11.26.01:32
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08.01.09:39
慶長5年(1600年)9月15日、徳川家康率いる東軍7万5000(別働隊含めて10万4000)、石田三成率いる西軍8万2000の兵が美濃・関ヶ原で激突した”天下分け目の戦い”、世に言う「関ヶ原の戦い」。この戦には、”東軍”には福島正則、細川忠興、浅野長政、池田輝政、藤堂高虎、黒田長政、山内一豊らが加わり(本戦以外では加藤清正、黒田官兵衛、伊達政宗らが加勢)、”西軍”には宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継、島津義弘、小早川秀秋らが加わる(本戦以外では毛利輝元、上杉景勝、真田昌幸らが加勢)といった”豪華メンバー”で行われ、結果は、西軍に属していた小早川秀秋の”東軍寝返り”によって東軍の”勝利”に終わりました。これによって、東軍の”総大将”であった徳川家康が、堂々と”天下人”を名乗る事となり、そして3年後に朝廷から”征夷大将軍”に任命され、”江戸幕府”を開き徳川260年間の礎を築く事になります。でも、この戦、本当に正真正銘の”天下分け目の戦い”だったのだろうか・・・。
まず、慶長3年(1598年)8月、豊臣秀吉が62歳(数え年)で死去した訳ですが、当時の寿命から考えれば”60歳前後”というのは決して珍しい訳ではありませんが、しかし、秀吉に関しては、その”晩年”があまりにもみすぼらしい、というかかなり”もうろく”していた事が”テレビドラマ”のみならずちゃんと”記録”として残っているんです。これは”天下人”になった事による”驕り”からそのようになってしまった、という可能性も十分ありますが、本当にそれだけなのだろうか? 一説によれば”大腸がん”によって脳に異常をきたした為、とも言われていますが、その一方で”砒素”による”毒殺説”があるようです。”砒素”を少しずつ飲ませる事によって、体を弱らせ、そうなれば”脳”の働きも弱まってやがて”もうろく”し、そして”死”に至る。もし、この説が正しければ、この”犯人”は一体誰なのか? 一説によれば、事実上の”豊臣政権No.2”であった前田利家が”キリスト教庇護”のために毒殺した、という説もありますが、彼の”武骨”な性格から考えればそのような回りくどい事は嫌うはずですし、そうなれば”豊臣政権下最大の対抗勢力”にして”次期天下人”である徳川家康とも考えられますが、家康は当時”五大老筆頭”だったとは言え、”豊臣家”からは避けられていたため、やはり難しいでしょう。となれば、秀吉のそばに常に寄り添い、しかも”秀吉殺害”を考えそうな人物は、秀吉の”側室”にして秀頼の”母”である淀君をおいて他にはいないでしょう。 淀君は、近江の戦国大名・浅井長政と織田信長の妹・お市の方の長女であったため、非常に”プライド”が高く、秀吉の”側室”になった後も”浅井家再興”ひいては”織田家再興”を考えていたのではないか?という説があります。そして、そのためには秀吉の”嫡男”を産み、正室・北の政所を見凌ぐ”権力”を身につける必要がありました。秀吉と北の政所の間には子がいなく、ある側室との間に嫡子(秀勝)を儲けるも幼くして死去。それ以来秀吉には子がいませんでした。しかし、秀吉が53歳の時に淀君との間に鶴松が生まれ、しかし、3歳で死去すると、なんともタイミングが良くその翌年に拾丸(後の秀頼)が誕生します。その時秀吉57歳。そのため、秀頼は秀吉の”実子”ではないのではないか?という噂が絶えなかったようです。事実、淀君には乳母・大蔵卿局の息子で淀君の側近だった大野治長がおり、秀吉の”側近中の側近”石田三成とも親密にしていたようです。ただ、秀頼は秀吉と違って大変”大柄(推定身長197cm?、推定体重161kg?、まるで”プロレスラー”!)”だったようで、小柄(身長150cm)な秀吉の子とは到底思えないのと(実際秀頼がそこまで大柄だったのかどうかも正直怪しいが)、三成もまた比較的小柄(推定身長156cm)だったため、やはり大野治長(身長180cm説あり)が怪しいか?(おそらく、三成はそれを疑っていたのではないだろうか?) そして、秀吉は鶴松の死後、文禄元年(1592年)”朝鮮出兵(文禄の役、慶長の役)”という無謀な戦に挑み、秀頼誕生後は”養嗣子”秀次に”謀反の罪”を着せ”切腹”を命じ、その一族全てを”死罪”にしてしまいました。(この中に、秀次に嫁いだばかりの最上義光の娘もおり、彼女も処刑されてしまった事が、東北諸将の多くが関ヶ原(厳密には慶長会津合戦)で”東軍”に付いた原因になったとも言われる)。更に、その後の秀吉は時より”言語障害”を起こしたり、”失禁”をするなどして次第に”衰え”を隠せない状況になったようです。これは、ただの”病気”とは正直思えませんね。その”異変”におそらく側近・石田三成は感づいていたと思われます。そして、秀吉が死去した後、秀頼の母である淀君が大阪城を占拠し、秀吉の正室・北の政所(高大院)を追放してしまいます。果たして、豊臣家中髄一の”切れ者”であった石田三成が、本気で淀君と手を組んで”豊臣政権”を守ろうとしたのだろうか? それで”天下泰平”の世を築けると思ったのだろうか? そこが僕の”疑問”に思う所なんです。 実は、かの石田三成も秀吉亡き後、日本全国を統治できる人材は徳川家康をおいて他にいないと確信していたのではないでしょうか? 事実、秀吉亡き後の豊臣家は、まず”正室”北の政所と”側室”淀君が対立していたし、また家臣の方でも石田三成、小西行長ら”官僚派”と加藤清正、福島正則ら”武功派”が対立していたため”真っ二つ”に割れていました。そこで、事実上の”豊臣政権No.2”であった前田利家なら豊臣家をまとめられるだろう、と考えている人も多いでしょうが、実は利家は”武将”としては優秀ですが、”政治家”としては無能に等しく、とても家臣をまとめられる器ではなかった、という話がありますし、それにどちらかといえば秀吉の”相談役”程度であって”政務”の方は専ら三成の方に託していたと思われます。同じ”五大老”の毛利輝元はやはり”外様”ですし、彼も”天下人”の器ではなかったと言われています。上杉景勝は養父・謙信譲りの”義人”でしたが、やはり”政治家”としては少々不器用で、三成とほぼ”同タイプ”の家老・直江兼続に政務を託していたようですから。宇喜多秀家に至っては”年齢的”にも”実力的”にも乏しいですからね。となれば、あくまでも”天下泰平”を築く事を考えた場合、いくら”豊臣家”を裏切る行為であろうともはや”天下”は家康に託すしかなかったのではないでしょうか。 また、三成はあの気丈な淀君を最初から信用はしていなかったのではないでしょうか。だからこそ、それを警戒する意味であえて淀君に接近していたのではないでしょうか。それに、秀吉は最初の嫡子・秀勝を亡くして以来子に恵まれなかったのに、50歳を過ぎて淀君を”側室”に迎え入れたとたんに2人の子供が生まれるのは正直不自然。更に、淀君のそばには常に側近・大野治長がいました。となれば、三成はこの両者の関係を疑ったのは間違いないと思います。されど、この三成の言葉をも秀吉は次第に聞き入れようとしなくなったのでしょう。そして、秀吉はますます淀君にたぶらかされて”人格崩壊”がエスカレートし、やがて死んでしまいます。この秀吉の”死”をもおそらく三成は疑った事でしょう。 となれば、秀吉の死後、三成のとった行動は・・・。もはや家康と手を組むより他に道がなかったのではないでしょうか。(つづきは②の方で) PR
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06.29.22:34
今年6月に入り、石川県七尾市等2ヶ所に大量の”おたまじゃくし”が降る、という現象が起き、能登町でも小魚13匹ほど降る、という”怪奇現象”が起きました。その後も日本各地で同様の現象が起きているとの事です。この”原因”はいったい何なのか?
まず、最初に考えられたのが”竜巻”のようですが、竜巻の発生報告もなく、きわめて局地的であり、通常であれば”泥”や”石”が一緒に降ってこなければおかしいのに、その形跡がないといいます。次に考えられたのがカラスやサギ等の”大型の鳥”による食べこぼし、という説です。しかし、この説であれば、以前から同じような現象は起こっていなければおかしいし、しかも、これではまとまって100匹単位のおたまじゃくしが降ってくることはどう考えてもありえません。更に、これらには”クチバシ”の痕跡も見当たらないとの事です。 そこで、もう一つ挙がったのは”プラズマ説”です。プラズマには物体を透過する性質があり、しかもそのプラズマに包まれた物質も壁などを透過出来るようです。更に、飛鳥昭雄氏は、そのプラズマが”重力”をコントロールし、”反重力状態”を作り、”UFO”や”幽霊”の原理になっている、と彼の数々の著書に記されています。となれば、この”プラズマ説”はかなり有力なのではないでしょうか。 そして、もし”プラズマ説”が正解だと仮定した場合、その”要因”はいったい何なのだろうか? まず考えられるのが、一番最初に事件の起こった”能登半島”には”活断層”が存在し、活断層に含まれる”花崗岩”に巨大な圧力を加えると、”放電”が起こり”電磁気”を生み出すそうです。それが”プラズマ現象”を作り出し、今回の”おたまじゃくし大量落下事件”が起こった可能性がある、という事です。 しかし、そうなると”プラズマ現象”のみならず”大地震”の予兆、とも取れるとの事です。「大地震?」・・・。この言葉を見て、僕の脳裏には戦慄”が走りました。下記の記事で書いた”謙信女性説”と”ダ・ビンチ・コード”と”新潟県中越地震”と今回の件がつながっているのではないか!?と(恐) なぜなら、今年の5月に、映画「ダ・ビンチ・コード」の続編として「天使と悪魔」が公開されました。僕も実は観に行ったのですが、その内容は「ダ・ビンチ・コード」で描かれた”イエス・キリストの血筋”についてのものではなく、”反重力物質”についてだったのです! そう、今回の”おたまじゃくし事件”はまさに”反重力”によるものである可能性が高いようです(怖) でもって、”能登半島”ですが、上杉謙信の領地であった”越後”からは少し距離がありますが、実は天正5年(1577年)に謙信は能登の七尾城(まさにおたまじゃくしが最初に降った場所!)を攻略し、”支配下”に治めてるんですよ。となると、そこに謙信の何かしらの”痕跡”があったとしたら?・・・。となれば、今回の件は”自然現象”ではなく、確実に”何者か”が人工的に起こしている、という事になります。おそらく”何か”が起こる可能性は”大”ですね(冷汗) そう考えると、やはり”上杉謙信女性説”と”ダ・ビンチ・コード並びに天使と悪魔”と”新潟中越地震”とついでに”おたまじゃくし落下事件”は”1本の線”でつながっているのではないでしょうか? となると、この後北陸地方に”何”が起こるか非常に気がかりです(震) |
06.21.13:40
僕は、かねてから”上杉謙信女性説”は何者かが意図的に流した説であり、謙信の”真の正体”はイエス・キリストと何らかの関係があるのでは?と書いてきましたが、日本人の”主流”である天皇家を中心とした”大和民族”が”北朝イスラエル十支族”の末裔であり、更にその”天皇家”を陰で動かしてきたと言われる”秦氏”は”ユダヤ系原始キリスト教徒”ではないか?ともこのブログでは書いてきました。そして、その”秦氏”の幹部(飛鳥昭雄氏の言う所の”八咫烏(やたがらす)”)の更に”頂点”にいる”太秦(ウズマサ)(飛鳥昭雄氏が言う所の”金鵄”)”が”裏天皇”であり、そして”真の天皇”であるとも書きました。で、もしかするとここに”イエス・キリスト”の血が流れているのではないか?とも書きました。
で、ぶっちゃけた話、上杉謙信に”イエス・キリスト”の血が流れているとしたらどうでしょう? 表向きには、謙信は越後守護代長尾為景の四男(もしくは三男)とされています。しかし、記録によれば、謙信は母・青岩院(虎御前)と姉・仙桃院(桃の方)に溺愛され、一方では父・為景と兄・晴景には嫌われていたようです。しかし、この理由が、謙信と母と姉が血がつながっていて、父と兄との血がつながっていないから、とは考えられないでしょうか? つまり、謙信の父親は長尾為景ではなく”裏天皇”だったとしたら、謙信はイエスの”末裔”と言う事になります。もっとも、何の根拠もありませんが(汗) ただ、母・青岩院は熱心な”観音菩薩信仰者”であり、また、謙信が後に信仰の対象とする”毘沙門天”に祈って謙信を授かった、と伝えられているようです。しかし、これは”表向き”の話であって、実はこの事が青岩院と”八咫烏”との関係を示している事を意味するのではないでしょうか。そもそも、”神”とほぼ無関係の欲に満ちた”俗将”ないし”賊将”だった父・為景に対して母・青岩院と謙信があそこまで”神仏”に傾倒しているのが不自然に感じるからです。 さて、仮に謙信が”イエス・キリスト”の末裔だとして、それを困る連中がおそらくいると思われます。”上杉一門”は当然でしょうが、もしそうであれば、”八咫烏”を中心とした”秦一族”、更には”皇室”までも関与してくるでしょう。でも、彼らはあくまでもこの事を”隠す”以外の事はおそらくしないはずなんです。でも、彼らの他に、この件を”問題視”する連中がいたとしたらどうでしょう? そして、そのためには”情報操作”はおろか、その”証拠隠滅”のために何らかの”攻撃”を仕掛けているとしたら・・・。 実は、”謙信女性説”が定着した時期と、世界中をセンセーショナルな渦に巻き込んだ映画「ダビンチ・コード」、そして2度目に起きた”新潟中越沖地震(柏崎付近を震源とした地震)”の時期がほぼ重なるのと、更に言えば小説版「ダビンチコード」が出版された時期と最初の”新潟中越地震(小千谷市付近を震源とする地震)”が起きた時期もほぼ重なります。更に”北朝鮮拉致問題”もまだこの頃騒がれていた時期でした。これらは、果たして”偶然”なのだろうか? それに、”地震”は人工的に作れる事が出来るようです。その”地震発生装置”更には”気象コントロール装置”を発明したのが、エジソンの”直流電気”に対して”交流電気”を編み出した科学者・ニコラ・テスラ。しかし、彼の”死”は結構不可解であり、一説によるとアメリカ政府ないし軍の差し金によって”暗殺”され、彼の残した多くの”発明品(地震発生装置、や気象コントロールシステムを含む。)”の設計図の全てが”何者か”によって持ち去られていたようです。 映画「ダビンチ・コード」が公開されて、最も注目されたのが”イエス・キリスト”の血筋です。しかし、この映画はあくまでも”アメリカ映画”である、という事を注意しなければなりません。当然、この物語に描かれている”シュチュエーション”は”フィクション”である、という事を念頭に置かなければなりません。となれば、これも一種の”情報操作”と考えるべきでしょう。言い換えれば、アメリカはイエス・キリストの”末裔”の”本当の居場所”を知っている、という事ではないでしょうか。飛鳥昭雄氏の著書の中では、アメリカは日本の”皇族”とイスラエルが関係がある事を既に知っていて、第二次世界大戦後、日本を占領したマッカーサ率いる”GHQ”が大阪府堺市にある”仁徳天皇稜”、”応神天皇稜”といった”巨大前方後円墳”の内部の調査を行っていて、そこに前方後円墳の”モチーフ”と思われる”黄金の壷(イスラエル三種の神器の一つ”マナの壷”?)”が安置されていた、といった事が書かれていました。おそらく、彼らは畿内とイスラエルの関係は徹底的に抑えており、そこから他国に情報が漏れないように今でも”米軍基地”を使って”監視”しているのではないでしょうか。しかし、新潟県が”ノーマーク”だったとしたらどうでしょう? 更に、上杉謙信が”生涯不犯”だったのは、”通説”であれば戦国の世を正すために毘沙門天と”誓い”を立て、それが成就するまで”不犯”を貫く、といった理由で彼は”生涯独身”だった、とされていますが、これは従来の日本人の”倫理観”からすれば、別におかしくも何もない概念だったのではないでしょうか。かつての日本人の多くは”神仏”を深く信仰していた訳ですから、一種の”願掛け”として”神仏”に誓いを立て”欲”を断つ、といった事はあってもおかしくなかったはず。にもかかわらず、昨今何故ここに”根拠”を求めようとして”同性愛者説”が出たり、果てはそれが”女性説”にまで発展していったのだろうか? こうした”概念”は従来の日本人の”倫理観”ではなく、戦後の”アメリカナイズ”された日本人の”倫理観”、もっと言ってしまえば、これは何事にも”科学的根拠”を追い求めようとする”欧米人”の”倫理観”ではないでしょうか? はっきり言ってしまえば、”謙信女性説”を最初に思いついたのは実は”欧米人”、特に”アメリカ人”だったのではないでしょうか。戦後日本の”高度経済成長”により、”メディア”の世界も急速な発展を遂げた日本は、”テレビ業界”が欧米諸国を追い越すほど発展。その中で”時代劇”がお茶の間の定番になり、それに興味を示した欧米人も決して少なくないはず。それによって、本格的に日本の”武士”を研究するようになった欧米人も当然いるでしょうからね。で、”同性愛社説”、”女性説”が囁かれる一方で、謙信とイエス・キリストをシンクロさせる欧米人だっておそらくいると思われます。特に”キリスト教”に深く傾倒しているヨーロッパ人は。でも、アメリカ人だって”キリスト教徒”は多いでしょうから、アメリカ人の中にもこのような考えを持つ人がおそらくいるでしょう。となると、アメリカの”トップ”の連中はどうなのだろうか? もし、そういった連中の中に謙信とイエスを関連付ける人間がいたとしたら、この事を”危険視”する可能性もあるのではないでしょうか。 もし、アメリカ以外の国が、日本とイスラエル、ひいては日本とイエス・キリストの関係に気づいたとしたら、アメリカにとっては厄介な事になるのではないでしょうか。せっかく、アメリカは日本を事実上の”植民地”にして日本の”軍事権”を掌握した訳ですからね。そのために、彼はおそらく皇室とある”約束”を交わして”天皇制”を形式的ではあるが存続させたのではないでしょうか。それによって、これらの”秘密”は”皇室および八咫烏”とアメリカの”上層部(その中心は軍産複合体が牛耳る”陰の政府(シークレット・ガバメント)””のみしか知らないはずなんです。しかし、上杉謙信とイエス・キリストが関係してくると”北朝鮮拉致問題”で新潟県に頻繁に訪れる北朝鮮の政府関係者に漏れる恐れがあるんです。しかも、北朝鮮の背後には中国が控えており、またロシアも控えている。更にロシアとアラブ諸国がつながっている可能性があります。そうなると、アメリカにとってはこの事は”重大な問題”である事は間違いないでしょう。最も”噂話”だけならいざ知らず、アメリカが恐れているのは”物的証拠”が北朝鮮に持ち去られる事ではないでしょうか。そのために、アメリカは”地震兵器”を使って人工的に”地震”を起こし、”物的証拠”をどさくさに紛れて持ち去り”証拠隠滅”を計ったのではないでしょうか。その”震源地”ですが、最初に起きた小千谷市は、謙信の”養子”である景勝の居城・坂戸城があった現在の魚沼市に隣接し、2度目に起きた柏崎市は謙信の居城・春日山城があった現在の上越市に隣接しています。やはり、何か匂います。 そもそも、僕が”謙信同性愛者説”や”謙信女性説”が怪しいと感じるのは、元々は単なる”珍説”でしかなかったはずなのに、いつの間にか”本流”を凌ぐ勢いになってしまっているのと、どうも今の日本人の”社会的傾向”に上手く乗っかっているからです。今や”同性愛者”は珍しくなくなりましたし、若い女性による”起業”も珍しくなくなっています。更に、”女性議員”や”女性政治家”だって今となっては普通にいます。となれば、戦国の乱れた時代に”女性大名”がいてもおかしくない、という風潮が起こっても仕方ないでしょう。でも、僕が思うに、いくら”戦国時代”の世が乱れていたからといって、古来の”格式”全てが乱れていた訳ではなかったのではないでしょうか。でなければ、織田信長という”斬新”で”奇抜”な武将が登場し、古い格式を全て壊してまったく新しい世の中に変えようとする人なんて現れなかったでしょう。それに、その当時、上杉謙信はむしろ”古い格式”を最も重んじる武将だったはず。それが”女性”だったとは正直考えられません。むしろ、”女性大名”を本格的に認めようとしたのは信長の方だったんじゃないでしょうか(実は、この事に”猛反対”していたのが家臣の明智光秀で、この事も”本能寺の変”の要因の一つになったのではないだろうか?)。だからこそ、その後に”天下”を取った徳川家康は、息子の二代将軍秀忠の時代に制定される「武家諸法度」の中に、あえて”女性当主”を禁ずる法を定めたのではないでしょうか。いずれにしても、このような”情報戦略”をアメリカが得意としているのは事実。だからこそ、”新兵器開発”を”宇宙開発”や果ては”UFO問題”に平気ですりかえる上、それをテーマとした”映画”まで公開して”情報撹乱”している訳ですからね。 いずれにしても、上杉謙信がいくら”生涯不犯”だったからといって、”同性愛社説”や”女性説”が有力視されるのはいくら何でも強引過ぎるんです。でも、この”強引”をさも”常識”であるかのようにやってのけるのが他ならぬアメリカだ、と言えると思います。 |
03.01.14:28
かなり久しぶりに更新します。
先々週ですがテレ東系で毎週火曜日20:00から放送されている「新説!?日本ミステリー」という番組で「直江兼続は上杉家を乗っ取っていた!?」という説が発表されました。”内容”は、直江兼続が織田信長とつながっており、それによって”主君”景勝を上杉家の後継者にするために上杉謙信を暗殺し、その後上杉家を乗っ取った、というものでした。 僕は、以前このブログで上杉景勝が謙信を暗殺した、と書きました。そういった意味では、それに近い内容の事が番組で取り上げられた事になります。ただ、仮に番組で検証されたように兼続の幼少期の”素性”が実は謎であり(景勝の小姓だった、という説は実は記録がないとの事)、謙信の死後、突如歴史に登場したとはいえ、本当に兼続が謙信を暗殺して上杉家を乗っ取ったという説には”疑問点”も多く生じるのは事実。なぜなら、そんな”素性”の知れぬ無名の人間がそう易々とあの上杉家を乗っ取る事はどう考えても無理があるからです。多くの有力の家臣がいるにもかかわらずそれらを抑えて上杉家を乗っ取るほどの”強力な力”を兼続が持っていたとは考えにくいからです。仮に、バックに信長がいたとしても、信長も謙信の死から4年後に京の本能寺で明智光秀に討たれています。それに、兼続は石田三成、真田幸村、前田慶次郎といったどちらかと言えば”義”を重んじる武将に親しまれていました。もし、兼続が”暗殺”や”乗っ取り”等をしていたとしたら、これらの武将が兼続に好意を持っただろうか? いや、むしろ彼を危険視して殺害を計画する可能性のほうが高いでしょう。いや、それ以前に彼は上杉家を乗っ取る前に多くの家臣に殺されるのがオチだと思います。 で、僕の考えからすれば、以前書いたようにやはり兼続の主君、景勝が怪しいように思えます。大河ドラマ「天地人」で描かれているように若い頃の景勝はどこか”陰気”な感じで描かれています。それに、父政景の死後、幼少期の景勝が謙信(当時輝虎)に刀で襲い掛かるシーンもありました。もし、この事がほぼ”史実”に近い事だとすれば、謙信と景勝の間には長い間”確執”があったようにも思えるのです。更に、謙信が”生涯独身”だった理由が”同性愛者”や”女性”だったから、というのではなく”別の理由”があったとしたら、それが”景勝による謙信暗殺”の理由にもつながるのではないか?と思います。(ちなみに、謙信がもし”女性”であれば、実は”結婚”は可能なのです。なぜなら女性は男性と結婚出来るからです。更に、”同性愛者”だとしても、当時の結婚は殆ど”政略結婚”でしたから、”同性愛”も何も関係なく”結婚”自体は出来たはずなんです。) 謙信にはかつて熱愛した人が存在した、という記録が残っているし、そこで”悲しい別れ”をしたような事が書かれてあったようです。で、以前も書きましたが、これはあくまでも僕の勝手な”推測”でしかないのですが、謙信とその女性の間に”子”が授かり、しかしその女性の”身分”が低かったために家臣や同門の反対があり謙信はその女性と別れなければならなくなったのではないでしょうか。そして、残された子を長子を亡くしたばかりの謙信の姉・桃(仙桃院)と長尾政景夫妻に預けたのではないでしょうか。その”子”こそ後の上杉景勝だったのではなかろうか? しかも、謙信と別れた女性がただ謙信の元を去ったのではなく”自害”したとしたらどうでしょう? そうなったら、謙信が”一生独身”を誓ってもおかしくないように思えます。むしろ、この方が説得力があると思います! そして、景勝がある程度の年齢に達した時に”養子”という形で引き取る事をはじめから約束していたのではないでしょうか。しかし、その”約束”の日が近づいた時に景勝の”父”とされる政景がそれを”反故”にしようとしたため、謙信の”軍師”であった宇佐美定満に”暗殺”されたのではないでしょうか。それが謙信の指示によるものかどうかは不明ですが、景勝がその事を生涯疑い続け、更に自分の”出生の秘密”を知れば、それが”謙信暗殺”の動機にもつながると思うのです。 もっとも、謙信の”死”がまだ”暗殺”と決まった訳ではありません。ただ、”謙信女性説”を裏付ける証拠として、謙信の死因が”大虫”である、という記録があるようなのですが、”大虫”というのは本来女性しかかからない”更年期障害”の一種を指しているという言葉のようなのですが、”大虫”には他にも”虎”や”蛇”という意味もあるようなのです。実は、それが”暗殺”を暗示するものである可能性もあるのではないか?と僕は考えているのです。(以前ブログでは、謙信と秦氏、そしてイエス・キリストとのつながりにも触れたのですが、彼があそこまで”宗教(毘沙門信仰)”に帰依するのは”秦氏”とのつながりがあり、秦氏が日本に伝えたとされる”原始キリスト教(後の神道へと発展?)”の密教”カッバーラ”に精通し、それゆえ、自らを”毘沙門天=ビシュヌ神=イエス・キリスト”の”生まれ変わり”と信じ、虎に近い”獅子”と”蛇”を自身の”象徴”に持つイエスと同じ死に方、すなわち”処刑(暗殺も含む)”という結論を出しています。) そして、もし謙信の本当の”死因”が”暗殺”によるものだとして、その”黒幕”が織田信長で、”実行犯”が景勝とその家臣団(そこに兼続も加わっていたかどうかは不明)であるとしても、信長がどのようにして景勝を動かしたのか?という部分には疑問もあるんです。おそらく、その間には”第三者”が存在していたのではなかろうか? されど、それが兼続ではない事も冒頭の記述で示す通りです。では、誰が信長と景勝の”つなぎ役”をし、景勝をそそのかして謙信を討たせたのか? 実は、謙信の死後、もう一人の養子・景虎(北条氏康の七男で本来は人質であった)と景勝との家督争いである”御舘の乱”の直後に暗殺された人物がおり、その人物は、実は兼続の妻・お船(直江景綱(前名実綱)の娘)の前の夫だったのである。その名は直江信綱。彼は、元々は謙信と同じ長尾一族の出身(前名:景孝)で、その家が武田氏に滅ぼされた事によって上杉家重臣直江景綱の”婿養子”となったようですが、その時点で実は既に信長とつながっていた可能性もあるのではないでしょうか? それに、彼が”御舘の乱”の直後に殺されたのも、”恩賞をめぐるトラブル”とされていますが、もし”御舘の乱”のきっかけが、単なる”後継者争い”ではなく”謙信暗殺疑惑”による”弔い合戦”だとしたら、その”鍵”を握る信綱が、”御舘の乱”後用済みとして殺されてもおかしくないのではないでしょうか。そして、その”罪滅ぼし”として、兼続は残された信綱の妻・お船を妻に迎えたのだとすれば、辻褄が合うように思えます。 そして、”御舘の乱”が終わり、景勝が”後継者”となった上杉家は、上杉家復興の為にも”謙信の死の真実”を隠蔽し、更に上杉家に関わる”重大な秘密”を封印更に偽造する事によって上杉家は”明治維新”まで続く事が出来たのではないでしょうか。その”立役者”が謙信の姉・仙桃院と景勝の腹心・直江兼続だった、という事なのでしょう。だからこそ、兼続が今でも”地元の英雄”として親しまれているのではないでしょうか。 |
01.27.12:58
久々の投稿です(汗) 先週、朝のいくつかの情報番組で「火星人発見!?」のニュースが発表されていました。これはNASAによって昨年の11月6日から9日までに撮影された”パノラマ写真”の一部に何か”人影”らしきものが写っていたとの事。これが、もはや「火星人じゃないか?」と一部では騒がれているようですが、科学者は「岩が重なってそう見えるだけ。」と考えているようです。そして、当のNASA関係者は”ノーコメント”だそうです(汗)
まぁ、NASAがらみのネタですから、おそらく何かしらの”トリック”があるのだと思います。僕の憶測からすると、おそらくこれは”火星人”に見せかけた”人形”か何かだと思います。で、その”真意”は、おそらくこれとは別の”異性人?”的なものが存在していたからだと思います。 しかし、その”異性人?”とは、本物の”宇宙人”ではなく、飛鳥昭雄氏が言う所の地球内部亜空間惑星”アルザル”に住んでいるといわれる”古代イスラエル人の末裔”である可能性もあると思います。彼らは、UFOの”燃料採取”のために、月をはじめ太陽系内の様々な”惑星”及びその”衛星”に基地を設けているとの事です。その事がばれそうになったため、NASAはそれを誤魔化すために明らかに胡散臭い”人形”みたいなものをわざと目立つ所においてそれを撮影し、そしてわざと流出した、という事なのでしょうね。 飛鳥氏曰く、”NASA”とは”軍事機関”であると同時に”諜報機関”でもある、としていますからね。”ロズウェル事件”の”グレイの死体”や”マジェスティック12”と同じような”すり替え”の”偽情報”と考えた方が良いでしょうね。 まぁ、その”真実”はともかく、あれはただの岩の”見間違え”とするよりかは、もっと作為的な”デマ情報”の可能性のほうが高いと個人的には思います。 |
07.22.11:08
恐竜は、かつてゴジラのように長い尻尾を地面に着けてノッシノッシとゆっくり動く”大型爬虫類”だと考えられてきました。しかし、研究が進むにつれて骨格の力学的な検証の結果、恐竜が非常に”俊敏”に動く事が出来る事が明らかになり、ティラノサウルス等の”大型肉食恐竜”はゴジラのように尻尾を地面に下ろしていたのではなく、真っ直ぐ後方にピンと張った状態で活動していた事が”コンピューター解析”の結果明らかになったようです。そして、”俊敏”で”活発”に動く事が出来た以上、彼らが”爬虫類”のような”冷血動物”ではなく”温血動物”である事が明らかになりました。更に、骨格の作りもよくよく検証してみると”爬虫類”よりも”鳥類”に近く、また、とある”翼竜”の化石から”羽毛”の痕跡があった事から、現在では恐竜は”爬虫類”ではなく”鳥類”に近い動物であった、という学説に変っています。
しかし、1945年、メキシコ北部アカンバロ市付近の地中から”恐竜土偶”と思わしきものが多数出土しました。そして、それは我々がイメージする”恐竜”とは少し違った様相をしていたのです。全身には”羽毛”ならぬ”体毛”が覆っており、注目すべきはなんと”耳”と思われるものがその土偶には付いているんです! もし、恐竜に”耳”があったとするならば、今度は恐竜は”鳥類”でもなく”哺乳類”だった可能性が出てきます。飛鳥昭雄氏は、この事から自身の著書の中では”恐竜=哺乳類説”を展開しています。しかし、そうなると、当然ながら「哺乳類なのに何で卵を産むんだ!?」と突っ込んでくる人もおられるでしょうけど、それはカモノハシやハリモグラの例があるように古いタイプの哺乳類であればそれはあってもおかしくないんです。更に、NHKの特番でも放送されていましたが、巣の化石を検証した結果、恐竜が思った以上に”子育て”に神経を配っていた事が明らかになったようです。それは、あたかも恐竜が”哺乳類”である事を伺わせます。あとは、”化石”からは”授乳器官”の痕跡を得る所にまでは到っていないので、ここら辺が明らかになるまではまだ何とも言えない所ではあります。 ここまで我々が知りえなかった問題が、太古の”土偶”から発覚する、という事は、おそらく、太古のインディオがあたかも恐竜と”共存”していた事をほのめかしているようにも思えます。いや、それ以前に、前記の「UMAの謎」でも書きましたが、アメリカのテキサス州に流れるパラクシー河の地層から発見された人間と恐竜の”併存足跡化石”や、コロンビアでイグアノドンの化石と同じ地層から人間の頭蓋骨が発見された例を考えてみても、恐竜が”絶滅”した時代も本当は今から6800万円前ではなく、もっと最近だったのではないか?という可能性すら出てきてしまいました! そして、前記の「UMAの謎」でも書いたように、モケーレ・ムベンベ、コッコーリ、コンガマトー、ジャノといった”恐竜及び海竜”の”生き残り”が現在でも存在する事を考えても、これらの生物が今から6800万年前に滅んだとするのは少々無理があります。そこで、飛鳥昭雄氏は「旧約聖書」に注目。そこに記述されている”ノアの大洪水”が、世界各国の”洪水伝承”や”古代大陸(ムー、アトランティス等)沈没説”等を考慮した結果、”史実”である可能性を突き止め、この事件こそ”恐竜絶滅”の真相ではないか?としています。(参考:飛鳥昭雄著「恐竜絶滅の謎と木星メネシス」) そうなると、多くの恐竜が絶滅したのは今から約4500年前となり、それぐらいの年月であれば”生き残り”がいても辻褄が合う、という事になります。 それから、やはり前記の「UMAの謎」でも書いたように、”恐竜”の仲間にはまだ”化石”でも発見されていない未知な”種”も存在するようです。それは、あたかも東洋の伝説の怪獣”龍”を連想させるような、2本の”角”と”たてがみ”を持った”チャイナ・ドラゴン(シベリア・ドラゴン)”です。”角”持った恐竜としては、トリケラトプス、プロトケラトプス、ステゴサウルス等が挙げられますが、この”チャイナ・ドラゴン”に関してはいずれも該当しません。しかし、中国からもまだまだ”恐竜化石”はどんどん発掘されているようですので、今後もしかするとこのような化石が発見される可能性はありますね。 いずれにしても、こうなってくると恐竜のイメージはこれまでとは大幅に変ってくるのは確か。もはや、恐竜は全身が”毛”で覆われ、しかも”耳のある”巨大原始哺乳類”の可能性が出てきた訳ですから、それこそ、ゴジラなんてまさしく実際にあり得ない”真の怪獣”に位置づけられたと言えるでしょう(笑) |
07.16.07:55
先日、飛鳥昭雄著の「失われたドラゴン-怪獣UMAの謎-」を買って読みました。その著書には数多くの”UMA(未確認生物)”の写真が掲載されており、更にそのいくつかが既にアメリカ軍によって捕獲され、飼育されている、ともかかれてありました。”写真”の中には本当に驚くべき映像も載っていましたが、中には明らかに”画像修正”されていたのもありましたので、”インチキ”のレッテルを貼られかねないので、もう少しそこら辺を考えて編集するべきでは?と思いましたが(汗)
まぁ、この著書の”真偽”はともかくとして、やはり、世の中にはまだ見た事もない生物が存在し、その”目撃例”も多数ある事は事実です。大抵、”学者連中”は自分の保身のために「既存生物の誤認です。」の一言で片付けてしまう傾向がありますが、しかし、”証言”の中にはかなり具体的な内容のものもありますので、それらを全て”誤認”で片付けられないのも事実。実際、ゴリラは19世紀に発見され、恐竜らと共に白亜紀に絶滅したと思われていたシーラカンスも20世紀に新たに発見され捕獲されています。そういった意味では、まだ”未知の生物”が存在する可能性は高く、更に恐竜等の”絶滅動物”が生き残っている可能性も出てきます。 上記の著書には、大きく4つの項目に別れ、”恐竜UMA”、”水棲UMA”、”飛翔UMA”、”河童型UMA”があり、それぞれの”UMA”の写真がかなり鮮明に公開されていました(上記で書いたように、中には画質が悪く”修正”されたものもあるが)。”恐竜UMA”では、アフリカ・コンゴにおいて先住民ピグミーの間で伝えられてきた伝説の怪獣”モケーレ・ムベンベ”、カザフスタンで目撃された”コッコーリ”、2004年にチリで目撃された”カンガルー型(かつてはダチョウ型とされてきた)恐竜ゲクフ”、そして、中国を初め東洋における伝説上の架空生物である”龍”のモデルでは?と目される”チャイナ・ドラゴン(もしくはシベリア・ドラゴン)”が挙げらおります。 ”水棲UMA”もいくつかのタイプに別れ、”海竜型UMA”として日本の漁船「瑞洋丸」が南太平洋で捕獲した”ニューネッシー(初め”ウバザメ”と断定されたが、研究の結果、プレシオサウルスのような”海竜”である事が明らかになったとの事)”、トルコのヴァン湖で古くから言い伝えられてきた”ジャノ”が挙げられ、”海獣型UMA”としてカナダのオカナガン湖で度々目撃される”古代クジラ”の生き残り”オゴポゴ”、ベトナムのメコン川で捕獲されそこなったメコン・ナーガ(これも古代クジラか?)、アメリカ・カリフォルニア沖で目撃された”シーサーペント(巨大海蛇、とされているが実際は多くは”哺乳類”と思われる)・グリーンアイズ(ジュゴン、マナティといった”海牛”の一種か?)が挙げられ、”古代軟体動物型”としてそれこそ”水棲UMAの定番”であり、かつてはプレシオサウルスといった”首長竜”と思われてきた”ネッシー”が、実は”古代軟体動物”である”タリモン・ストラム・グレガリウム(ターリー・モンスター)”である事が発覚し、更にアメリカのバーモント州とニューヨーク州の境にあるシャンプレー湖で目撃された”チャンプ”もまた”タリモン・ストラム・グレガリウム”である事が明らかになったようです。 ”飛翔UMA”は、多くの場合は”翼竜類”で、アフリカ・ジンバブエのジャングルで目撃された”怪鳥コンガマトー”、プエルトリコにおいて家畜等を襲った”吸血鬼”とされた生物の一つ”有翼チュパカブラ(上記の著書の中では”チュパカブラ・ドラゴン”と表記されている)”、フランス南部における”トンネル工事”のさ中に岩盤から姿を現しそのまま息絶えた”翼竜の生き残り”等が挙げられ、変わった所では、ここ数年前に大きな話題となったものの、日テレ系で放送されていた「特命リサーチ200X」の中で”蝿等の虫の誤認”で片付けられてしまい、しかし尚もその”目撃例”が耐えない”スカイフィッシュ(おそらく”プラズマ生物”の一種と思われる)”が挙げられています。 ”河童型UMA”は、その名の通り日本において古くから語り継がれてきた”伝説の妖怪”河童が挙げられ、実際、和歌山県の紀ノ川で撮影されたり(上記の著書に掲載)、宮崎県のとある民家に侵入したり、とその”目撃例”も少なくないようです(ちなみに、”河童”とは従来言われるような”頭の皿”、”甲羅”、”くちばし”があるものではなく、むしろ”宇宙人”に仕立てられてきた”グレイ”に近い生物のようです)。それと似た生物がアメリカでも目撃され、オレゴン州のとある山奥で高校生達に目撃された”オレゴンデーモン”、マサチューセッツ州ドーバーの河原で目撃された”ドーバーデーモン”、更にフロリダ半島からプエルトリコにかけて家畜などを襲った”吸血鬼”のもう一つの正体である”無翼チュパカブラ(上記の著書では”チュパカブラ・グレイ”と表記されている)”が挙げられ、中国でも古くから”水神”とされてきた伝説の生物”河伯(実は日本の”河童”は、”河伯伝説”が日本に伝わったものではないか?とも言われている)”が黄河流域で目撃されているようです(上記著書に写真掲載)。そして、”宇宙人グレイ”とされてきた生物も、実は”真のエイリアン(地球内部のプラズマ亜空間”アルザル”に住むと言われる古代イスラエル人の末裔)”の存在を隠すためにでっち上げられた”地球産両生類型UMA”であり、おそらく”ドーバーデーモン”や”オレゴンデーモン”と同じ生物のようです。 以上、の事が上記の著書に書かれてありました。尚、”人間型UMA(イエティ(雪男)、ビッグフット、野人、化石人類(猿人等))”に関する著書は後日別に発売するようです。いずれにしても、これらの”真偽”はともかくとして、問題はこうした”UMA”が何故人間の前に中々姿を現さないのか?という事です。一つは、人間の近づかない所でひっそりと生き延びてきたから、という事が言えるでしょう。しかし、”近代化”に伴ってどんな”未開”な場所でも”道路”が開通し、”飛行機”のように大陸間を移動可能な乗り物まで作られるようになった現代においても、尚それらの生物が人間の前に姿を現さないのは何故なのだろうか? どうも、そこには”ノアの大洪水”が大きく関わっているようです。 基本的に恐竜等の”絶滅生物”は少なくとも6,800万年前に絶滅した事になっています。そこまで古い生物が今の今まで生き延びているとは正直考えにくいです。しかし、もし、その原因が「旧約聖書」に記述されている”ノアの大洪水”であるとすれば、なんとこれらの生物が絶滅したのが今から約4,500年前という事になってしまいます! 現にアメリカのパラクシー川河岸から恐竜の足跡と人間の足跡が同じ地層から並立して発見された事や、古生代の地層から鉄製のハンマーの化石が出土した事がそれらを如実に物語っていると思います。そうなると、問題は、この事を”軍事機密”として隠蔽しようとする輩が存在する可能性が出てきます。そういった連中が、”UMA”の情報をすばやくキャッチし、先手を打ってこれらの生物を我々の目の前に出さないようにしている、もしくは我々がそれらに近づく事を阻止している可能性が考えられます(現にアメリカ軍はこうした”UMA”の情報をすばやくキャッチし、これらを”捕獲”した裏で”情報操作”をしている、といった事が飛鳥氏の著書には書かれております)。 そして、その”ノアの大洪水”を引き起こした張本人が”神”だとしたら、更に重要な意味が出てきます。そもそも、神が”ノアの大洪水”を引き起こした理由は”悪い人間”と”悪い生物”を罰するためだったはず。それによって、神は神の意向に従ったノア一家8人と、神が選んだ生物一対づつを”箱舟”に乗せて、その舟に乗らなかった人間及び生物は基本的には”絶滅”した事になっています。そこで、生き残ったのは”ノアの一族”と、神によって”死ねない体”にされてしまったアダムとイブの長子”カイン”、そして、現在表向きに生存が確認されている生物のみです。しかし、中には”例外”が存在したのでしょう。まずは、”水凄動物”は基本的に”洪水”に見舞われてもあまり関係ないですからね。だからこそ、”海竜類”、”海獣類(クジラ、海牛等)”、”河童類”は生き残る事ができたのでしょう。空を飛ぶ”翼竜類”もまた難を逃れる事ができた者もいたのでしょう。そして、問題は”恐竜類(竜脚類)”ですが、この種の中にも水に対応できた種だけが生存可能だったのでしょう。では、これらの生物が何故神に選ばれなかったのか? そして、これらの内生き残った生物が何故人間から隔離されたのか? 単純にいってしまえば、彼らは人間にとって”悪い生物”、つまり”害獣”だったからに他ならないのでしょう。”恐竜類”や”海竜類”はとてつもなくデカいし、”古代クジラ類”は現在のクジラ類との”生存競争”に敗れた可能性もあります。”翼竜類”も実際はかなり”獰猛”らしく、人間を襲う危険性もありますし、”河童類”は”伝説上”では人懐っこい性格であるようにも伝えられていますが、馬や牛を川で襲って”尻小玉”を抜くと言う言い伝えもある事から、こちらも”獰猛”な性格であり、もっといってしまえば、彼らは2つに分かれた”頭蓋骨”をこすり合わせる事によって”プラズマ球”を発生させ、それによって獲物の肉を気化させてそれを口から吸い取って食べるそうです。その”プラズマ球”を人間が浴びたら一たまりもない事も確かです。いずれにしても、これらの生物が人間が生活する上で”不都合”であるのは事実です。それと、他の”現存生物”の”生態系”に関わってくる恐れもあります。それによって、”神”が意図的に隔離した、という事は考えられなくはないと思います。 これらの他にも、”UMA”として引き合いに出される生物に”ツチノコ”もいますが、この生物も”気性”がかなり荒いそうですからね。”プラズマ生物”としては”クリッター”と呼ばれるものも存在するようですが、これら”プラズマ生物”は、どうやら”地下世界(プラズマ亜空間)”と無関係ではないようです。いずれにせよ、”UMA”の多くは”神の秘密(俗に言う神秘)”と大きく関わっているのだと思います。さればこそ、必然的にそれらに対抗して”アメリカ-シークレットガバメント”の”軍事機密”とも関わってくるのだと思います。故に、これらの生物が未だに”未確認”である所以なのだと思います。 |