い”では”ゲテモノ系”までもが”人気”を得、それ以外の”芸能人”でも”オカマキャラ”のタレントがやたらともてはやされ、それから昨今秋葉原を中心とした”メイドブーム”、”オタクブーム”も起こっています。まさに”異類異形”の世界です。”山の民”は”異類異形”として蔑視されていました。でも、”庶民”の間では彼らの”文化”は実は受け入れられていた、という事を考えると、現在のこういった”ブーム”も、その”ルーツ”を考えれば遺伝子的にも理にかなっている、という事でしょうね。

でも、だとしても、こういったものに対して”異”を唱える人がいてもおかしくないはず。しかし、これらはそういった”声”すら聞こえない内に”大ブーム”になってしまいました。そうなると、いくら多くの日本人の遺伝子の中に”山の民”の遺伝子が受け継がれているとはいえ、ここまで”一大ブーム”として認められてしまうのはどう考えても”不自然”なんです。おそらく、これらを仕掛けた”黒幕”の存在も当然ながらあるはずです。それは、”山の民”と深い関わりのある秦氏以外にあり得ないでしょう。では、何故このような”仕掛け”を施したのか? おそらくは、一つは”ある連中”に対する”カムフラージュ”をするためで、彼らが傍から見て「日本もここまでおかしくなったか。」と油断させるためだと思います。その”ある連中”とは日本を事実上”植民化”し、更に”世界戦略”まで企てようとしているアメリカの”シークレットガバメント”です。でも、彼らはおそらくこの事に気付いているのでしょう。でも、容易に手は出せません。そこで、彼らも様々な”仕掛け”をしているのだと思います。それが”いじめ問題”だったり、”幼児虐待及び殺人”だったり、”振り込め詐欺”だったり、政治家や警察などの”不祥事”だったり、あるいは”エイズ”に始まり”O-157”、”狂牛病”、”鳥インフルエンザ”を経て現在大流行の”ノロウィルス”といった”病原菌”ではないでしょうか。そして、もう一つは、おそらくはまだ本格的に”消滅”していないであろう”正義の魂(大和魂、武士道といったもの)”を”来るべき日”が来るまで封印し、その過程における”反体制勢力”の暴発を防ぐためではないでしょうか。ちなみに、”来るべき日”というのは”聖書”などの”預言書”が示している”終末戦争”です。その時が来るまで日本人が潜在的に持つ”侍魂”を封印し、その時が来た時にそれを開封する”シナリオ”が組まれているのではないでしょうか。

これらについては、今度は”音楽(主にロック)”に照準を絞って改めて書きたいと思います。

12.09.20:09

上杉謙信とイエス・キリスト-女説の真相と義人伝説-③

かなり”強引”ではあるが、上杉謙信の”死因”が”処刑”である可能性が出てきました。そもそも、彼の”死”の直前には”宿敵”であった武田と”同盟”を結んでその頃破竹の勢いで”天下”を目指していた織田信長を背後から襲おうとする動きを見せていました。しかし、突如”急死”した事から信長の差し金による”暗殺説”はかねてからあったと思います。でも、武田と手を組み”鬼に金棒”状態になった謙信をいくら信長であってもそう容易には”暗殺”は出来なかったはず。でも、”暗殺”が無理なら”内部分裂”を狙う事であれば可能だったのではないでしょうか。元々上杉家は、謙信と家臣の意見が対立していた事もしばしばあったようです。謙信が本当に”義将”だったかどうかは別として、それでも彼が”義人”を装い、何をするにも”大義”を重んじていた事は確かでしょう。それゆえ、時に家臣達にそれが伝わらなかった事もしばしばあったと思われます。その際たる”例”が、彼がまだ長尾景虎と名乗っていた頃、突然”隠居宣言”し、”失踪”した事です。その頃は、まだ領内が安定しておらず、後に配下となる国人達がまだ好き勝手にやっていたようです。それに嫌気が差して、彼は”隠居宣言”し、家臣の制止も聞かず”失踪”してしまいます。それを危惧した家臣、国人達が謙信に対して”忠誠”を誓った事によって謙信は再び城に戻る事になりますが、実はこれは謙信が家臣、国人を従わせるために打った”芝居”だった、という説があります。さらに、謙信が甲斐への”塩のルート”を断たなかった事に対しても多くの家臣は反発していたようですからね。そして、晩年武田信玄の息子勝頼と”同盟”を結ぼうとした際にも、”反対意見”があった模様。それによって、謙信と家臣との間に”溝”が深まればどうなるでしょうか?

そこに、”後継者”である景勝が絡めば更にどうなったでしょうか? まず、景勝は謙信を心から信頼していたのでしょうか? というのも、景勝は”表向き”には謙信の親戚筋である長尾政景と謙信の姉である仙桃院の子とされています。しかし、彼らの間にはその前にも義景という”長子”が存在していました。ところが、彼はかなり早い内に亡くなっています(詳細不明)。となれば、おそらく”病弱”であったろう義景に代わる”養子”をどこから迎えた可能性も考えられるのではないでしょうか。それが景勝だったとしたら? もし、景勝が謙信の”隠し子”であれば、戦略上”独身”を装うために景勝を政景夫妻の”養子”に出していた可能性も考えられるのではないでしょうか。でも、この政景という人物、結構”あっち”へついたり”こっち”へついたり調子の良い人物で、どうもあまり信用に置けなかった人だったようですね。最初は謙信の兄であり”前当主”だった晴景側に付き、謙信が晴景から”当主”の座を奪うと、すぐに謙信に従いますが、すぐに”謀反”を起こし、しかしすぐに降伏して再び謙信に従っています。でも、彼に”不信感”を持った謙信によって最終的には”暗殺”されたのでは、という説があります。それだけ、彼の”死”には”謎”が多いようです。でも、この事にもし景勝の件が絡んでいたとしたらどうでしょう? おそらく、謙信が強引に景勝を”後継者”に立てようとしていて、それを政景が反対していたとしたら? まぁ、表向きには”事故”として片付けられていたのでしょうけど、この事をかねてから景勝が疑っていたとしたらどうでしょうか? そして、自分が本当は謙信の”隠し子”である事に薄々感づいていたとしたら? 

このようにして、景勝には常に謙信に対する”不信感”があり、更に謙信と家臣達の”溝”が深まればどうなるか? そして、景勝が一部の家臣と”結託”していたとしたら? 特に、それらが武田家との”同盟”に反対する連中だったとすればどうでしょう? それによって、武田と手を結び、”破竹の勢い”のあった信長を封じ込めようとしていた矢先に、速やかに”謀反”を起こして謙信を捕らえ、そしてその場で”処刑”した、というのが謙信の死の”真相”である、というのはどうでしょう? そして、実はそれを促した”黒幕”が信長であれば、信長は戦わずして謙信を殺す事が出来ますからね。また、当然ながらこの事は信長の”面子”を考えても隠し通す事は必定。おそらく、信長は”忍び”や”山の民”によって上杉家の”秘密”を握っていたのではないでしょうか(となれば、武田や北条も上杉家の”秘密”は知っていたでしょうが、彼らはあくまでもこれらの事は”切り札”として最後に取っておいたのではないでしょうか)。

しかし、これがもし”事実”だとしたら、このような”惨劇”がいかにして”病死”という事に収まったのか? おそらく、上杉家の”配下”にも秦氏が関わっていた可能性があるため、彼らによって何とか取り繕う事が出来たのかもしれませんが、その他にこれらの”封印”に一役買った人物がいたのは確かだと思います。その人物とは? 僕が思うに、それは謙信の”姉”にして、景勝の”母”とされる仙桃院です。彼女は、景勝の”参謀”に直江兼続を推挙するなど、景勝をバックアップした人物であるようです。更には、謙信にもかなりの影響を与えていたようで、謙信が生涯”独身”だったのは実は姉仙桃院、さらには母青岩院に溺愛されたためである、という説もあります。そんな彼女を謙信は尊敬し、更には”息子”とされる景勝もまた彼女を尊敬していたのでしょう。そして、”最愛の弟”を亡くし、更にその”犯人”が”息子(養子?)”である景勝である事を知った彼女は、真っ先に「上杉家を何とかせねば。」という衝動に駆られたに違いないと思います。そこで、この事を封印するために、まずは謙信の死を”病死”として公表します。そして、彼の栄誉を称えるために謙信の”義人化”を図ったのではないでしょうか。その為には、上杉家に残された文書、書類などを”改竄”する必要もあったでしょう。そして、彼の書いた”手紙”とされるものの中にはおそらく仙桃院が書き直したものもあったのではないでしょうか。それが、”女性説の根拠”の内の④の真相だったのでしょう。そして、彼女が”男勝り”だったとすれば⑥の真相になります。更に、”息子”とされる景勝が本当に信頼していた人物が彼女であれば、スペイン王に宛てた手紙の”偉大なる叔母”は仙桃院の事だったのではないでしょうか! これが⑤の真相です。となると、彼女は景勝の”母”ではなく”叔母”という事になり、謙信の”隠し子”である可能性が出てきます(ここでスペインとの交流があったことを考えると、彼らは実は”キリシタン”だった、という事か?)。更に、”仙桃院”の名前の”仙”は”仙人”を意味し、”桃”は”不老長寿の果物”とされてきました。そして、この両方が合わされば中国における伝説の楽園”桃源郷”を意味する事になります。僕が思うに、”仙人=神(ヤハウェ=イエス・キリスト)”、”桃=生命の木(ユダヤ教密教カッバーラ)”、”桃源郷=エデンの園=高天原”と考えております。となれば、彼女も”秦氏”と深いつながりがあるように思えてなりません。となれば、この仙桃院こそ”謙信女性説”の”モデル”だったのではないでしょうか。そして、もっと言ってしまえば、事の”真相”がばれそうになった時、”謙信=女説”が生まれるように初めから仕掛けられていたのではないでしょうか。

仙桃院は、謙信の”死の真実”を隠すために、”謙信女性説”が生まれるように仕掛け、そして彼女の背後に”秦氏”がいた、とするとこれは一体何を意味するのか? 実は、飛鳥昭雄氏によれば、日本神話の”最高神”で”女神”とされている天照大神は実は”男神”であり、そしてその”正体”は何を隠そう”イエス・キリスト”だとしています! その”根拠”は、イエスの”磔刑”の場面と天照大神の”天岩戸隠れ”の場面があまりにも似ているからに他なりません! イエスが日本において最終的に”女神”となった事を考えれば、謙信も最終的に”女性”にする事で”事の真相”を隠そうとしたのかもしれません。おそらく、仙桃院は”天照大神=イエス・キリスト”である事を知っていたのでしょう。こうして、上杉謙信は”義の武将”として語り継がれるようになったのでしょう。

12.09.08:03

上杉謙信とイエス・キリスト-女説の真相と義人伝説-②

上杉謙信にはいくつかの”義人伝”があり、北信濃の豪族、村上義清の領土を奪い返すために起こした”川中島の合戦”や、北条氏康を中心とした武田信玄の”近隣大名”による”塩止め”に加わらず、甲斐への塩の運搬を行い続けた、俗に言う「敵に塩を送る」というエピソードなどが揚げられます。でも、”戦国大名”たるものはこのような事を”戦略”としてワザと行うケースもありますから、この事が彼を”義人”とする根拠にはならないと思うのです。でも、何故そこまで謙信が”義人”として伝わっているのか? おそらく、彼を必要以上に”義人”に仕立て上げた”黒幕”が存在していたのでしょう。聖徳太子や空海、さらには源義経の背後に”秦氏”がいた事を考えると、彼の背後にもおそらく”秦氏”が関わっていたのではないでしょうか? そもそも、”戦国時代”を事実上”プロデュース”したのは秦氏だと考えておりますので。”秦氏”の正体は、イエス・キリストの12使徒の末裔である、と”サイキックエンターティナー”飛鳥昭雄氏はしています。

まず、謙信が他の武将に比べると極めて”信仰心”に厚く、中でも”毘沙門天”を崇拝していました。さらに、彼は自らを”毘沙門天の生まれ変わり”と信じていたようです。で、この”毘沙門天”ですが、別名を”多聞天(すべてを一切聞きもらさぬ知恵者、という意味で、 となると聖徳太子の逸話に一致する!)”といい、その”ルーツ”は古代インド神話の”クーベラ神”との事。しかし、中国では毘沙門天は同じく古代インド神話における”インド三神”の一神、ヴィシュヌと同一視しています。そして、このヴィシュヌ神は複数の”化身”を持っていた事から、おそらくクーベラ神はヴィシュヌ神と”同一神”だったのではなかろうか? となると、飛鳥昭雄氏はあらゆる”宗教”のルーツは”ユダヤ教”であり、”インド三神”はキリスト教の”御父、御子、聖霊”と同じものとしています。”インド三神”とは”創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァ”から成り、それを”キリスト教三神?”に当てはめれば、”ブラフマー=御父エロヒム”、”シヴァ=聖霊ルーハ”、そして”ヴィシュヌ=御子イエス・キリスト”となり、”ユダヤ教”で言えばイエスが”ユダヤ教絶対神ヤハウェ”と対応。飛鳥氏もイエスがヤハウェの”受肉”した姿だ、としている事から”イエス・キリスト=ヤハウェ”と成り、故に”毘沙門天=クーベラ=ヴィシュヌ=ヤハウェ=イエス・キリスト”となります。そして、謙信は”毘沙門天=イエス・キリスト”の”生まれ変わり”と信じている事に注目!

これらを踏まえて、例の”女性説の根拠”とされるものを検証していきたいと思います。まず、①の謙信の”死因”が当時の婦人病を意味する”大虫”だったのでは?とする説ですが、”大虫”には”虎”、さらには”蛇”という意味があり、”虎”とは謙信の異名が”虎”である事と一致、そして”蛇”に見立てればそれはイエス・キリストの”象徴”になるんです。さらに、”虎=大虫”であれば、”虎”と同種の”大型肉食獣”ライオンすなわち獅子も”大虫”となるはず。”獅子”はイエスを含めた”イスラエル系ユダ族”の”シンボル”だったのです! という事は”大虫=イエス・キリスト”となり、それが”死因”となれば、イエスの”死因”は十字架に磔された”処刑”です。つまり、謙信は”処刑”されたのではないでしょうか? おそらく身近な人間、とりわけ家臣、いや”後継者”景勝が首謀者であるかもしれません。次に②の”一ヶ月周期の腹痛”ですが、これは”偽装”であり、相手の様子を伺うための戦略的な”口実”であり、さらにその間神への”祈祷”か何かを行っていたのではないでしょうか(おそらく何かしらの”意味”はあると思うのですが現時点ではそこまで解明出来ていません(汗))。③の謙信が”赤い衣服”を好んでいた事に関してもこれは非常に”重要な意味”を持っていると思います。今の季節”赤い服”と聞いて真っ先に思い浮かべるのはそう、”サンタクロース”ですよね! ”サンタクロース”の正体は、”東ローマ帝国”の配下にあった”小アジア(現在のトルコに相当する地域)”のカトリック司教、聖ニコラスです。そして、当時の”カトリック司教”の衣服は”赤”でした。それを裏付けるものとして、当時の”絵画”に見られるイエスの使徒であるヨハネ等の衣服、さらには「最後の晩餐」の絵の中にあるイエスの衣服はいずれも”赤”です! そして、”ユダヤ教”にまで遡れば、”赤い色”はさらに”重大な意味”を持ちます。「旧約聖書」における「出エジプト記」の記述には「あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない」という”神の言葉”があり、ようするに、神はモーセ率いる”イスラエル人”をエジプトから救出するために、”イスラエル人”達に家の門に”羊の血”を塗らせ、それによって”エジプト人”と区別させた、と言う事です。となると、”赤い色”は聖書的には非常に重要な意味になるのです! 謙信はおそらくそれを理解していたのではなかろうか? ④、⑤、⑥については後ほど詳しく述べるが、おそらく謙信の”姉”にして景勝の”母”とされている仙桃院が”鍵”を握っていると考えています。⑦に関しては、「上杉謙信とイエス・キリスト-女説の真相と義人伝説-①」の方で述べた通りです。⑧に関しては、謙信が”女性”だった所で、既に”会津120万石”になっており、さらに”豊臣五大老の一人”になっていた景勝を”改易”出来る程の理由にはなりません。しかし、謙信がもし景勝と家臣によって殺されたとなれば話は別。”大阪夏の陣”直後、秀頼に嫁いでいた徳川二代将軍秀忠の娘、千姫を貰い受ける事になっていながらそれを反故にされてしまった豊臣配下の武将、坂崎直盛がそれに逆上し、彼を諌めようとした家臣達によって殺される、という事件が発生。それによって、秀忠は”武家諸法度”の中で”家臣による主君の殺害”を”禁止”する事にしました。ですから、もし謙信が景勝と家臣によって殺されたとなれば、そちらの方がすぐさま”改易処分”をされるのは必定。だからこそ、それを隠すために彼らは謙信を必要以上に”義人”として扱うしかなかったのではないでしょうか(聖徳太子=蘇我入鹿説を唱える人は、聖徳太子が必要以上に”聖人扱い”されるのは、実は彼の”正体”が”朝廷”の人間によって殺された蘇我入鹿だからに他ならない、としています。何か、これに良く似ているのではないでしょうか?)。⑨に関しては、今話題になっている”ダビンチコード”のような”仕掛け”が施されているのではないでしょうか?(聖徳太子の画像も”髭”の部分がどうやら書き加えたらしい事が科学的調査で発覚。これも、もしかすると”仕掛け”があるのではなかろうか?)。というのが僕個人的な見解です。かなり”強引”ではありますけど(汗)

で、”問題”なのは、謙信の”死”です。もし、彼が”処刑”されていた、とするならば、それはどのような経緯によって行われる羽目になったのか? そして、その事件を誰がどのように封印したのか? この事を次章で書きたいと思います。

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