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僕の頭の中にある世界

僕の頭の中にある”疑問”の世界を書くブログ
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11.25.19:36

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04.03.11:39

日本とイギリスの関係

日本とイギリス・・・、僕はこの2つの国がかねてからよく似ている、と感じているんです。まず、両国とも”島国”であり、”大きさ”や”形状”も非常に近いです。位置的な違いはあれど、”北海道”と”アイルランド”もなんか”相対関係”にあるように感じます。

次に、”民族構成”ですが、日本には元々”先住民”である”縄文人”が居住しており、やがて”渡来人流入”によって”東北日本(蝦夷=エミシ)”、”北海道(蝦夷=エゾ=アイヌ)”、”南九州(熊襲=クマソ、隼人=ハヤト)”、”沖縄地方(琉球民族)”と”南北”に分布するようになったのですが、イギリスでも同じように”先住民”である”ケルト人”が居住しており、やがて”ゲルマン人”の侵攻によって南部の”ウェールズ地方”、北部の”スコットランド地方”、更には”アイルランド島”に分布するようになった所が両国とも似ているんです。その後、日本では”水田技術(稲作農業自体は縄文時代から存在したとされている)”と”弥生式土器”をもたらした”弥生人”が渡来し、西日本に”邪馬台国”を築く事になりますが、、彼らは紀元前3世紀頃、秦の始皇帝の”参謀”だった徐福を筆頭に秦から亡命してきた人達である可能性が高く、その末裔が”古代豪族”の一つである物部氏ではないか?という説があります。イギリスでも5世紀頃、北アジアを支配していた騎馬民族”フン族”のヨーロッパ侵攻によって”ゲルマン民族”が西へ大移動した事によって、その一族である”アングロ・サクソン人”がグレート・ブリテン島に移入し、そこを支配し”イングランド王国”を築く事になります。更に、日本では4世紀頃に朝鮮半島から”騎馬民族”が侵入し、やがて”大和国”を建国する事になりますが、その中枢が現代にいたる”天皇一族”です。イギリスでも、12世紀にフランス・ノルマンディー地方からゲルマン系の”ノルマン人”がグレート・ブリテン等に侵攻し、イングランドを支配し”王朝”を築き、現代に至っています。こういった部分も非常に似ています。

しかも、”弥生人=物部氏”にしても”天皇一族”更には天皇一族の後ろ盾になった”秦一族”は皆”イスラエル民族”の末裔であり、物部氏は”南朝ユダ系”、天皇一族は”北朝イスラエル10支族”、秦氏は”ユダヤ系原始キリスト教徒”の末裔である、という説がありますが、アイルランドにも古代に”ダーナ神族”という謎の民族がいたとされており、”ケルト神話”の中では今から6000年ほど前にケルト人より前にアイルランド島に居住していたとされ、石造りの”天体観測施設”等の高度な”遺跡”を多数残していた事等から、彼らも”イスラエル人”と関係があるのではないか?と僕は睨んでいるのです。

”遺跡”といえば、有名なのはイギリス南部に存在する”ストーンヘンジ”という石組みの円状に配列された遺跡があり、考古学では紀元前2500~2000頃に”先住民(ケルト人かどうかは定かではない)”によって作られたとされています。しかし、日本にも”ストーンヘンジ”とは形状が異なるものの、石を円形に配列した遺跡が存在します。秋田県鹿角市十和田大湯に存在する”大湯環状列石(ストーンサークル)”です。こちらも縄文時代後期に”縄文系先住民”によって作られたものとされています。おそらく両者の”ルーツ”に何か関係があるのかもしれません(縄文人にもイスラエルの血が入っている、という説があり、更にはイヌイットの血も交じっているという説があります。)。

また、”音楽”の方でも”ケルト民謡(特にアイルランド民謡)”と”日本民謡”更には”沖縄民謡”は酷似しています。”東アジア”と”西ヨーロッパ”という掛け離れた地域であるにもかかわらず、類似した音楽を持っている、という事はやはり”ルーツ”を辿ると”共通点”が見えてくるのかもしれません。おそらく”鍵”を握るのは”イスラエル”なのかもしれません。

”ノアの大洪水神話”が”史実”なのだとしたら、おそらく”ストーンヘンジ”は年代的にその直後に作られた可能性があると思います。そして、これらを作ったのもおそらくヘブライ(イスラエル民族の古い名称)の血を引く可能性のある”ダーナ神族”ではないだろうか? そして、後にグレート・ブリテン島に渡ったケルト人に吸収されその文化が受け継がれた可能性はあります。同時に、スコットランドやアイルランドには”イヌイット”も居住していた可能性があります。特にアイルランドにはこういった人々の血も多く受け継がれているため、”人種的”にもこれらの人々の髪の色は黒に近く、”アイルランド民謡”と”日本民謡”が似ているのもこのような理由からではないでしょうか。

しかし、どうも”民族的共通点”だけでなく、何か”運命的”にもどうも”コインの表裏”のような関係にあるような気がしてなりません。日本は”ユーラシア大陸”の東に位置し、方やイギリスは”ユーラシア大陸”の西に位置します。”民族構成”も酷似する上、現在に至ってもどちらも”王室(皇室)”が存在します。そして、問題なのは、現時点ではどちらもアメリカの”子分”同然になっているという事です! そもそも、”アメリカ合衆国”という国は本来スペインやポルトガルによって開拓された”新大陸”の一部をイギリスが買収した所から始まり、やがて”アシュケナジー系ユダヤ人(元中央アジア系ハザール人)”が中心となって”独立運動”が起こり、1776年にイギリスから独立しています。そして、今度は1853年(嘉永6年)にアメリカのペリー提督が軍艦(通称:黒船)に乗って浦賀に来航し、当時”鎖国”を敷いていた日本を”開国”させるきっかけを作っています。そしていつしか、アメリカは世界最強の”軍事大国”並びに”経済大国”となり、対立していた強国”ソビエト連邦”が崩壊するや、もはや事実上”世界征服”したかのような権力を持つようになってしまいました。このような状況に、もはや日本もイギリスも”我慢の限界”が来ていると思います。

ここからは、あくまでも僕の”勝手な憶測”になりますが、もし、ここ近年に日本とイギリスが密に手を組み、”クーデター”を画策していたとしたらどうでしょう。もちろん、アメリカにはバレない様に。しかし、彼らはすでに”衛星”を駆使して日本の動きを隅々までキャッチしているようです。むろん、このような計画がアメリカにバレない訳がない。そこで、このような計画を破断するために(もちろん、他にもさまざまな理由も考えられるが)、”東北太平洋側沿岸部”に”巨大地震”を人工的に起こした、とも考えられるのではないでしょうか。何故なら、この震災の起きた3月11日の翌日の12日には、イギリスを代表するロック(へヴィメタル)バンド”アイアン・メイデン”のライブコンサートが”さいたまスーパーアリーナ”で行われる予定だったからです。現時点では、日本にはメイデンのような”骨太ロックバンド”が皆無に等しく、いたとしても一部の”ロックファン”にしか支持されない状況で、ほとんどの若者が”ロック=ブルーハーツ”と未だに声をそろえて言う状況にあります。しかし、当然このような状況に不満を持つ日本人も少なくない訳で、彼らの最新アルバム「The Final Frontier」は、全国28ヶ国で”チャート1位(全米5位)”を獲得し、日本でも”オリコンチャート洋楽ロック部門1位”を獲得、更にこのアルバムの収録曲「El Dorad」が「グラミー賞」の”ベスト・メタル・パフォーマンス賞”を獲る等の快挙を成し遂げています。こういった状況での彼らの”来日”は多くの日本人を”覚醒”させるきっかけになったかもしれないのです。だからこそ、それを恐れた”自民党首脳”がアメリカと結託して”プラズマ兵器(プラズナー)”を東北太平洋沖に照射した可能性もあるのではないでしょうか。更に、アメリカは震災から10日たった頃にイギリスを無理やり引き込んで”リビア攻撃”を打診したのも引っかかります。

いずれにしても、もはや世界を牛耳る勢いのあるアメリカにとって、日本とイギリスの”裏切り”は致命的になります。彼らにとって、この両国はいつまでも自分達の”犬”でいてもらわなければ困るのでしょう。それでも、日本とイギリスの”関係”が続くとしたら、連中は今度は表立った”攻撃”を仕掛けてくるかもしれません(恐) まぁ、何はともあれ、日本、イギリス、そしてアメリカを含めた”3国”は、いろんな意味で”運命共同体”の道を歩んでいる事は間違いないと思います。
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03.19.12:49

今一度、”東日本大震災”について考える

先週の金曜日、3月11日、宮城県沖で”マグニチュード9.0”という前代未聞の”大地震”が起こり、東北地方太平洋側は”震度7前後”、福島・北関東は”震度6前後”、関東首都圏は”震度5前後”と計測され、もはや”東北太平洋沿岸”だけでは括れない”東日本大震災”という呼び名が定着したようです。

”震源”とされているのが、東北沿岸付近にある”太平洋プレート”と”北アメリカプレート”の境目で、その前の”ニュージーランド地震”が”太平洋プレート”と”オーストラリアプレート”の境目が震源である事から、どうやらこれらの地震の”要因”は”太平洋プレート”の地殻変動にあるようです。しかし、今回の地震の場合、その”震源”が”点”ではなく”線”、つまりはプレートの境界線そのものが”震源”だ、という事です。未だに”余震”は治まらず、そればかりか”長野県”や”静岡県”等関係ない所でも地震が起こるようになっています。これらの地域も、”断層”や”プレート境界線”が存在しており、そう考えると今後日本中の至る所で地震が起きてもおかしくありません(恐) これが”自然のなせる業”であれば本当に恐ろしいですね。

しかし、”歴史的”に見ても”神話的”にみても、大規模な”災害”の多くは、人々が荒廃し、”大戦争”が起こった時期や、時代が大きな”転換期”に差し掛かった時に起こっているんです。これって本当に”偶発的”な自然現象なのだろうか? ”神話”における”大災害”の多くは”神の怒り”によって起こされたものが多いですよね。その”代表例”が「旧約聖書」の「ノアの大洪水」です。その他、「ソドムとゴモラの悲劇」等もそうです。また、”史実”においても”メスビオ火山大噴火”によって一夜にして廃墟となったポンペイも、”最盛期”を迎えた後、人々は慢心し、やがて争うようになっていたようです。もし、”神”が存在するのであれば、本当に”神の怒り”に触れたからなのだろうか? では、”黒船来航”によって”開国”か”攘夷”かで意見が揺れ動いていた頃に突如江戸の町を襲った”安政大地震”や、”大正デモクラシー”以降の華やかな時代から”軍国主義”に移行しようとしていた頃に東京を中心に関東一帯を襲った”関東大震災”はどうだったのか? これも”神”の仕業なのだろうか? いや、その”逆”の存在、つまり”悪魔”の仕業と言うべきでしょう。何故なら、これらの震災の犠牲者の多くは”善人”だからです。しかも、これらの時代にはアメリカが何らかの形で日本に関わってきているのも事実です。

そして、1991年に起こった”雲仙普賢岳噴火”や1995年に起こった”阪神・淡路大震災”は”世紀末”と呼ばれた時代に起こり、その3か月後に東京都内でオウム真理教による”地下鉄サリン事件”も起こっています。2004~2010年にかけて起こっている”スマトラ島沖地震”は本当の意味での”終末”と言われている「マヤ歴」による”終末の年”2012年の少し前に起こっています。そして、その”終末”の一年前に当たる2011年の1月26日に”霧島・新燃岳噴火”が起こり、2月25日に”ニュージーランド地震”が起こり、そして3月11日に”東日本大震災”が起こっています。これらの”被害者”の多くも善人です。もし、これらの災害も”自然現象”ではなく”何らかの意思”が働いていたのだとしたら、やはりそれは”神”ではなく”悪魔”の方だと思います。特に、90年代以降のこれらの”災害”や、更に”異常気象”は、アメリカが密かに開発した”HAARP”と呼ばれる”地震”や”異常気象”を人工的に操作できるシステムによって起こされたものであり、飛鳥昭雄氏によればその”実体”はアメリカの”最終秘密兵器・プラズナー(プラズマ兵器)”である、という話があります。

とはいえ、現時点では日本(特に東日本)はとても”深刻な事態”に陥っています。このような時に、上記のような”くだらない事”を書き立てるのは不謹慎だ!! そう思っている方がたくさんおられる事は百も承知です! しかし、あえて”オカルト”ひいては”飛鳥ネタ”を取り扱っているサイトにおいてこのような内容の記事を書く事は至極当然なんですよ。それをいい子ぶって「こんな時期にすぐに”オカルト”や”飛鳥ネタ”に結び付けるのはやめろ!」といったような”小さな親切大きなお世話”的な事を書く人間も必ず現れる。しかし、実はそういった書き込みこそが”掲示板系”のサイトを荒らす”最大の要因”でもあると思うのですよ。最近、”掲示板形式”から”ブログ形式”に大きく移り変わっている理由もそこにあるのだと思います。ただ、僕があえて”オカルト”や”飛鳥説”に結び付けたくなるのには理由があるんですよ。それは、今年2011年が1998年と重なる部分があるからです。2011年が”マヤ歴終末:2012年”の前年であれば、1998年は”ノストラダムス予言”で”終末”とされてきた1999年の前年でした。 

1998年というと、「1998年に日本は沈没するだろう。」という予言で有名なエドガー・ケイシーという”予言者”を名前を思い出す方もいるかと思います。しかし、彼に関しては”妙”な部分がいくつかあるんです。まずは、ケイシーが”予言”をする際には必ず”トランス(催眠)状態”になる、という事。もう一つは、上記の予言の「・・・だろう。」の部分が英語では”Will”ではなく”Must”が使われていて、そうなると実際の意味が「1998年に日本を沈没させよ。」という”命令形”になるのです。となると、本当にエドガー・ケイシーは”予言者”なのか?という疑問が浮上します。飛鳥氏によれば”悪魔”が憑依した、としていますが、僕が思うにはそこまではなくても”シークレットガバメント”の策謀によって”催眠術”を掛けられ、”予言者”に仕立て上げられて多くのアメリカ国民を洗脳したのではないか、と。考えてみれば、この年は1月早々から”大雪”が連発で降り、交通にも多大な影響を与えていましたし、6月に入った頃から”梅雨時期”にもかかわらず”台風”が頻繁に発生し、それが10月いっぱいまで続いているのです。更に、この年は個人的にもロクな年ではなかったのです。会社の”定休日”が”土日”ではなく”平日”にされてしまうわ、自分の嫌いな人間が自分のいた営業所の”所長”に就任するわ、やはり”悪天候”が多くてロクに旅行も出来ないわ・・・etc。そして、この年の”年末”の日本の財政は決定的な”赤字”による”不況”を迎え、そして、アメリカの財政は”黒字”を出しているのです。その時、「やはり”連中”が何かを仕掛けているのでは?」と疑いました。この頃のアメリカは”地震”や”気象”をコントロールするシステムを既に保有している、と。

そして、今年2011年も正直ロクな年じゃない! 今年の冬は例年に比べ寒いし、それはまだしも、やはり”3連休”が”雪”でつぶされたり、友人とタイへ旅行へいく約束をして”パスポート”の手続きをしようとしていた矢先に友人の母が”脳内出血”で倒れたために旅行は中止! そして、3月12に予定されていたイギリスのへヴィメタルバンド、アイアン・メイデンのライブも前日に起こった”東日本大震災”のために中止。ただ、”災害”や”異常気象”が起こるだけじゃなくて、自分の人生自体が”負”の傾向にあるのです。でもって、その二日後に高幡不動へ参拝に行き、そこで”おみくじ”を引いたら見事に”凶”が出ました(苦笑) 正直言って、”悲しみ”を通り越して”笑い”が出てしまいました。

確かに、何かしら”不運”な事が起こったからといって、その”原因”を”非科学的”なものに求めようとするのは間違っているのかもしれません。しかし、”非科学的”なものといわれるものは、あくまでも人間が作り出した”科学”によって解明出来ないだけで、”神の目”からすれば解明出来るものだと思うのですよ。だからこそ、そこには何かしらの”法則”も存在する訳で、おそらく今年2011年と1998年は、”易学”的に言えば共通点が結構あるのでしょうし、そうなると2012年は1999年の”第2弾”ともいえるのでしょう。しかし、2011年が1998年より被害が大きい事からしても、おそらく来年2012年には世界規模の”何か”が起こる可能性は大いに考えられると思います。

03.12.14:37

巨大地震は”自然現象”か? それとも・・・

昨日、”震度7”、”マグニチュード8.8”を記録した日本史上最大規模の”東北地方太平洋沖地震”が起こりました。現時点では、”死者・不明者”が1400人を超え、その多くが地震そのものよりも”津波”によるものが多いようです。あの”関東大震災”の”マグネチュード7.9”を上回るものとなりました。その前にも、ニュージーランドのクライスト・チャーチ地区で地震が起こり、ビルが崩壊して多くの日本人が犠牲になりました。

ところで、飛鳥昭雄氏の著書や公式サイトにも書かれてありましたが、どうもここ最近の地震はアメリカが極秘に開発している”プラズマ兵器”を応用したものではないか?という話があります。かねてから、”マッド・サイエンシスト”ニコラ・テスラが”地震発生装置”や”気象コントロール装置”の原型を発明しており、その設計図を奪った軍がそれらを密かに開発し、最終的には”プラズマ兵器”を応用した”HAARP”なるシステムを完成させている、という噂があります。確かに、ここ最近の地震の多くは”国際情勢”が不安定になった時に起こっています。今年は、エジプト、リビア等の”中東地域”で”政権交代”を訴えるクーデターが相次いで起こっており、沖縄の普天間基地の問題が未だに解決せず、更に前原前外務大臣が”献金疑惑”の責任を取って辞任した事よって民主党内が”分裂寸前”になっております。

しかし、そうなると引っかかるのが1855年に江戸を中心に起こった”安政の大地震”や、1923年に関東一円を襲った”関東大震災”なんです。これらの地震も、時代が大きな”転換期”に入った頃に起こっております。しかし、この時に”プラズマ兵器”があったとは到底思えないため、やはり”自然現象”という事になるのだろうか? しかし、飛鳥氏はある著書の中では、”神”も災いを引き起こす、と書いていました。となると、時代の”転機”に訪れた巨大地震は”神”ないし”悪魔(とその手先)”によって引き起こされた事になるのだろうか・・・。

いずれにしても、今の”日本政府(特に自民党)”はアメリカとつながっていると言われています。彼らの都合であちこちで”地震”が起こされ、多数の”被害者”が出ているのだとしたら、こんな連中は絶対許されないと思います。僕自身も、昨日地震の影響で長距離を歩かされ、更に本日とあるイベントに行く予定だったのが地震で中止になっていますので、これが”人工的”に起こされたものであれば絶対に許さない!

もはや、日本は天皇家に”大政奉還”をしなければならないのではないでしょうか。正直”アメリカ主導”の日本政府は要りません!

03.06.11:34

ロックと国家戦略②

”ロック”、正式には”ロックンロール(Rock 'n'Roll)”とは、1950年代半ばにアメリカで誕生した、白人音楽である”カントリー&ウェスタン”と黒人音楽である”リズム&ブルース”を融合し、更に”エレキギター”という新時代の楽器をフィーチャーした”現代型音楽”の一種です。そして、’60年代にはイギリスに渡り、’70年代には”ハードロック”、”プログレッシブロック”、”パンクロック”という様々なジャンルを生み出し、今や”多種多様”な形で世界中に広がっています。しかし・・・、重要なのは”ロック”の発祥の国が”アメリカ”である、という事なんです!

’50年代半ばにアメリカで誕生した”ロックンロール”は、やがて、エルビス・プレスリー、チャック・ベリーといった”スター”を生み出したものの、やがてよりカントリー色の強い”ロカビリー”として定着していく事になるが、それがイギリスへ飛び火した事によって大きな”転換期”を迎え、ビートルズ、ローリング・ストーンズを中心とした”ブリティッシュ・インベンション”が起こり、その人気は世界へ広がり、日本でも”グループ・サウンズ”というムーブメントが起こるくらいの影響力をもたらす事になります。その後、イギリスでは”ブルースロック”や”ジャズロック”といった”原点回帰現象”が起こる一方で、アメリカでは”ヒッピー文化”や”ドラッグ”と融合した”サイケデリック・ロック”が誕生し、やがてその両者が融合する形で”ハードロック”や”プログレッシブロック”が’70年代前半にイギリスを中心に開花。しかし、その当時にアンダーグラウンドに潜っていたロックが”パンクロック”という形で’70年代半ばに浮上し、セックス・ピストルズの登場によってイギリスを中心に”社会現象”とまでなります。ここまでの”経緯”を辿ると、いずれもその”ルーツ”がアメリカにあり、その後イギリスに渡って大きく開花する、という法則の元に成り立っています。僕は、この背景にアメリカによる従来の”母国”イギリスに対する”完全支配戦略”があるように思えてしまうんですよ。

特に、”パンク”の登場はこれまでのイギリスの政治体系を大きく揺るがす事になります。当時のイギリスは”不況”の真っただ中にあり、街中は”失業者”で溢れきっていた状況だったようです。”パンクロック”はそういった当時のイギリスの政情を大きく刺激し、”労働者階級”の若者の多くは”政府”や”王朝”を批判するようになりました。しかし、これを裏で操っていたのは、おそらくアメリカ、しかも事実上アメリカを陰で操る“シークレットガバメント”だったのではないでしょうか。これによって、多くのイギリス国民は国家に不信感を持つようになり、一気にイギリスの”国力”は低下し、事実上イギリス政府はアメリカに”臣下の礼”を取らざるを得なくなったのではないでしょうか。以降、イギリスは完全にアメリカの”子分”に成り下がってしまった、という事ではないでしょうか。ちなみに、”ロックシーン”を見ても、パンクが下火になった後、ハードロックの巻き返しのムーブメントである”ニューウェイブ・オブ・ブリティッシュ・へヴィメタル”というシーンが起こるも短命に終わり、それがやがてアメリカの”L.A.メタル”や”スラッシュメタル”のシーンに継承される形で世界へ広がった所を見ても、最終的には”ロックシーン”においてもイギリスはアメリカの”支配下”に置かれる事になってしまった、と言えるのではないでしょうか。

”ロックンロール”という音楽は、多くの若者に影響を与えた事は言うまでもありません。だからこそ、”アメリカ政府”はそれを”国家戦略”へ利用しようとしたのではないでしょうか。その”足掛かり”としてアメリカは従来の”母国”であるイギリスを完全にアメリカの配下に置く必要がありました。”力関係”ではとっくに”経済面”でも”軍事面”でもアメリカが大きく上回っていましたが、それでもプライドの高い”イギリス王朝”及び”イギリス政府”はその事を安易に認めようとはしなかった。だからこそ、”ロック”を媒体に多くのイギリス国民を”煽動”ひいては”洗脳”する事によって”元親分”イギリスを”子分”にする事ができた、という事ではないでしょうか。

02.20.13:14

ロックと国家戦略①

’80年代末期、日本ではブルーハーツを筆頭とした”バンドブーム”が起こり、欧米では”へヴィメタル全盛期”でした。そして、ここ数年も、日本の若者の間では未だにブルーハーツの支持者が幅を利かせており、アメリカにおける”へヴィメタル復権”によって「タワー・レコード」、「HMV」といった”アメリカ資本系レコード販売業界”が日本においても”メタル普及”に尽力を注いでいる状況です。しかし、どうもこれらの背景に”政治”が大きくからんでいるように感じられ、そして、”ロック”を利用した”国家戦略”が仕掛けられているように思えてならないんです。

僕は、正直ブルーハーツがここまで”カリスマ化”するとは考えていませんでした。もっとも、”ロックの定義”というものも実はそれほど明確化されているものではないために、若者に何らかの”衝撃”を与えてしまえばそれこそが”ロック”、という事になってしまうのでしょうけど、やはり”理想”としては”反骨精神”を強く感じさせられるものこそが”ロック”である、と信じたい部分もあるんです。しかし、”反骨精神=社会批判ひいては国家批判”となってしまうと、国家にとっては非常に都合が悪くなってしまいます。そこで、ブルーハーツのように若者に強い”衝撃”を与える一方で、”国家批判”的な要素の極めて少ないバンドであれば”国家”にとっては都合がいいんですよ。”’80年代末期”の彼らの人気はともかく、今現時点での人気には正直”無理”があるように思えるんです。言い換えれば”何者か”によって”洗脳”されているようにも感じるんです。”カラオケ”や”CM”を利用すればそれは可能なのだと思います。

それだけではなく、日本において”本格派ロック”が幅を利かせるようになってしまうと、困るのは”日本政府”のみならず日本を事実上”属国扱い”している”アメリカ政府(厳密には”影の政府(シークレットガバメント)”にとっても問題なのです。だからこそ、日本国内において”反骨性”の強いロックではなくブルーハーツのように”反骨性”が薄く”音楽性”も簡素なロックが流行る事は好都合であり、しかし、それでもそういうタイプのロックに不満を感じる”骨太”の若者に対しては、アメリカ主導による”洋楽ロック(特にへヴィメタル)”を売り込む事で、場合によってはこのような若者達を”アメリカ”側”へ引き込む事も視野に入れているのではないでしょうか。事実、現在”プロ野球”や”サッカーJ-リーグ”等でも、いい選手は皆海外のチームへ移籍しています。おそらくこれを裏で仕掛けているのも”シークレットガバメント”ではないでしょうか。このようにして、アメリカは、多くの日本人(特に男子)を”腑抜け”にする一方で、使える日本人は”ヘッドハンティング”する事によって日本という国を完全に”骨抜き”にしようと企んでいるのではないでしょうか。

”ロックンロール”というものは、”50年代中期”に生まれた”新感覚の音楽”であると同時に、世の中に不満を持つ”若き労働者階級”を中心に支持され、やがて”不良少年”の”心の支え”という存在となりました。しかし、それは同時に国家を揺るがす”媒体”にもなり得るのです。しかし、”政治家”と言われる方々は非常に”狡猾な生き物”なんです。それを逆手にとって”政治”ひいては”国家戦略”にも利用する! ”ロック”がいくら反映しても、このような輩がいる限りは、”ロック”で世の中を変えるのは思っている以上に難しいのだと思います(悲)

11.23.15:58

物部氏の謎

前章では、”蘇我氏の正体”についての検証をしてみたのですが、蘇我氏が聖徳太子と同じく”架空の存在”だったとして、その”モデル”となり得る氏族を探すと、ある2つの氏族に行きつきました。一つは蘇我氏同様”渡来系氏族”で、飛鳥時代の特徴である多くの”石造遺物”が示すような高度な”技術”を持った一族である”秦氏”であり、もう一つが一見”対立関係”にあるようで以外にも多くの接点が見られる物部氏である可能性が出てきました。ただし、彼らは現在でもその末裔が社会の”表”に存在する秦系ないし物部系の一族ではなく、あくまでも社会の”裏側”にまわって日本を動かしてきた一族である、という事です。では次に、物部氏がいかなる氏族だったのかを検証していきたいと思います。

物部氏とは、「古事記」、「日本書紀」においては”素戔嗚尊(スサノオノミコト)”、”大物主神”、”大国主神”等の”国津神”の子孫とされる事から、”先住系王族”とされていますが、これも研究者によっては”縄文系先住民”と見立てる人もいれば、”天孫族(天皇一族)”より少し前に日本に渡来した民族と見立てる人もいます。しかし、隠蔽された古代日本史を解くには”海の外”の歴史書が”重要参考資料”となるのです。秦始皇帝の参謀であった徐福は、次第に高慢になり人心が離れていった始皇帝に見切りをつけ、「海の向こうに蓬莱山があり、そこには不老長寿の薬草が生えているそうなので、さっそくその薬草を取ってきて差し上げましょう。」と始皇帝を騙して海の向こうの蓬莱山(おそらく日本の富士山)へ向かって出航し、事実上の”亡命”を計りました。無論、このような史実を日本の”記紀”は認めていませんが、日本各地に”徐福伝説”が存在し、”日本史”においても考古学的に徐福が渡来したとされる紀元前3世紀とほぼ同じ時代のものとされるそれまでの”縄文式土器”とは全く形状の異なる”弥生式土器”や、”水田稲作遺構”等が確認されています。つまり、我々が歴史の授業で習った”弥生人”の正体が”徐福一行”だった事になります。そして、彼らの事を秦からの渡来人として”秦氏の祖先”と考える人も多いようですが、それに対して”サイキックエンターティナー”飛鳥昭雄氏は「秦氏は天皇一族とほぼ一緒に日本に渡来した氏族で、彼らは自分達の神”イエス・キリスト”を”天照大神”として日本の最高神に据えた”キリスト12使徒”の末裔である。」と彼らの多くの著書に記しているため、もしこちらが正しければ、徐福一行は秦氏ではない事になります。となれば、考えられるのは、天皇一族や秦氏以前に日本に来ていたと思われる物部氏こそ、”徐福一行”の末裔である可能性が高いのではないでしょうか。となれば、卑弥呼で有名な”邪馬台国”を建国したのは物部氏である可能性が出てきました。

しかし、多くの”徐福伝説”から考えれば、彼らはあくまでも”軍事支配”ではなく、”交易”を通じて自分達の”文化”や”技術”を伝播して”縄文系先住民”と融合していったと考えるべきでしょう。つまり、この頃の”物部氏=徐福一行”は決して”軍事氏族”ではなかった、という事になります。無論、彼らの中に秦の兵士がいた可能性もなくはないが、それはあくまでも”護衛隊”であり、倭国=古代日本を武力征服しようとは思っていなかったのでしょう。では、何故いつしか物部氏は”祭祀氏族”であると同時に”軍事氏族”になってしまったのだろうか?

徐福の時代から約600年後の女王・卑弥呼の時代、彼女の晩年には”邪馬台国”の南方に位置するとされる”狗奴国(くなこく)”との対立が激化し、”後継者”の壱与(とよ)の時代の途中で「魏志倭人伝」から邪馬台国に関する記述が途絶えた事から、おそらくこの頃邪馬台国は”滅亡”したと推測されます。で、邪馬台国の南方に位置したとされる”狗奴国”とは一体どんな国だったのだろうか? 多くの研究家は”熊襲(クマソ)”、”隼人(ハヤト)”を中心とした”南九州王国”と考えているようですが、これに対して飛鳥昭雄氏は「かつて日本列島は九州を北に上下逆さま”だった。」と主張。その理由は、「魏志倭人伝」に記述された”距離”と”日数”では辻褄が合わず、日本列島を”上下逆さま”にした場合、その距離と日数を忠実に辿っていくと現在の奈良県のある”大和”と一致するからだと、著書「邪馬台国の謎と逆転日本列島」に記しています。となると、そこから”狗奴国”を探っていくと関東~東北地方にまたがる”東日本”となり、おそらく徐福一行の”文化”や”技術(特に農耕技術)”をあまり受け入れず自分達の生き方を貫いた”東日本縄文王国”であった可能性が高くなります。そして、飛鳥氏は、「古事記」、「日本書紀」に登場する”天孫族”に対抗した”長髄彦(ナガスネヒコ)”は東日本側の”統治官”だったのでは?としています。で、”記紀神話”における”神武東征”の項には長髄彦が奉じた神”饒速日命(ニギハヤヒノミコト)”なる神が登場し、神武天皇が”天照大神”の子孫である事を知ると、この神は神武に国を譲る事を約束し、一方の長髄彦はそれを拒んだために殺された、と書かれています。この”饒速日命”とは一体何者なのだろうか?

”饒速日命”は一応”物部氏”の祖の一人とも考えられているため、彼が物部氏と深い関係がある事は間違いないはずですが、長髄彦が”邪馬台国”を征服した”狗奴国”側の人間だったとしたら、”被支配者”である”邪馬台王族”を”神”とするはずがないんです。となれば、”狗奴国”以前に”邪馬台国”を征服した”異民族”が存在した、という事ではなかろうか。更に、その後”天孫族”の神武天皇が大和に入った際に、神武天皇の正体を知った饒速日命が”国譲り”の約束をした所を見ると、この”饒速日命”とその一族は、おそらくは”天孫族=天皇一族”の”別動隊”ないし”配下”の一族だったのではないでしょうか。そして、この時を持って”物部氏=軍事氏族”となったのではないでしょうか。そこで、今一度”蘇我氏=物部氏説”を持ち出すと、”蘇我”という名前の今度は”読み”を考えると”ソガ”という発音と近い民族が浮かび上がってくるのです。”ソガ”に近い発音”で”軍事民族”である民族で思い当たる民族の中に”スキタイ系サカ族”が浮かび上がってきます。”サカ族”と言えば”仏教の祖”である”釈迦(ブッダ)”の出身族であり、この事から”蘇我氏”と”仏教”との関連も伺われます。そして、サカ族は”天孫族=天皇一族”のルーツと考えられる”北朝イスラエル10支族”がアッシリア滅亡後に彼らと融合する形で北アジアルートで最終的に朝鮮半島を経由して日本へ入ってきたと思われますが、10氏族の中でも特に”サカ族”の資質を多く受け継いだ支族がおそらく存在した可能性が考えられます。それを伺わせるのが、蘇我氏の中には同時に”石川”と名乗る者が存在する事です。その”イシカワ”の発音と近い”イスラエル支族”が存在します。”イッサカル族”です。”サカ族”と”イッサカル族”、この両者も何となく発音が似ている事から”サカ”が”イッサカル”が転じた読み方であり、両者は完全に”同化”したのではないでしょうか。

”饒速日命=サカ/イッサカル族長”は、神武天皇に”邪馬台国=大和国”を譲った後、”出雲国(おそらく当時は山陰地方一体)”に拠点を移したのではないでしょうか。しかし、神武天皇は配下にいた”日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を出雲へ遣わせそこを”支配下”とし、更に九州の”熊襲”を征伐した後、東国へも派遣したものの完全に支配できないまま、大和へ向かう途中に”他界”しています。こうして、”饒速日一族”とその配下に下った”邪馬台王族”は”物部氏”となって西日本を中心とした”大和国”の”大連”となって”祭祀”と”軍事”を司る”大豪族”に君臨するも、飛鳥時代に入るとライバル”蘇我氏(おそらく秦氏のカムフラージュ?)”との”覇権争い”に敗れ、表向きにはそのまま”没落”していく事になりますが、しかし今度は彼らが”蘇我氏”に名を変えて入鹿の時代に政権を欲しいままにし、そして中大兄皇子(天智天皇)と中臣(藤原)鎌足によって入鹿が暗殺されると、物部氏は本格的に”衰退”し、そして歴史の”裏側”にまわってその後の様々な”歴史的事件”を陰で操っていったのではないでしょうか。・・・そして、彼らの”末裔”は、おそらく現代にも至っているのでしょう。

10.31.15:01

蘇我氏の正体

”古代史”において、”渡来系新興豪族”として突如台頭し、”神道”に代わる新たな宗教”仏教”の導入に大きく貢献し、そして”廃仏派”の物部氏を滅ぼして”権力”を手中におさめ、そして、彼らの”専横政治”を快く思わない中大兄皇子と中臣鎌足によって討ち滅ぼされた蘇我一族。しかし、”歴史”はあくまでも”勝者側”が作るものであり、蘇我氏は本当は”悪人”ではないのではないか?という多くの研究家の疑問から、”蘇我入鹿=聖徳太子説”が生まれたり、”蘇我氏=古代王族説”が生まれ、反対にあくまでも”蘇我氏=悪人”と考える研究家の中には”蘇我馬子聖徳太子暗殺説”を唱える人がいたり、と様々な憶測が絶えません。この”謎”に満ちた蘇我氏という一族はいったい何者だったのか? それを検証していきたいと思います。

まず、蘇我氏といえば”仏教”を思い浮かべる人が多いと思われます。聖徳太子と共に”仏教”の布教に尽力を尽くし、それに反対する物部氏と対立し、その物部氏を倒して政治を我が物にした一族、というイメージがあります。そこで、蘇我氏の系譜をざっと説明すると、本格的に歴史書(日本書紀)に登場するのが6世紀中頃に活躍した蘇我稲目で、大王(後の天皇)に次ぐ”大臣”という姓を持ち、欽明13年(552年)に百済の聖明王によって”仏教”が伝えられた際に、それを受け入れた事によって、それに対して物部尾輿(守屋の父)と中臣鎌子(鎌足の曽祖父)が反対した事によって蘇我氏と物部氏、中臣氏は”対立関係”となり、それが後世に続く事になり、それぞれの息子、蘇我馬子と物部守屋の時代にはその対立が激化。そして、聖徳太子と手を組んで物部守屋の軍を打ち破り、守屋が討たれると、次第に馬子は政権を牛耳るようになり、時の天皇・崇峻天皇と対立、そして配下の東漢(やまとのあや)駒に暗殺させ、用明天皇の妹で聖徳太子の叔母に当たる炊屋姫(かしきやひめ)を推古天皇として即位させています。その後、聖徳太子と共に”十七条の憲法”と”冠位十二階”を制定して”中央集権国家”の礎を築く事になります。やがて、息子の蝦夷と孫の入鹿の時代になると、その”専横”を極め、蝦夷はまず、推古天皇の崩御後、推古の違勅により田村皇子を舒明天皇として即位させ、舒明の崩御後は皇后の皇極天皇を即位させるも、蘇我氏が政治を独占。その後、家督を息子の入鹿に譲り、入鹿は蘇我氏の血を引く古人大兄皇子を即位させるために聖徳太子の息子である山背大兄王とその一族を殺害。更に、専制を極めようとする入鹿は、”反蘇我勢力”である中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣(後の藤原)鎌足によって暗殺される(乙巳の変)。・・・といった所です。しかし、このまま読めば、通説通り”仏教”を擁し、次第に天皇を蔑ろにして政治を独占した”悪しき一族”というイメージ通りになってしまいます。

でも、”歴史”とはいつの時代も”勝者”によって書き換えられるものなのです。上記の”定説”はみな「日本書紀」によるものであり、その事実上の編纂者は中臣鎌足の息子である藤原不比等と言われています。となれば、当然ながら父を”英雄化”するために蘇我氏を”悪人”に仕立て上げ、歴史を改ざんした可能性は十分あり得るでしょう。それにこれまでの”定説”にはいくつかの”矛盾”も見られないではないです。①”渡来系民族”とされているが、その割には大王(天皇)に次ぐ”大臣”の姓を与えられ、天皇家以前の日本の王族だったと考えられる物部氏(姓は大連)よりも”格上”である事。②このころの皇族の系統が複数ありすぎる上に、皇族同士の結婚が多すぎる。③この時期に”女帝”が頻発している事。④蘇我氏と物部氏が稲目の時代から対立しているにもかかわらず、馬子の妻が物部氏である事。⑤聖徳太子が天皇になれず、なぜ女性である推古が天皇になれたのか。・・・等です。①に関しては、そもそも天皇一族自体が”渡来系民族”と考えれば、彼らと同時期、いや同時に渡来した一族である可能性が考えられ、蘇我氏自体が”王族”だったのでは?という指摘をする研究者は多いです。②に関しては、古代日本においてはまさに”複数王朝”があった可能性が伺えます。③に関しては、”女帝”が本当に存在していたのだろうか? ”複数王朝”の存在を隠すために、皇后をあえて”女帝”として”記紀”に記した可能性も考えられます。④に関しては、実は蘇我氏と物部氏は仲が良く、もっと言えば”同族”であった可能性を、物部系の人々によって書かれたとされる古文書「先代旧事本紀」から読み取れるようです。⑤に関しては、聖徳太子が本当に用明天皇の子だったのか? という事と、もっと言ってしまえば聖徳太子自体の”実在性”も近年疑われているようです。これらの”謎”に対する”真相”はどうだったのだろうか!?

”複数王朝説”に関しては、卑弥呼の時代から”倭国大乱”と呼ばれるように複数の王国が乱立していた可能性があり、それを証明するような地方豪族のものと思わしき”古墳”も多数発見されていますが、しかし、それは後の”戦国大名”や”幕藩体制”のように、あくまでも多数の小国の領主がその地を治め、その上に”中央政権”が君臨する、という体制が古くからあったと考えた方が妥当でしょう。それは「魏志倭人伝」にも卑弥呼を”女王”とする”邪馬台国”が日本(当時は主に西日本)を治めていた、と記されているからです。歴史作家の関裕二氏も著書「大化の改新の謎を斬る!」の中では「天皇には古くから”権限”が与えられておらず、複数の豪族による”合議制”によって政治が行われていた。」と記しており、”サイキックエンターティナー”飛鳥昭雄氏は、「天皇は渡来系氏族・秦氏とは切っても切り離せない存在である。」と多くの著書に記しています。実は、僕はこの”秦氏”こそが鍵を握る存在だと考えています。なぜなら、秦氏もまた蘇我氏と同じ”渡来系氏族”であり、彼らは天皇と密接な氏族です。さらに、彼らは”技術集団”でもあり、蘇我氏が牛耳る”飛鳥時代”には”酒船石”、”亀石”、”猿石”、”石舞台古墳”等の数多くの”石造物”が作られており、これらの作成に秦氏がかかわっている可能性は高いでしょう。しかも、これによって、かつてテレビ東京系例で放送されていた”歴史ミステリー番組”では、”蘇我氏=ローマ人説”が扱われていましたが、もしそこに秦氏がかかわっていたとすれば、かなり”信憑性”が伺われるのです。なぜなら、この秦氏がかつてローマに属していたこともある”ユダヤ人”である可能性が高く、飛鳥氏は、彼らが”イエス・キリスト12使徒”の末裔であると指摘しています。となると、気になるのが「蘇我」という姓です。直訳すると「我蘇る」となり、これはイエスの”死と復活”を連想させるからです。で、僕が思うに、蘇我氏と秦氏は”同族”だった可能性があるのではないでしょうか!?

現に、蘇我氏は聖徳太子と関係が深く、また、聖徳太子も秦氏と関係が深いからです。そして、”蘇我氏=秦氏”であるとすれば、秦系祭祀氏族・賀茂氏との関係が示唆される葛城氏や、巨勢氏等の”大臣姓”を持つ氏族が”秦氏系氏族”である可能性が出てくるのです。それに対し、ワンランク下の”大連”である物部氏は”記紀”が示す通り、”素戔嗚尊”、”大物主神”、大国主神”等の”国津神”の子孫である”先住系王族”で、飛鳥氏は自身のサイトの中では物部氏は秦の始皇帝の参謀で、日本へ亡命した徐福の末裔で、更に彼らが”邪馬台国”を作った可能性がある、と記しています。つまり、天皇家の”参謀格”である秦氏が、”旧王族”である物部氏の”上”に君臨していた、という事がそもそもの両者の”対立”につながり、更に、その”蘇我氏=秦氏”が異国の宗教であった仏教を布教しようとした事によって両者の対立は激化して、やがて”戦”へと発展した、と「日本書紀」は記しています。

しかし、この戦のあと、蘇我氏の勢力は拡大し、聖徳太子は斑鳩に隠棲するようになり、太子の”ブレーン”であった秦河勝を筆頭とした秦氏も歴史の表舞台から姿を消すことになります。この頃から蘇我氏は”悪人”として扱われるようになるのですが、これは一体何故なのだろうか? 実は、”蘇我氏”は秦氏以外にも別の氏族の”別姓”でもあったのではないでしょうか。もっと言ってしまえば、2つの対立する氏族を”蘇我氏”という括りで一つの”氏族”にしてしまったのではないでしょうか。かつて、ここのブログでの「聖徳太子の正体」という記事でも、聖徳太子に”厩戸皇子”と”蘇我蝦夷”という2つの”ペルソナ”が存在していた可能性を示唆しましたが、”蘇我氏”も本来は”架空の氏族”だったのではないでしょうか。おそらく、歴史の”闇”に消えた一族を具現化するために便宜上表記された氏族だったとしたらどうでしょう? まず、飛鳥氏は秦氏の”実体”は、天皇及び朝廷、更に神道を背後から動かしてきた”記紀”にも記されている”八咫烏”と呼ばれる集団で、その幹部である12人が”大烏”と呼ばれ、更にその頂点にいる3人が”金鵄”と呼ばれ、またの名を”裏天皇”とも言い、本当の意味での”天皇”はこの”金鵄”である、と著書に記していました。僕の読みでは、”秦河勝-聖徳太子-山背大兄王(=中臣鎌足?(こちらも以前に「聖徳太子の正体」という記事に記しています。))”は”金鵄=裏天皇”だったのではないか?と考えています。この事が、”女帝”とも関連してくるのではないでしょうか。要するに、歴史の”表”に出せない”金鵄”の代わりにその”皇后”である”女帝”を世に出したのではないでしょうか。

では、蘇我氏のもう一つの”正体”はいかなる氏族だったのだろうか? それを示唆する資料として「先代旧事本紀」が挙げられます。この古文書には物部氏と蘇我氏が同族であるような記述があるようで、記事前半でも書いたように、父の時代から対立しているはずの物部氏の娘を蘇我馬子が妻として娶っているのも、”和解のための政略結婚”にしては少々腑に落ちないんです。宗教的に対立していた状況で、一時的な”和睦”はあってもそこで簡単にも自分の娘を”妻”として差し出すだろうか? しかし、蘇我氏の”もう一つの正体”が物部氏であれば、辻褄が合うんです。つまり、”蘇我氏”という一族は、一方では”秦氏”と同族であり、もう一方では”物部氏”と同族である、という事です。これは”秦氏”も”物部氏”もともに”ユダヤ人”である可能性が高く、蘇我氏と物部氏の”宗教対立”の真相も、実は”旧ユダヤ教”と”原始キリスト教”の対立によるものであったのではないでしょうか。それ故に、蘇我馬子と聖徳太子が物部氏を滅ぼした後、蘇我馬子が政権を牛耳り、聖徳太子は飛鳥を追われるように斑鳩へ隠遁し、そして馬子の孫・入鹿の代になると、太子の遺児・山背大兄王を暗殺し、更に政権を欲しいままにすると、いう”悪党ぶり”を発揮するのですが、この際の”蘇我氏”の正体が”物部氏”だったとしたら、勢力を取り戻した物部氏が”蘇我氏=秦氏王族=金鵄”を飛鳥から追放して政権を牛耳り、しかし、”蘇我入鹿=物部守屋の孫”の頃に”八咫烏”の息のかかった中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣(後の藤原)鎌足によって討たれる事になりますが、入鹿による”山背大兄王暗殺”は、実は”乙巳の変”と同事件であると僕は睨んでいます。

これによって、もう一方の”蘇我氏=物部氏”も歴史の”背後”にまわり、天武天皇を蜂起させ、奈良時代に様々な”混乱”を巻き起こし、道鏡を使って孝徳天皇をたぶらかし、平安京に遷都されると、”武士”を台頭させ、やがて”幕府”というもう一つの政府の樹立を裏で動かし、江戸時代まで続く”武家政権の黒幕”となり、また、”明治維新”の際にも、各藩の”下級武士”を煽って”武力討幕”を行って、やがて”軍主体”の政府が出来上がり、太平洋戦争敗戦後も”官僚主体”の政府を裏で動かして、現在でも日本を裏から支配しているのではないでしょうか? 無論、ここにはもう一つの勢力”米国影の政府=シークレットガバメント”も当然関与していると思われるが。こういった意味でも、”蘇我”という言葉は、単なるイエスの”死と復活”を示しただけではなく、一度歴史の”裏側”にまわった者が、再び歴史の”表舞台”に現れる、という意味も含まれているのではないでしょうか。

まぁ、これが”真実”であるかどうかはさておき、次章では、その”物部氏”について検証していきたいと思います。
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